サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(蹉跌・苦悩・里程標)

*昨夜、仕事の後、退職を希望する部下の社員と酒を交えて話をした。強く慰留しようという意思を持って、その場に臨んだ訳ではない。ただ、自分の経験を踏まえて、幾つかアドヴァイスを試みた。

 その女の子は、典型的に仕事が出来ないタイプである。第一に自分に自信がなく、自分の考えや意見をはっきり主張することが出来ず、そもそも自分自身の内面と対話する力が薄弱である。自分自身と向き合い、自分自身の真率な感情を汲み上げていく「思考」の努力が不得手なのだ。だから、自分自身に固有の基準や価値観を樹立することが苦手で、結果として自信が持てず、風見鶏のように他人の意見や思惑に振り回され、蹂躙されてしまう。彼氏候補だと思っていた相手が詐欺師だったこともあるらしい。

 自分で自分を信じることが出来なければ、失敗を成長の材料として活かすという普通の努力を維持することが難しくなる。他人の顔色を絶えず窺い、委縮しながら働くので、充実感や達成感も得られない。当事者意識や責任感も弱まり、指示待ちの受動態の傾向が亢進する。つまり、悪循環なのである。

 極めて初歩的な業務でも、つまらないミスが続くこともあり、私は幾度となく厳しい口調で叱責してきた。その重圧に堪えられなくなった所為もあるのだろう。自信を失い、これからの成長を自分に対して期待することも出来ず、挫けてしまったのだ。

 彼女は最初に私を飛ばして、私の上司に退職したいという意思を伝え、峻拒されたらしい。直属の上司は私なのだから、そこを飛び越えられたら、私としても立場がない。怖くて言い出せなかったのかも知れないし、言葉巧みに丸め込まれる不安もあったのかも知れない。本人に訊ねると、最初に私の上司(仮にYさんとしておこう)に言わないと、Yさんに怒られるんじゃないかと思った、Yさんに伝えた後、私にも伝えた方がいいかと訊ねたら、今は伝えないで内密で進めたいと言われた、だから今日まで話せなかったという返事であった。彼女の奇妙な気の廻し方にも問題があるが、何となく彼女の言い分は理解出来た。Yさんは、自己評価の高い人物であり、もっと端的に言えばナルシシズムの強い人間である。彼は部下に依存されることを自分の能力の証、自分に対する信頼の篤さの証だと思っているところがある。「おれが守ってやるから」と部下の女性社員に囁くのが、彼の常套手段である。それに酔ってしまう愚かな人も世間には存在するだろうし、彼も幾つかの成功体験を踏まえて、その手管を常套に選んでいるのだろう。そのこと自体の是非は、私の関心の埒外である。ただ、私よりもYさんの方が、彼女との業務上の繋がりは長いので、恐らく奇妙な親分肌を発揮して、何で最初に俺に相談しないんだと暑苦しい怒りを向けてくる懸念は確かに存在する。それを心の弱った彼女が懼れるのも止むを得ない。

 一昨日、日中に店へその上司から電話があり、その前日に売り場で、彼女が仕事中に泣き崩れてしまったと報せてきた。その日、私は休みだったのである。彼女が泣いた理由を訊ねても、上司は仕事のストレスが原因などと曖昧な返事をするだけで、今一つ核心に触れようとしない。言葉を濁しているような口振りで、私は腑に落ちなかった。そこで先日の勤務表を記憶の中から呼び覚まし、現場に居合わせていただろうと思われるスタッフに、それとなく事情を訊ねてみた。彼女は、その話を誰から聞いたのかと、警戒心も露わに訊ね返してきた。Yさんからだと告げると、観念したように口を開いた。本当は、店長には絶対に私が泣き崩れたことを話さないでくれと、当人から念押しされていたらしい。何故、中途半端にYさんが私に昨日の出来事を話したのか、理解し難いと、その子は憤慨していた。話すなら洗い浚い総て話せばいいし、伏せるならば水の一滴も漏らさぬように伏せるべきだ。全くである。

 夜、改めて上司に電話で事情を確認した。彼は私に真実を話さなかったことを詫び、自分の感触では、退職まではいかずに抑え込めると思う、だから今の段階で騒ぎにはしたくない、だから伏せておいたのだという、不可解な理窟を弄した。本当に退職の意思を覆せるのか、既に数回の慰留は経ているという話を聞いていたので、正直な感想として、私には上司の自信が疑問であった。だが、彼がそう言うのならば、部下の立場では信じるしかない。私も明日本人と勤務が重なるので、終業後の落ち着いたタイミングを見計らって話を聞いてみますと言ったら、余り深く掘り下げない方がいい、軽く話を聞くくらいに留めた方がいいと言う。だが、こういう事情で、軽く話を聞くことに何の意味があるのか、私には理解出来なかった。何か後ろ暗い事情でもあるのかと、勘繰りたくなった。

 翌日、彼女は余り元気がないように見えた。営業中は相手の心理的動揺を避ける為に、退職の件に就いては一切触れなかった。終わった後、酒を飲みながら話をした。Yさんは退職の意思を覆せると自信を示していたが、開口一番、彼女は四月末に会社を辞めたい、その決意は極めて固いと明言した。やっぱりか、と私は思った。Yさんの慰留は、私も過去に受けたことがあるから言えるのだが、余り心に響かないのである。相手の為を想った説諭というより、自己満足的な独り芝居のように聞こえるのである。

 私は過去の自分の経験を材料に、退職という形で何もかも一時に投げ捨てずとも、異動や休職など、状況を変える手段は幾らでもあること、だから短慮を控えるべきであること、今の状態では極めて後味の悪い、消極的な退職となってしまい、次の人生に進む積極的なエネルギーを持つことが困難であろうこと、そこからの再出発が極めて精神的な負担となるであろうこと、などを説いた。別に何が何でも退職の意思を覆してやろうと意気込んでいた訳ではない。重要なのは、彼女が状況を冷静に判断し得る精神的な余裕を取り戻すことである。

 私が最も強調したのは、どんなに完璧に見える人間であっても、弱点や苦悩を抱えていない者は皆無であること、自分だけが苦しんでいるように見えるときでも、誰もが平等に固有の悩みを苦しんでいること、本当に苦しいときは、眼前の苦しみが未来永劫続くように感じられるけれども、状況は必ず変化していくものであること、自分の力量に適した環境で働くことは少しも恥辱ではないこと、だから異動や休職を選択することを恥じる必要はないこと、何度でも遣り直せばいいのだということ、そして何より、自分の未来を信じること、などであった。私が淡々と話している間、元来泣き虫である彼女はずっと泣いていた。話し終えた後、彼女に考え直す気になったかと悪戯っぽく訊ねてみると、泣き崩れた顔で笑いながら、ちょろい女だと思われるかも知れないけれど、考え直すことにしますと言った。Yさんに四回慰留されても退職の気持が全く揺らがなくて、自分の人間性に問題があるかと思っていた、と彼女が言うので、俺も慰留されたことがあるから言うけどさ、あの人の慰留、全然心に響かないんだよね、何にも分かってないんだよなと答えたら、彼女は肩を竦めて笑っていた。

 或る環境に固執して、ずっと居座って続けることが常に正しいとは思わない。辞めることより続けることの方が常に尊いとは言えない。だが、続けられる余地というのは、探せば意外に掘り当てられるものだ。しかも彼女は少なからず、職場の人たちのことを愛していた。仕事を裏切り、見捨てることは案外簡単だが、共に働く人々を裏切ることは常に困難である。共に働く人々を愛せるのならば、嫌いになった仕事を再び愛することは容易である。無論、彼女の選択は長い人生における、一つの里程標に過ぎない。その里程標が重要な分水嶺だったと想える日が訪れるかどうかは、これからの彼女の生き方次第である。何れにせよ、私は彼女の健闘を祈るばかりである。