サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(集大成・夏風邪・賞与)

*引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)をちまちまと読んでいる。もう直ぐ全体の半分ほどの地点まで到達するところである。詳しい感想は全篇を読了した後に綴る心積もりだが、備忘の為にメモを記しておきたい。

 この「鏡子の家」という分厚い小説は、それ以前の三島の充実した作品群の集大成という呼称が相応しいように思う。作中に登場する四人の重要な青年たち、即ち杉本清一郎、深井峻吉、舟木収、山形夏雄の四名は、過去の作品に登場した主役たちの残響を濃厚に伴っているように見える。例えば世界の破滅の確実な到来を信じながら、他の誰よりも世俗の塵埃に塗れて悠然と泳ぎ回っている杉本清一郎は、毒薬を通じて己の「死」を所有することで、俗界に対する超越性を確保しながら高利貸として華々しい成功を勝ち得た「青の時代」の川崎誠に似ている。内面的な思考の価値を徹底的に否認して、純然たる外面に自己を還元しようとする深井峻吉は、恰かも「潮騒」の久保新治のようである。絶えず鏡面に映じる己の美貌を確かめることで、辛うじて自己同一性の実感を保っている舟木収は「禁色」の南悠一に、そして画家として専ら美しいものに魅せられ、現実の感覚的な風景を、嘗て存在した完璧な美しさの劣化した模写のように位置付ける山形夏雄は「金閣寺」の溝口に比すべき存在であろう。銘々の作品に籠められた特異な論理の航跡が、この「鏡子の家」においては万華鏡のような輝きを以て束ねられているのである。その意味で、作者は「鏡子の家」を通じて、己の創造した過去の絢爛たる文業を冷静且つ入念に総括していると言えるだろう。

*世の中は、夏の賞与を狙った囂しい商戦が闌である。百貨店は中元の贈答や、衣料品のクリアランスセールに忙しい。鬱陶しい梅雨が明け、猛烈な暑気の渦巻く最中、小売業の陣頭に立つ私は、繁忙な日々を送っている。連勤の疲労と冷房に蝕まれたのか、聊か風邪気味である。

 過日、千葉の駅ビルが全面開業し、猛烈な人の出入りが続いている。冷やかしの顧客も多いようだが、何れにせよ賑やかな話題には違いない。残念ながら競合の開業がクリアランスの幕開けに重なったので、猶更休みが取り辛くなった次第である。早く嵐が過ぎ去ってくれないと、体力が保たない。けれども、こういう大々的な事件は滅多に起こるものではないし、商況の変化は勤人にとって、己の成長を促す重要な契機である。泣き言や弱音に明け暮れるのでは退屈だ。新鮮な関心と情熱を以て、苛烈な商戦に身を挺していきたいと思う。

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)