サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の二

 岩手銀行の旧本店は、中津川に架かる中の橋の畔にあり、盛岡城跡公園の対角に位置している。それほど巨大な建物ではない。東京駅の丸の内を連想させる赤煉瓦の造作である。

 路上の劇しい暑さから逃れるように、我々は薄暗い館内へ入り、入場券を買い求めた。玄関の脇にベビーカーを預け、古色蒼然たる床板を順路に即して踏み締める。昔日を偲ばせる資料が各室に置かれ、例えば「現金係客溜」といった用語が、如何にもロマンティックな感慨を仄かに漂わせている。尤も、二歳の娘は木製の階段を昇降することにしか歓びを見出さず、早々に退屈して喚き始めた。

 再び日照りの街衢へ吐き出され、今度は紺屋町の界隈へ舳先を転じた。ガイドブックに載っていた「クラムボン」という小さな喫茶店で涼もうと考えたのだが生憎、日曜定休であった。そのまま紺屋町番屋の傍らを過ぎて突き当たりを左折し、上ノ橋を渡って本町通を進んでいく。途中で空調の利いたコンビニへ入って暫しの休息を得る。冷たいコーヒーを繰り返し飲んで、煮え滾る体内を少しでも鎮めようと試みる。

 岩手医科大学附属病院盛岡地方裁判所の立派な建物を横目に、中央通へ出て駅の方角に向かう。銀行や保険会社のビルが目立つ界隈である。中央通一丁目の交差点を左に折れて、名物のじゃじゃ麺を昼餉に食すべく「香醤」という店へ赴いたが、ここも定休日であった。止むを得ず盛岡駅の「フェザン」という駅ビルに入っている店でじゃじゃ麺を食べようということで方針が定まり、舗道をアーケードで覆われた大通商店街を、城跡公園とは反対の方角に向かって歩いていく。酷暑に堪えながら、汗をだらだらと垂れ流して、北上川に架かる開運橋を渡り、地下道の薄闇へ降りる。エレベーターで見知らぬ老年の男性に声を掛けられ、子供を四人くらい作れと笑顔で言われる。御本人は九十六歳と称しておられた。とてもそんな年齢には見えない矍鑠たる足取りである。

 地下道と駅ビルはエレベーターの所在が把握し辛く、何度も往復した揚句に、地階の狭苦しいじゃじゃ麺の店へ入った。私は中盛りのじゃじゃ麺と叉焼ご飯のセットを頼んだ。卓上には生姜や辣油や醤油や大蒜など、様々な調味料が置かれて、浅い銀色のボウルに生卵が四つほど盛られている。濃厚な肉味噌と細切りの胡瓜が、柔らかい饂飩の上にたっぷり載っている。食後には、空の器に卵を溶いて、饂飩の茹で汁を注いでもらう。これを「ちーたんたん(鶏蛋湯)」と称するらしい。蕎麦湯のようなものである。スープの味が薄いので、肉味噌などを好みで足して味を調える。

 食後は再び地下道を歩いて、旭橋の方へ向かった。驟雨が街路を濡らし、大きなビルの入口で暫し雨宿りをした。蒸し暑く、娘の機嫌が頗る悪い。晴れ間が見えて雨が止んだので、道路を渡って材木町の方面へ足を延ばす。通りに面して、宮澤賢治の「注文の多い料理店」の初版を刊行した「光原社」という会社があり、今は雑貨を商ったり珈琲を飲ませたりする事業を営んでいるのである。敷地の中は石畳に覆われた閑雅な風景で、娘は早速水盤に小さな手を差し入れて躁ぎ出した。「可否館」と称する喫茶店に入りたかったのだが、店内は狭く、騒ぎ立てる娘を連れ込むのも気が退けて諦めた。

 材木町の辺りは丁度「酒買地蔵尊」という神様の祭礼に当たっていて、路傍には幟が列なり、着飾った踊り子の群れが地蔵堂の敷地へ吸い込まれていく後ろ姿を、我々は見送りながら歩いた。陸羽街道へ出て右へ折れ、梨木町の交差点を再び右へ曲がって歩いていく。時折、弱い通り雨が路面を洗う。疲労が溜まってくる。もうそろそろホテルへ戻る算段で、しかし途次「啄木新婚の家」の標識を発見したので、寄り道を試みる。平凡な路地に黙って佇んでいる古びた町家には、我々の他に人影もない。

 靴を脱ぎ、畳敷きの部屋へ上がる。娘は見慣れぬ風景に興奮したのか、上機嫌で屋内を走り回っている。私は縁側へ足を抛り出し、畳の上に寝転がって天井を仰いだ。庭の木々の葉擦れの音が耳に心地良い。こういう旧式の民家に住んでみたいと思うが、実際に暮らしてみれば色々と不便が気に障って落ち着かないかも知れない。大体、虫の嫌いな妻が毎日血相を変えることになるだろう。

 暫く静寂に満ちた時間を過ごしていたら、急に客足が増えた。一組の若い男女と、中国人の家族連れである。玄関の狭い沓脱の三和土に、俄かに履物が濫れる。もっと遊びたがる娘の手を引っ張って、再び中央通へ引き返し、黙々と歩き続ける。交差点を曲がってコンビニへ立ち寄ってから、ビジネスホテルに戻ってチェックインの手続きを済ませる。

 部屋で暫く休憩をしてから、夕食に出掛ける。二歳児を連れているので、手頃なファミレスでもないかと探してみたら、ホテルの直ぐ近くに「びっくりドンキー」の一号店が営業していることを知った。店名を「ベル」という。稲毛にも新鎌ヶ谷にも馬橋にもある「びっくりドンキー」の発祥の地が盛岡であることを、今まで私は寡聞にして知らなかったのである。

 足を運んでみると、メニューや内装は紛れもない「びっくりドンキー」そのものである。流石に旅先で「ガスト」に入るのは詰まらないので、御当地ファミレスみたいなものでもないかと思案していた私にとっては、地味だが素敵な発見であった。聊か浮かれて、柄にもなく濃い茶色のドイツビールを注文して乾杯する。食べ易いように妻の刻んだハンバーグにやがて飽きてしまった娘は仰向いて大きな口を開け、フライドポテトを元気に咀嚼している。店を出ると、盛岡の市街地は夕闇に閉ざされていた。