サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

詩作 「心拍数」

いつものように

しゃべっていた

仕事終わりの

夜の休憩室で

古いテレビから

足摺岬を蹂躙する台風十号のニュース

暴風域は

おそろしく広い

だけど別に関係ないよな

膝を組んでタバコを吸ってた

缶コーヒーはもう温くなっている

なにかしゃべっていて

なにか答えようとして

テレビから君に視線を移した

予想してなかった

君は頬杖をついて

憧れるように

こっちを見つめていた

キラキラする瞳に思わず焦った

なんだか急に

心の側溝から

栗鼠かなんかが もぐりこんだ感じで

恥ずかしくなって

タバコの煙が染みたふりして

君の目線を避けた

心臓が甘くふるえるんだ

何だろうな

君に彼氏がいるのは前から知ってるし

だからこういう時間は

いわばタバコを吸うような愉しみ程度に

留めておきたいと思ってたんだ

タバコを吸うついでの雑談が愉しいよねって程度に

抑えとかなきゃ

後悔するし やるせないでしょ

だからそんな目で見るなよ

そんなにまっすぐ

こっちを見るなよ

 

普通にしゃべろうと思ったけど

言葉が宙を舞ってる感じで

それでも別にぎこちない空気にはならない

きっと無意識に見つめてたんだろう

それが余計に悪質だよな

はっきり言って

その幸福な笑顔はかわいかったよ

休憩室の切れかかった蛍光灯のしたで

その幸福な笑顔はキラキラしてるから

俺だって見とれたいけど遠慮しておく

さあ いつもの感じに戻ろうぜ

どうせ君には男がいるんだ

 

想うことは

様々な意味の重ね書き

一緒に過ごす時間に

「かけがえのない価値」を見出すのは

勝手な妄想だけどさ

でも その笑顔を眼裏に思い浮かべる度に思うんだ

このありふれた時間は

君にとっても「かけがえのない価値」を

抱きしめるような瞬間であったりしないのかな

 

そろそろ帰ろうぜ

ストイックに

越えられない距離の切なさを黙らせるんだ

今日も疲れたなあとか言いながら空き缶を捨てる

それから何か

くだらない冗談でまた君を笑わせてみる

物まねでも下ネタでも何でもいいから

最後の最後まで

君が女子更衣室のドアの向こうに消えていくまで

笑わせてやる

その笑顔が残像のように

この網膜を焼いてくれますようにと

君はさっき 幸せそうに笑ってたね

ちなみに俺だってほんとうは同じように幸せな笑顔で見つめ返したかったよ

そんなことは口が裂けても言えないけど

でもいっそ

口が裂けてもいいやって思えるぐらい 好きになりたいな

 

坂を転がるように

ハンドルも握らずに飛ばす自転車のように

夏の風を浴びて

毎日すこしずつ近づいている

なにか明確な根拠があるわけじゃなくて

カラダが明るいシグナルを捉えてるんだ

前はそんな風には少しも思わなかったのに

そんな未来を予想したこともないのに

君に男がいることは知っていたのに

時間が積み重なって

笑顔のまぶしさに額を撃ち貫かれたように

だんだん自分を抑えるのが面倒になってきたよ

そんなに素敵な笑顔で

甘ったるくないけど高くて凛と響く女子の声で

呼び掛けられたら

誰だって道を踏み外すでしょ

心拍数が上がるでしょ

 

恋に落ちた後でも

結ばれた後でも

そして別れて連絡が途絶えた後でも

あの夏の夜は何だか忘れられない

未練はもう捨てたけど

あの夏の夜の君はとても素敵だった

今どこで何をしているのか知らないけど

あの笑顔なら男を落とすのは簡単だぜ

 

夏の夜の休憩室で

切れかかった蛍光灯のしたで

ニュースは足摺岬を襲う台風について語っていて

雑談の合間に

ふと君を見た瞬間に

きっと恋に落ちていた

自分は世界でいちばん幸福な人間だと

思い込めるくらいに

輝いていた

遠い夏の夜の

古びた休憩室