サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

ただ、そこにある道を往くばかり

 ミラン・クンデラの「小説の技法」(岩波文庫)を読み終え、次の書物として安部公房の「他人の顔」(新潮文庫)を読み始めた。通読には未だ時間が要るので、内容に関する覚書などは差し控えておくが、滅法面白い。十年以上前、大学に進んだばかりの生温かい春の季節に、下高井戸駅啓文堂書店だったか、或いは新宿の紀伊国屋書店で購入したと思しき、ページの上端に茶色の紙魚が浮いた手許の一冊は、最初に読み始めたときには、その陰鬱な空気に堪えかねて少しも前に進めなかったことを、漠然と記憶している。

 年齢を重ねれば感覚的な嗜好にも少なからず変化が生じるのは自然な現象であり、寧ろ十年経っても一向に趣味や感受性の内訳が固定したままでは、人間として危機的な状況に瀕していると言わざるを得ないのではないだろうか。十代の終わりから三十代の初頭にかけての十年間は良くも悪くも甚しい変容が、人々の身辺に降り掛かり易い季節である。否が応でも、子供の頃の青臭い蛹を脱ぎ捨てて、蛆虫の立場から逃れ出て、空を羽撃けるように懸命に練習するのが二十代の青年に課せられた気詰まりで苛酷な使命であることは、一般論として疑いようがない。

 そのとき、その瞬間には気付かない些末な変化であっても、改めて半生を(三十一歳の男が「半生」を叙するなど馬鹿げた話だ)振り返ってみると、少なからぬ変異が幾度も自分の魂を洗っていたことに不意に想到するのだから、不思議なものだ。昨日の自分と今日の自分との間に差異を発見することは困難な作業だが、十年前の漠然と霞み始めた己の面影と比較すれば、色々と奇妙な乖離に眼を啓かされることになる。

 四月から来期の新入社員が、私の管轄している店舗にも配属されてくる。その女の子は短大卒なので弱冠二十歳である。そして凡そ十年前、私が最初の結婚相手に選んだ年上の女性は、当時九歳の娘を連れていた。離婚して以来、その子とは一度も逢っていない。厳密には一度だけ、松戸の街中で邂逅したらしいのだが、私は気付かなかった。

 春から配属される新入社員と、恐らくは二度と会うこともないだろうと思われる義理の娘が、同じ年に千葉県で生まれ、成人式を迎えたという客観的な事実は、別に奇遇でも何でもない。単に私が齢を重ねたという生理的な事実を暗黙裡に傍証しているに過ぎない。

 入社したばかりの頃、配属先の店舗で働いている学生のアルバイトたちは皆、一つか二つ年上で、況してや主力のフリーターや主婦などは無論、私より遥かに成熟した、世慣れた人々であった。上司も同僚も悉く私より年長で、そういう感覚が未だに染み込んでいる所為か、徐々に後輩社員の数が増えつつある現実に、精神の構造が巧く馴染んでいかないような感覚がある。毎年のように新入社員を迎え入れ、その度に一つずつ年齢の開きが大きくなっていく。未だ三十歳だとも言えるし、もう三十歳だとも言える、この中途半端な年齢の自分自身が、何処か赤の他人のように遠く感じられることもある。知らぬ間に随分と、出発点から遥かに隔たった地点まで、彷徨する序でに流れ着いてしまったような、塩水に浸った南洋の流木のような心境が、私の魂に薄絹を被せている。時間の感覚が狂っていく。自己定義は何時までも十代の頃と余り変わらぬような気がしても、肉体は着実に劣化していき、精神の方も無論、我知らず硬変の症状を示しつつあるのだ。

 間もなく一歳の誕生日を迎える娘を持ち、住宅ローンを背負って粉骨砕身、いやそれほど生真面目でも情熱的でもないが、課せられた責務に少しでも見合うように働きたいという願望だけは忘れずに常時携えて、日々を過ごしている以上、もう自分を若者として定義するのは、深刻な誤謬であると悟らねばならないのだろう。その境目は単純に客観的な数値としての年齢に基づいて、截然と区切られるものではなく、個人によって隔たりの大きい、曖昧な線引きであることに留意すべきだ。何かを背負い込み、責任を負ったときから、つまり自分の人生が「自分だけのものではない」という明瞭な倫理的感情に捕縛された瞬間から、私たちは「無謀な若者」としての自己定義と絶縁しなければならない。「自分の所有物としての自分」という奇妙な命題は、他人との間に強靭な紐帯を締結したとき、根源的な破綻の危機に瀕する。無論、それを「危機」と捉えるかどうかは、個人の裁量に委ねられている。だが私は、今更「無責任な自由」に憧憬を捧げようとは思えない。それが「老化の徴候」であることに同意するのは不快ではない。ただ、そこにある道を往くばかりである。