サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(老父・入院・寂寥)

*先日、勤務中に母親からメールが届いた。父親が鬱血性心不全という診断を受けて、松戸市内の総合病院に緊急入院したという報せである。慢性的な高血圧を抱えて、以前から服薬の習慣は持っていたものの、私の知る限り大病とは無縁の生活を送っていた父親が俄かに病院へ担ぎ込まれたと聞いて、聊か動揺した。だが、基本的に冷静な性格ゆえに、動揺は直ぐに収まった。電話で経緯を確かめ、幸いにして翌日が公休であったので、妻を伴い見舞いへ出掛けた。父親は元気そうに見えたが、鼻腔に管を繋いで、点滴の袋を吊るした可動式の脚立のようなもの(ネットで調べたら「点滴スタンド」という用語が検索に掛かった)を召使のように侍らせている。風体は絵に描いたような病人のそれである。

 私の父母は六十代の後半である。二人とも健康で、悠々自適の日々を過ごしているが、老病の接近には何れ抗えまい。父母の老衰と死を予期しなければならない年代に自分が差し掛かったということが、何とも奇怪な感覚を伴って脳裡を領した。長男である私を産んだとき、母は三十六歳であった。当時は固より、今も高齢出産の部類に計えられる年齢であろう。遅めの息子であるから、父母の老化は同世代の人々よりも幾らか早めに訪れる計算である。何れは喪主という重責も担わねばならない。幸い、孫の顔は既に見せてある。最低限の親孝行は果たしてあると言えるだろうか。

 三十二歳になった今も、精神的には十代の少年期の残滓を未だに濃厚に引き摺っているような気がしている。私は二十歳の時に前妻との間に長男を儲けたから、彼是十年以上は人の親という肩書を僭越にも担っている訳だが、一向に成熟と良識は手の届かない虚空に置かれているように思えてならない。こんなのは甘えた戯言に過ぎないが、大人とは何かという定義を下すことと、自ら大人になることとの間には懸隔がある。義務と責任を抱え込んで苦しい息を吐きながら、文句も言わずに黙って歩み続けるのが大人の理想的な態度であるならば、私は未だ幼児の延長に過ぎないだろう。人並みの苦労は経験してきた積りだが、苦労しただけで人間の器量が磨かれるとは限らない。単に歪んで腐ってしまうだけという虞も根強い。

 父親の唐突な入院を契機に、母親は今後の独居の可能性を想い描いて不穏な動揺に駆られている様子であった。三十年以上連れ添っても、夫婦が同時に死ぬことは稀であるから、何れにせよ独り身の寂寞は避け難い。職場に老後の孤独を懼れて結婚に憧れている女の子がいるが、その意味では、結婚は必ずしも孤独を排斥しないのである。生まれるときも死ぬときも、煎じ詰めれば人間は常に孤独な存在であると喝破する言葉が、巷間では大して珍しくもない観念として流通している。しかし、その意味を生々しい実感として味わう機会は多くない。子供のうちは親がいて、長ずれば友人や恋人が出来る。結婚すれば子供も生まれるだろう。職場の上司、同僚、部下とも場合によっては深く関わるだろう。そうやって社会的な関係の錯雑した網目に絡まりながら生きている間は、人間の本質的な孤独に開眼する遑もない。孤独よりも他人との繋がりの方が遥かに色濃く双眸に映じる。遽しく生きている間は、他人との関わりが煩わしく面倒なものに感じられることも多いだろう。あらゆる喧嘩は、他者との関わりの深さが原因である。けれども、俗塵に塗れているうちから厭世的な気分に陥って他者を排斥するのは勿体ない。何れ孤独は己を呑み尽くす。態々好んで孤独を求める必要はない。