サラダ坊主日記

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網野善彦「無縁・公界・楽」に関する覚書

 網野善彦の『無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー)を読了したので、徒然なるままに感想を書き留めておく。

 日本史に関する知識の薄弱な私には、難解な語句や意味の把握し辛い表現なども散見したが、基本的には愉しんで読み進めることが出来た。

 主には「無縁」という概念を駆使して、中世の日本社会の構造や特質に、新たな角度から照明を当てるという趣旨の書物であり、数多の文献を渉猟して豊富な実例を明示しながら、中世の日本において様々な場面で見出される「アジール」に就いて語っていく体裁を取っている。江戸時代の「縁切寺」を例証の嚆矢として、段階的に歴史的な過去へ遡行していくのだが、余りにもアジールの範囲が拡大されて、何でもかんでも「無縁の原理」という言葉で片付けられてしまっているような印象も受けた。著者は「無主の原理」と「有主の原理」が絶えず複雑に絡まり合い、隣り合いながら機能していたという認識を幾度も強調しているが、それさえ苦し紛れの弁明のように聞こえてしまうのは、私の読解が浅薄である所為だろうか。

 尤も、こうした見解をわざわざ表明するのは決して、私が「無縁・公界・楽」という書物の意義を見縊っているからではないし、この貴重で画期的な書物から、新たに学び得る認識や知見は少しも存在しないなどと、傲岸不遜の悪罵を投げつけようという腹積りがある訳でもない。「無縁」という言葉に着目し、その埋没しがちな意義を無数の資料を読み込む営為を通じて浮かび上がらせ、固定化された平板な「史観」を震撼させようとする作者の野心的な企図は無論、私たち日本人にとっては極めて有益な学術的資産である。

 著者は「所有」或いは「私有」という制度が「無縁」という原理によって根底から支えられていることに読者の注意を促している。「所有」が「無所有」に支えられているとは一体、どういう意味だろうか? 少し首を傾げたが、次のように考えれば、その意味を精確に捉えることが出来るのではないかと結論した。つまり、或る事物が何者かによって所有される為には、先ずその事物を「誰にも所有されていない状態」に移行させる必要があるのだと、幾分理窟っぽく定義すれば良いのだ。

 著者は「無縁」の領域が公権力の庇護を享けることで、その独自の輪郭を保っている事例を無数に挙げている。無論、公権力は決して「無縁」の原理を特別に崇敬しているのではなく、そこに逆らい難い歴史的な「抵抗」の要素を見出している。公権力が「公界人」たちに授ける庇護は、獰猛な野犬の首に縄を結び付けるような意味合いを含んでいるのである。著者は、そうした「無縁」と公権力との関係が、幕藩体制の確立された江戸期に至る頃には、「無縁」の勢力の圧倒的な劣位に傾いていることを指摘している。だが、そもそも「無縁」という原理は、何処から生じてきたのか? 何故、社会の秩序から切り離された公界人に、往時の権力者たちは一定の譲歩を示さねばならなかったのか? そうした根源的な問い掛けに、この試論は十全の回答を与えていない。その点に、私は残念ながら物足りなさを覚えた。

 農耕を生業とする人々は、土地に縛られる宿命を持つ。そして公権力は「土地」と「住民」を一括で管理することによって、自らの支配力の徹底的な強化を図ってきた。「戸籍」や「住民票」を通じて版図の人民を管理し、拘束する政治的な手法は、現代においても変わらずに受け継がれている。従って「非農業民」の生活に学術的な関心の焦点を定める網野氏の思索が「土地に縛られることのない人々」=「遍歴する人々」の「無縁的性格」に執着するのは当然である。そうした「無縁」の人々が徐々に遍歴の日々から遠ざかり、特定の土地に囲い込まれていく「屈服の過程」として日本史を眺めることは、一つの創見である。だが、そもそも「無縁とは何なのか」という根源的な問いが解決されない限り、一つ一つの史料の解読は、どうしても恣意的な振幅を抱え込まざるを得ない。

 繰り返すが、著者が「無縁・公界・楽」という色褪せた観念に新たな息吹を吹き込んだ事実は、大いに賞讃されるべき功績であるし、そのような観念を駆使して日本史の通説を転覆させる学術的野心にも、敬意を払うべきであると思う。だが、この書物を読んで私たちが学び得るのは「無縁」という原理の本質ではなく、その具体的な濫觴でもなく、飽く迄も表層的な「事例」の数々である。そこに追究と探索の手懸りを見出すのは当然だが、その手懸りを活用して、著者は如何なる領域に辿り着いたのだろうか?

 何やら批判的な言辞ばかり弄しているが、ここから先は、私なりの着想を勝手気儘に書き殴っておきたい。

 「無縁」という観念が指し示すのは、要するに「世俗的な関係を切断すること」であり、それは宗教的な意味での「出世間」という観念と容易に連絡し得るものである。例えば武田泰淳の「異形の者」という小説は、死に関わることによって「俗世」から乖離した人間の実存を描いている。寺社が「無縁」の場として、つまり一種の「聖域」としての社会的機能を担うのは、そもそも宗教的な観念が「世俗的関係の切断」を中心的な機能として内包しているからであろう。

 「無縁」の領域に属する「公界人」は、俗世間からの逸脱や乖離を、自らの存在の特性として備えている。公界人は、俗世間の秩序や体制、規範によって拘束されることがない。にも拘らず、彼らが世俗的な権力による庇護の対象として遇されるのは何故なのか。それは、世俗的な社会が成立する上で、どうしても彼らのような「異形の者」が必要とされるからであろうと、取り急ぎ推測してみる。世俗的な社会が成立する為には、世俗と関わりのない存在が要請される。一見すると逆説的に感じられる、この簡潔な命題に、私はどのような答えを与えるべきなのだろうか。

 論理的な飛躍を承知の上で、敢えて一歩踏み出してみよう。「無縁」の領域に属する公界人たちが、世俗的権力から切断された存在でありながら、世俗的権力による庇護を享受するという逆説は、彼ら公界人を「共同体の間隙を往来する人々」として措定することによって、明瞭な視野を確保することが出来るのではないだろうか。共同体が存立する為には、共同体の外部を必要とする。それは人間が「単独では存在し得ない」という普遍的な真理と、全く同じ構造を有する話である。共同体は、外部の共同体との間に何らかの交際を持たなければ、自らを維持することが出来ない。そして、外部の共同体と何らかの交渉を持つ為には、何れの共同体にも所属しない中立的な領域を確保することが必要である。そこに登場するのが所謂「公界人」ではないのか。

 寺院のみならず、港湾や市場などの空間が「無縁の原理」を備えていると看做されるのは、そこが様々な共同体の隣接する「間隙」としての社会的機能を有しているからであろう。その意味で、網野氏がアジール的空間の一例として「家=敷地」を持ち出し、無縁の原理の拡大された解釈に踏み込んだのは、早計であったと私は考える。「家=敷地」にまで「アジール」としての社会的性格を見出し始めたら、定義の範囲が余りに散漫となり、却って「無縁」という観念の有する学術的な意義と効力を衰微させる結果に帰着するのではないかと思うのである。

 所謂「都市」が、様々な共同体に出自を有する多彩な人々の入り乱れる「坩堝」として機能し得るのも、それが特定の共同体に所属しない「間隙」として位置付けられている為であろうと、私は考える。言い換えれば、そうした「間隙」においては、誰の身にも附随する共同体的な「出自」が、強制的に解除されるような作用が働いているのである。それは安部公房的な「匿名性」の観念にも関連を持つ「都市」の中核的な秘儀である。「都市」の原理は、そこを往来する人々の「匿名性」によって支えられ、その「匿名性」に基づいて自由で任意な「契約」が随時、結ばれていくことになる。それは様々な柵を切断することであり、人々を或る強固な共同体的文脈から引き剥がし、無名の個体に還元することでもある。「無縁」であることは必然的に「無名」であることと不可分の関係を有する。例えば満員の通勤電車に乗り込むとき、私たち乗客は互いの姓名を知らないし、その背後に控える複雑な社会的経緯に就いても完全に無知である。しかし、そうした匿名性は少しも「都市」の社会的活動を妨げることがない。

 私見では、近代化という過程は、こうした「都市」の有する抽象的な原理を拡張し、共同体的な出自の無効化を推し進める手続きの集積である。それは産業を「土地」から解放するプロセスでもあるし、個人を「家郷」から切り離すプロセスでもある。良くも悪くも都市化の進行が、人間の実存を極めて抽象的で空虚な「自由」の領域へ追い遣っていく強烈な動因として作用することは避け難い。それは確かに「宿命」からの解放であり、自らの意志に基づいて選択し得る「人生」の範囲が拡大することを意味しているが、それゆえの固有の「不安」が却って人間の精神を反動的な共同体主義へ傾斜させることも決して珍しくない。何でも選び得るということは、何もかも自らの判断に依拠して選択しなければならないという重圧を引き取ることに通ずる。サルトルが「自由という刑罰」に就いて語ったとき、念頭に置かれていたのは、こうした消息であったのだろう。

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))