サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「千葉公園」

 一昨日は仕事が休みで、妻は独り美容院に出掛けた。珍しく娘と二人きりである。単独の子守りを仰せ付かる機会は殆どない。昼飯を食べさせてから、晴れ間が広がってきたので、娘を連れて散策へ出掛けることにした。

 とりあえず新装開業したばかりの千葉の駅ビルを見物に行った。ベビーカーを押しながらの移動なので、階層を上下するのが手間である。エレベーターは狭く、混み合っている。六階の書店と東急ハンズが入っているフロアを最初に眺め、五階の飲食店と雑貨のフロアに移り、屋外庭園へ出てみた。娘を遊ばせようと思ったのだが、折悪しく彼女はベビーカーに揺られて眠りに落ちてしまっていた。

 暫く眺めて飽きてしまったので、駅ビルを出て、千葉公園口の方角へ歩いて行った。特に何の宛てがあった訳でもなく、単純に時刻も未だ早いので、もう少し千葉の街並を散策してみようと思い立ったのだ。

 エレベーターを降りたところで、千葉市中央図書館の在処を告げる標識を発見した。千葉市に移り住んでから、図書館を訪れたことは一度もない。興味を惹かれて、標識の指示に従い、緩やかな勾配の道を歩き出した。余り人通りのない、住宅地の間を走る小径である。

 途次、市街地の案内図を記した看板に行き当たった。千葉市中央図書館は、道なりに直進した先にあり、その向こうには千葉公園の広大な敷地が広がっているらしい。公園の傍には、千葉都市モノレールの駅が置かれている。図書館を少し覗いて、娘が眼を覚ましたら、公園で遊ばせようと考えた。帰りはモノレールに乗って千葉駅まで戻り、そこから京成線に乗り換えて家路に就けばいい。

 千葉市中央図書館は、立派な外観を備えていて、敷地の端、交差点に面した辺にドトールコーヒーの店舗を併設していた。硝子越しに眺めた印象では、割と閑散としている。娘も寝ていることだし、陽射しは強まってきたし、冷たいコーヒーでも飲んで一休みしようと思い立った。駅のホームで買った缶コーヒーは、娘が延々と握り締めて振り回し続ける所為で、すっかり生温かい泥水のような状態に変貌を遂げていたのである。

 冷涼な店内に入り、一番奥まった卓子に席を確保して、アイスコーヒーとジャーマンドッグを注文する。この組み合わせを味わうのは久し振りだ。柏に通っていた頃は、出勤前にしばしば立ち寄った。娘が目覚めないのをいいことに、ナボコフの「ロリータ」の続きを読む。とても面倒臭い、入り組んだ文章を好んで書く作家だ。しかし、そこには夏目漱石をもっと腹黒くしたような印象の知性的なユーモアが隅々まで滾っている。言葉を拳銃のように弄ぶ才能に恵まれた人物なのだろう。

 数ページを読み進めて、グラスの中のアイスコーヒーが残り僅かになったところで、娘がベビーカーの幌を自分の手で跳ね上げて起き出した。それを合図に本を閉じ、千葉公園に向かって移動を開始した。

 下り坂の道を進んでいくと、公園の敷地に通じる勾配の急な階段に辿り着いた。階段の中央部分が、幅の狭いスロープになっている。腰を沈めてゆっくりとベビーカーを押していき、下まで降り切ったところで娘を歩かせることにした。

 木々の豊富な公園の敷地には幾つか運動場のような広場があり、高校生くらいだろうか、若い男たちが球技に興じていた。空のベビーカーを押しながら、娘と一緒に舗装された道を散策する。日除けの帽子を被った娘は、日盛りの空の下を悠然と歩いていく。もう随分と大きくなった。こんなに自由に、堂々と歩けるようになるとは、半年前には想像も出来なかった。成長は常に想定を裏切るものだ。そうでなければ、それは成長とは言えない。

 モノレールの駅に程近い、木蔭の坂道の辺りで、自転車を押して坂を登ってきた見知らぬ老婆と遭遇した。小さな足で元気に歩く娘の姿に、立ち止まって眼を細めている。坂の横にある、崖を下った先の運動場では、草野球の素っ頓狂な掛け声や叫び声が、次々に泡沫のように顫え、弾けていた。娘が立ち止まって、騒めきの生まれる方角を興味津々の表情で指差し、おうおうと声を出す。

 自転車に興味を惹かれて、娘が物怖じせずに近づき、華奢な指先でチェーンやサドルに触れるのを、老婆は和やかな表情で眺めていた。パパとお散歩いいね、ピンクの靴が可愛いね。話し掛けられて、娘はきょとんと老婆の顔を見上げる。暫く経って、老婆がじゃあね、バイバイと告げると、娘は不満げに鋭い声を発して嫌がる。そういう遣り取りを幾度か繰り返した後に、老婆は坂の上へ消えていった。

 敷地内に飾られた蒸気機関車を一頻り眺めた後、娘をベビーカーに戻して、千葉都市モノレールで私たちは家路に就いた。翌日、娘の躰に八箇所くらいの虫刺されがあったことを、妻に注意された。改めて考えてみれば、私の配慮が足りなかったのだ。新米の父親の行く手には、学ばなければならない知識が堆く山積している。

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晩夏の千葉公園の散歩道