サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

幻想を破壊すること

 人間は自分の知らないことや体験していない事柄に就いても、何らかの理解や判断を持ちたがる生き物である。知らないことは知らないと明瞭に言い切ってしまえば済むのだが、知らないことに就いても彼是と考えを巡らせてしまうのが人間に備わった知性の内在的な原理である。つまり、人間は自分が詳しくない事柄に就いても何らかの見解を表明したがる本能に支配されているのだ。

 自分の体験していない事柄に関して考えるとき、人間は事実ではなく幻想に基づいて思考を営む。その幻想は実相の精確な反映ではないし、実相との間に明確な相関性を有していない場合も多い。全く無関係な事象に関する情報が接合されていることもあるし、往古から受け継がれてきた旧弊な先入観が混ぜ込まれていることもある。つまり、幻想とは実相を隠蔽する奇態な瘡蓋のような役目を担っている。

 人間は誰しも幻想に囚われているし、幻想を少しも持たずに己の実存を営んでいくことは不可能に等しい。だが、それは直ちに幻想に対する全面的な屈服と盲従を容認する理由にはならない。私たちは実相に就いて学ぶことで、幻想の光学的性質によって歪曲された認識の不当性を是正することが出来る。往々にして幻想は私たちの思索を麻痺させ、停滞させ、崩壊させる毒薬である。幻想を受け容れ、その幻想が生み出す認識に安住する限り、私たちの精神は決して事物の実相に到達することが出来ない。

 童貞の少年が性的な事柄に厖大な幻想を募らせるように、或いは未婚の男女が結婚と家庭の幸福に過大な期待を懐くように、私たちは未知の世界に対する欲望を幻想的な情熱の力を借りて劇しく亢進させる。それが結果として「幻滅」に帰結する事例が多いことは、特に悲しむべき問題ではない。幻想の破綻は、厳粛な現実に向かって人間の精神に成熟を促す。根拠を欠いた妄念に囚われて、現実の表層を上滑りしていく不毛を食い止める為には、厳粛な真実に向かって刮目する以外に如何なる有用な方途もない。私たちは幻想に囚われていることを自覚し、幻想の彼方に存在する実相への憧憬を高めなければならない。

 無論、幻想には効用がある。それは私たち人間が未知の対象に就いて考えることを可能にしている。如何なる幻想も持ち得ないならば、私たちは全く新しい何かを創造し、この世界へ送り出す力を育むことが出来ないだろう。現実の地平線から一歩も外へ踏み出すことが出来ずに、世界は保守的で退屈な反復の律動に埋没するだろう。但し、幻想の被膜を衝き破って彼方の世界へ足を踏み入れることが、人間の成熟へ向けた重要な階梯であるという事実は聊かも変わらない。現実に触れない限り、如何なる精緻な幻想も具体的な有用性を発揮することは出来ない。そして幻想に向かって自閉することは、人間の精神に頽廃的な腐敗を齎す危険な選択肢である。

 幻想は極端な感情の振幅を形成することが多い。何故なら、幻想は人間の精神の内側で自在に伸縮し、観念的な膨張を遂げることが容易であるからだ。不用意に拡張された現実の虚像は、人間の精神を動揺させ、現実との聯関を欠いた不可解な心理的現象を目紛しく喚起する。だからこそ、現実への跳躍と幻想の打破は、人間の感情から無益な夾雑物を除去し、そこに実質的な健全さを甦らせる効能を持つ。童貞のままに留まり、彼是と性的な妄想に悶えるくらいならば、さっさと性行為に及んで、無意味な幻想を払い除けてしまった方がいい。結婚生活に無闇に憧れるならば、多少強引な手段を駆使してでも家庭を築き、子供を持ってしまった方がいい。幻想が現実に対する障壁の役割しか担わないのならば、そんなものは早々と打ち砕いて飛び越えてしまった方が余程建設的である。私たちは幻想から、世界に関する知識を学び取るのではない。寧ろ私たちが学習という営為を社会的慣例として往古から継承してきたのは、幻想によって遮蔽された世界の実相に関する知識を獲得する為である。換言すれば、学習とは幻想の打破を、或いは幻想からの脱却を、その主要な目的に据えているのだ。学ぶことは幻想の増幅や深化とは相容れない峻厳な性質を備えている。何かを一つ知る度に、私たちは黴の生えた幻想の衣裳を一枚ずつ脱ぎ捨てていく。余計な妄想に振り回されて現実を見誤る愚昧さから遠ざかっていく。

 他人の意見を鵜呑みにしたり、口さがない噂話や誇大な陰謀論に洗脳されたり、既知と未知との区別や整理を粗雑に遇したり、そういう不誠実な悪習を放置することで、人間の知性は刻々と錆びついていく。自分の眼で確かめ、自分の頭で考えて、無益な幻想の被膜を一枚ずつ入念に排除していく以外に、世界の実相へ肉薄する方法は存在しない。世界に就いて知ることが、人間の知性に課せられた最も重要な使命である以上、知性的であることは、常に幻想との対決を辞さない沈着な覚悟の上に築かれるべき生き方である。知らないものに就いて幻想的な了解を持ち、幻想的な判定を下す無責任な態度は、厳密に批判されねばならない。