サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(共依存・執著・渇愛)

*「共依存」という言葉がある。元々はアルコール依存症の患者とその家族との癒着した関係性の病態を指す為に、看護の現場から案出された概念であるらしい。その語義を極めて大掴みに咬み砕いて言えば「特定の人間関係に対する過剰なアディクション(addiction)」ということである。現在では「共依存」という観念は、アルコール依存症の事例に限らず、幅広い人間関係の特殊な病理に適合されているらしい。

 この半年くらい、個人的な主題として「自立と依存」ということに就いて考えている。遡れば、二十代の半ばから現在に至るまでの間、多かれ少なかれ「自立と依存」という問題は私の主要な関心の対象となり続けている。私が本当の意味で「自立と依存」という問題に就いて深刻な思索を開始したのは、二十五歳で離婚したときである。私と前妻が離別に至った背景には様々な問題の複合的な堆積があり、それらの多くは偶発的な事件に過ぎなかったかも知れないが、修復を図る為の一年を過ごして、二十五歳の初夏に離婚を決断したときに、五年半の夫婦生活を総括して、私は自分の依存的性質が、家庭の破局という不幸な事件の最も根本的な要因だったのではないかと結論した。良くも悪くも、私は前妻に対して過剰に依存していた。自分が依存しているという端的な事実に気付けないほどに、深く依存し、その結果として相手を支配することに躍起になっていた。当時の私にとって、愛することは束縛することと同義であり、自他の境界線を消去したいという不可能な欲望に忠実に振舞うことを意味していた。無論、それは青臭い男の自己中心的で幼稚な妄想に過ぎない。そのような不可能な欲望を人間関係の現場に持ち込めば、不毛な軋轢が生じることは避け難い。それが様々な対立と抗争の温床となり、私たちは当初の熱烈な愛情を失い、互いを憎み、恨み、最終的には沈着な絶望へ流れ着いた。

 そのとき私は痛切に、自分の依存的な性質を改めて、自立に向けた行動へ着手しなければならないと感じた。離婚に当たって一人で不動産屋へ行き、実家には戻らず独り住まいの安アパートを借りて転居した。荷物の運搬を手伝ってくれた前妻が、にこりともせずに車に乗って去っていった夕暮の息詰まるような寂寥を、私は今でも明瞭に記憶している。しかし、私はそこから始めなければならなかった。未練を断ち切り、自分自身の潜在的な力を信じて再起し、回生する以外に選択肢はなかった。

 だが、未練は容易に私の胸底を去らなかった。結局、私は本当の意味で自分自身を信頼する覚悟を持っていなかったのだ。私は淋しさに堪えかねて実家へ舞い戻り、離婚した後もしばしば息子を保育園から連れ帰って遊んだ。やがて前妻が、貴方はもう自分の人生を生きた方がいい、息子や過去に執着しない方がいいと伝えてきた。今になって顧みれば、前妻の提言は正論であったと思う。結局私は淋しさに堪えかねて、失われた過去への哀傷に縋って、幻影に依存することで壊れかかった自分を支えようとしていたのだ。だが、過去の幻影に縋り続ける限り、未来を切り拓くことは出来ない。私は自分自身の人生を生きようと思った。どんなに淋しくとも、そのように覚悟を固めて歩き出す以外に途はないのだと、自分自身に言い聞かせた。

 その途端に恋人が出来て、私は目先の淋しさから脱け出すことが出来た。それは自信を恢復する一助となったが、結局のところ、貴重な自立の機会を奪うことにも繋がった。本当はもっと、孤独の泥濘に踏み止まって、己の力を鍛えることに専心すべきであったのかも知れない。新しい恋人は、傍目にはさっぱりとして気丈な性格であったが、蓋を開けてみれば随分と依存的な女性で、結婚していた頃とは一変して、私は依存されることの重苦しさを味わうようになり、精神的に疲弊もした。夜中に繰り返し届く着信を無視して寝入ったことも何度かあった。安っぽいホテルの一室で明け方、泣き喚く彼女の錯乱した罵声に黙って堪えたこともあった。

 だが、それでも別れは先方からの一方的な通告で訪れ、私は深く傷ついた。深く傷つくということは、私の方でも知らず知らず彼女に依存していたということだ。求めるばかりが依存ではない。与えることに歓びや生き甲斐を見出す形の依存も存在するのである。世間には、求めることは愛ではない、与えることが愛なのだという尤もらしい指南が広く流布しているが、そうした考え方は短慮ではないかと私は思う。求めようと与えようと、相手に対する過度の執着心が存在する限り、そこに健全で幸福な人間関係など成立する筈もないのである。保護者を気取り、慈悲深い人間であると自負して誰かに接するのは、ナルシシズム的な倒錯に過ぎない。彼らは相手が自分の捧げる愛情を受け容れないと知ると、俄かに憤り始めるだろう。

*「自立と依存」における根本的な問題は「求めるか、与えるか」の二元論的な対立などではなく、そもそも特定の人間への「執着」そのものであると言い得るだろう。仏教的な言い方を用いるならば「執著(しゅうじゃく)」であり「渇愛(かつあい)」である。何かに囚われ、過剰な固着を示すことが、人間関係を荒廃させ、健全な愛情の発展を阻害する。正しく愛する為には寧ろ、相手に対する過剰な思い入れを抹殺しなければならない。依怙贔屓を「運命的な愛」などと誇大に美化する悪習を断ち切らねばならない。愛情は特定の対象に限って注がれるものであってはならない。如何に我が子が愛しくとも、自分の子供だけを愛して他人の子供には見向きもしないという態度は、愛情ではなく執著でしかない。愛情は理論的に、特定の対象を持たず、普く広がっていく性質を備えているものなのだ。

 だからこそ、私は依存したくないと思う。自分の力で自分を支えなければならないと思う。他人の力を借りるのは、時には必要な選択である。そもそも私たちは高度に精密化された分業社会の一隅に暮らしているのだから、何もかも独力で成し遂げようと試みること自体、驕慢な謬見には違いない。但し、私が考えている自立とは、何もかも独力で成し遂げる生き方を指しているのではない。それは自分自身の力に対する依存に過ぎず、我執の最たるものであり、いわば「増上慢」である。私が言いたいのは、そのような窮屈な生き方への讃歌ではない。重要なのは「責任を持つこと」である。他人の所為にしないことである。総てを自分の決断の帰結として引き受ける覚悟を固めること、それが自立への重要な里程標となる。禍福は他人の齎す財貨ではない。私は私の幸福も罪も総て、自分の問題として引き受けながら生きたいのだ。