サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「独裁者」に就いて

 最近、米国のドナルド・トランプ大統領は、ロシアとの「不適切な関係」を取り沙汰されて、四方八方から攻撃を受けている。ロシアのラブロフ外相に同盟国(イスラエル)から入手した機密情報を流したということで、国内の情報機関からも敵視されているらしい。東西冷戦時代の宿敵であったロシアとの癒着が事実であるとすれば、アメリカの国益を死守することを目的とする情報機関(CIAやFBI)の人々が激昂するのは自然な成り行きであろう。

 事実関係に就いては、私は何も判断する材料を持たないが、何れにせよトランプ大統領が国内のメディアに対して極めて露骨な敵意を剥き出しにしている現実(ロシアとの癒着疑惑を大っぴらに報道されることが気に食わないようだ)は、政権の遠からぬ末期を予測させる。大統領選挙におけるトランプの衝撃的な勝利の原因に就いては、様々な議論や憶測が今日まで囂しく飛び交ってきたが、そういう具体的な経緯が如何なるものであれ、トランプが一国の元首に相応しい人格の持ち主であるとは思えないという世間の素朴な感想の正しさは、いよいよ立証されつつあるように感じられる。

 無論、元首が隅から隅まで清廉潔白である必要はないし、デモクラシーに基づく政治と社会の運営を選び取った近代国家において、多少なりともポピュリズムの傾向が強まることは避けられない現象であろう。だが、大衆の支持を得た者が政治的な正当性を手に入れるという原則に対する尊重を忘れないとしても、ドナルド・トランプの政治的手法は、明らかに歴史的な理想と対立している。彼は近代社会が少しずつ積み上げてきた諸々の理想的な観念を土足で荒々しく踏み躙ることによって、合衆国の政治的絶頂に昇り詰めた。選挙に勝利した者が政治的な正当性を認められるというデモクラシーの原理は、ドナルド・トランプの下品な言論活動によって、その栄誉を明瞭に毀損された。彼は自らの方針や信条に反対する者を劇しく非難し、触れられたくない問題に容赦なく嘴を突き入れるメディアを中傷することに聊かの痛痒も覚えない人物である。だが、報道の自由言論の自由が、如何なる歴史的経緯を踏まえて形成されて来たのか、それを少しも考慮しないように見える彼の粗野な政治的手法は、厳しい詮議の対象に据えられるべきである。ドナルド・トランプが如何なる政治的信条を持とうと、確かにそれは本人の有する市民的自由の範疇に属する問題だが、彼が大統領であるという事実に就いて、過剰な意味づけを施す必要はない。これはデモクラシーの無惨な失錯の驚嘆すべき実例である。

 広義の政治が、清廉潔白な倫理的態度だけで成り立つものではないこと、それは誰しも自らの経験に照らし合わせて理解している。だが、ドナルド・トランプの問題点は、彼が清廉潔白な人間ではないという当然の事実に根差しているのではない。重要なことは、彼がアメリカという国家が今まで象徴してきた先鋭な理想主義を、決定的に破壊しているという点に存する。奇しくもロシアとの癒着が疑われている今、トランプを自由主義の国家に侵入した古臭いファシズムベクターとして定義することは、必ずしも荒唐無稽の暴論であるとは言い切れないだろう。無論、現代のロシアを全体主義国家と呼んで蔑むことは出来ないが、スターリンの時代の記憶を、完全なる過去の亡霊として忘却するのは、賢明な振舞いではない。

 移民やイスラム教徒に対する威圧的な差別、貿易赤字に関する強硬で独善的な憤怒、そうした見苦しい短所に加えて、彼の人格的未熟さを露骨に象徴しているのは、メディアに対する露骨な(無思慮な)嫌悪の表明である。彼はメディアに対する誹謗中傷を辞さないが、恐らく本人は自身に対するメディアからの誹謗中傷への、当然の報復を行なっているに過ぎないと考えているのだろう。或いは、控えめな反発を示しているに過ぎないと信じているかも知れない(定例会見の中止の意向を示すくらい、大したことではないと考えているのではないか)。だが、メディアに対する嫌悪が、自分にとって不都合な真実を報道しようと試みる人間に対する憎悪なのだとすれば、彼の怒りは余りにも幼稚で、自己中心的である。合衆国の大統領であるということは決して、絶対王政の君主であるということではない。彼は人民に委託されて政権運営を担っている公僕の長であるに過ぎない。

 ドナルド・トランプの様々な振舞いが、如何にも典型的な独裁者の風貌に相応しいものであることは明らかなのに、彼が米国の民衆の支持を集めて元首に推されたという事実は、本来ならば慨嘆すべき事態である。バラク・オバマの理想主義が政治的な実効性を発揮し得なかったのだとしても、その後釜にトランプを据えれば種々の社会的問題が解決すると信じ込むのは余りにも無思慮な反動の産物だろう。

 美しい理想を語るだけで役に立たない元首が退くのは当然だと、米国の恵まれない白人たちは訴えるかも知れない。だが、ドナルド・トランプが元首として有能であると信じ得る根拠は見当たらない。成功した実業家が、成功した合衆国大統領に転身し得るとアナロジカルに考えるのは個人の自由だが、それは飽く迄も表層的な類推に過ぎない。そもそも、あれほど差別的で粗野な人物が、成功した実業家として認められているという事実自体が、私にとっては信じ難い話なのだ。そこにはアメリカという国家の特殊な「体質」が関与しているのだろうか。