サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

ドリトル先生の想い出

 どうもこんばんは、サラダ坊主です。

 最近、一歳になった娘が、リビングに置いてある数冊の絵本に、以前よりも関心を示すようになりました。

 その日の気分で、関心を示す対象となる絵本は異なるのですが、気に入ったものは熱心にページを開いたり閉じたりして、念入りに見凝めています。読み聞かせをしてあげると、以前は直ぐに気を散らして絵本を無理に閉じたり跳ね除けたりしていたのですが、最近は大人しく耳を傾けている時間が長くなってきました。些細な変化ですが、親の立場にしてみれば、嬉しい成長です。尤も、未だに絵本の役割や価値を理解している訳ではないので、偶にページの隅っこを齧って呑み込んでしまうこともあります。

 そうやって少しずつ「書物」というものに関心を高めていくのだなと、幼い娘の姿を眺めつつ、ぼんやりと考えていました。振り返って、自分はどうだったのだろうと記憶を遡行しようにも、流石に一歳児の頃の想い出まで辿り着ける見込みは皆無です。もう少し大きくなって、或る程度は日本語という社会的な媒体を理解するようになってからの記憶の断片しか、脳裡には甦ってくれません。

 今でも子供の頃の読書経験として鮮明に覚えているのは、ヒュー・ロフティングの綴った有名な物語「ドリトル先生」シリーズのことです。井伏鱒二の翻訳で、岩波少年文庫に収められていた、この児童文学の古典を、小学校へ上がって間もない頃の私は熱心に読み耽っていました。作品との邂逅は、母親が当時加入していた大阪の生活協同組合に注文した「ドリトル先生アフリカゆき」が最初の契機でした。爾来、一冊を読み終える度に母親へ続刊を買ってくれるようにねだる日々が始まりました。やがて全巻読了も間近という段階を迎えた或るとき、父親が私の誕生日の御祝いに、残りの数冊を纏めて買ってきてくれて、胸が高鳴るほど嬉しかったのを覚えています。何の飾り気もない、無骨な茶色の紙袋に包まれた数冊の書物が、当時の私にとっては、全く新しい世界へ通じる扉の、貴重な鍵のように輝いて見えたのです。

 日清のカップヌードルを啜りながら、日曜日の午後に居間の食卓で読んだ「航海記」や、集中する為に夕食後の暗い子供部屋で、学習机の灯りだけを点けて読んだ「月からの使い」など、こうして振り返ってみると、読書の記憶と分かち難く結び付いた様々な想い出が、艫綱に縛られた小舟のように、眼裏へ切れ切れに浮かび上がってきます。それは私の少年時代の、郷愁を帯びた断片であり、大袈裟に言えば、生きることと読むことの切り離し難い連結を示す象徴のようなものなのです。

 何が幸福で、何が不幸なのか、その境界線を明確に見極めたり、定義したりすることは、時々とても困難な作業のように感じられるものです。辛く哀しい記憶さえ、纏まった日月が過ぎ去った後では、その苦しさゆえに却って懐かしく、切なく、甘美に感じられることもあります。少年時代の私は、必ずしも自分が幸福な人間であるとは考えていませんでした。小学校へ上がったばかりの頃は、幼稚園の頃から通っていた公文式の効果に助けられて、科目を問わず、どのテストでも満点を取ることが当たり前で、先生や周囲の保護者のみならず、純朴な同級生たちからも讃嘆の言葉を浴びせられることが日常でしたが、徐々に、自分は勉強以外に取り柄のない、退屈な人間なのではないか、という不安に囚われることが多くなっていきました。しかも、本来の私は決して熱心な勉強家という性格でもなかったので、公文式の貯金を使い果たすと、唯一の取り柄である筈の学校の成績さえ、下降線を辿るようになりました。私は、自分にどんな価値があるのか、それを確かめる術も、それを信じる為の根拠も、共に見失ってしまったのです。それは深刻な精神的苦痛を、少年であった私の魂に鋭く刻み込みました。

 精神分析で知られるフロイトの学説に、人間は何らかの失錯を犯すと、それを合理化し、正当化する為に、敢えて同様の失錯を重ねようとする、という奇妙な悪弊に関する認識が語られていたような記憶があります。私は己の学習成績の下降を正当化しようと試みるかのように、敢えて意図的に勉学から顔を背けるようになりました。勉強熱心であるということは即ち、退屈な人間であるということだ、という如何にも思春期の少年が案出しそうな短絡的命題が、私の精神を呪縛したのです。結局、その倒錯的な反動はいつまでも痼疾のように消え残り、遂には大学を一年で中退する仕儀と相成りました。

 社会の敷いた標準的なレールから逸脱したいという執拗な性向が、少年期の反動だけを理由に説明し得るものなのか、未だに私は明確な裁定を下すことが出来ずにいます。大人になってからは寧ろ、そういう逸脱への欲望や親和性が、生きていく上で悩みの種となりました。今でも心の奥底、或いは片隅には、尤もらしい正義や常識に反発しようとする幼稚な蛮勇が息衝いていることを感じることがあります。

 随分と表題から乖離した記事になってしまいましたが、今夜はこの辺で失礼致します。

 

「ドリトル先生ものがたり」全13冊セット 美装ケース入り (岩波少年文庫)

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