サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

転生の思想 三島由紀夫「奔馬」 2

 引き続き、三島由紀夫の『奔馬』(新潮文庫)に就いて書く。

 「豊饒の海」の第一巻に当たる「春の雪」においては、主役である松枝清顕は未来を削除された情熱的な恋愛の裡に、無時間的な「永遠性」の観念を見出して計り知れない陶酔に溺れた。それは「結婚」に代表される現実的な社会関係の構築を免除された、つまり「時間」の堆積の可能性を予め封じられた、奇妙な「感情の球体」(三島由紀夫「絹と明察」に登場する修辞である)に自ら逼塞することを意味していた。換言すれば清顕は、無時間的な「恋愛」の渦中にしか、自らの情熱を炎上させる為の燃油を発見することが出来なかったのである。そうした心理的構造は「豊饒の海」の第二巻に当たる「奔馬」においても、表層的な外貌を取り換えた上で引き継がれていると言える。

 「奔馬」の主役である飯沼勲は、かつて松枝侯爵家の書生として清顕の教育係を務めていた飯沼茂之の息子であり、その熱烈な愛読書は、明治初頭に熊本で発生した士族の叛乱の経緯を綴った「神風連史話」と称する小冊子である。勲の心酔する「神風連史話」の中には、敗残の叛徒たちが陸続と日本刀で自裁していく姿が執拗に書き込まれている。彼らの政治的な情熱の核心を成すものが「美しい死」への苛烈な欲望であることは明瞭である。腐敗した日本の現実を浄める為という大義名分は、彼らの内なる情熱を正当化する為に編み出された御題目であり、実際の神風連の人々が如何なる性質の思想を懐いていたかという史実とは無関係な次元において、少なくとも「神風連史話」と称する架空の冊子は、叛徒たちの情熱が只管に「壮麗な自刃」へ向かって迸っていたことを淡々と告示している。彼らの抱懐する政治的な情熱は、眼前の現実に対する具体的な処方箋を粘り強く実行に移していく労役と狡智の価値を、積極的に軽んじている。

 三島が「奔馬」という作品において描き出そうと試みているテロリズムへの情熱の構造は、「春の雪」において清顕が示した禁断の恋愛に対する情熱の構造と、同一の性質を備えているように見える。何れの場合にも、その情熱の極北には必ず「死」という名の絶対的な断絶の宿命が待ち構えており、遅かれ早かれ「夭折」という恩寵を賜ることが暗黙裡に予定されているのである。

「はい。忠義とは、私には、自分の手が火傷をするほど熱い飯を握って、ただ陛下に差上げたい一心で握り飯を作って、御前に捧げることだと思います。その結果、もし陛下が御空腹でなく、すげなくお返しになったり、あるいは、『こんな不味いものを喰えるか』と仰言って、こちらの顔へ握り飯をぶつけられるようなことがあった場合も、顔に飯粒をつけたまま退下して、ありがたくただちに腹を切らねばなりません。又もし、陛下が御空腹であって、よろこんでその握り飯を召し上っても、直ちに退って、ありがたく腹を切らねばなりません。何故なら、草莽の手を以て直に握った飯を、大御食として奉った罪は万死に値いするからです。では、握り飯を作って献上せずに、そのまま自分の手もとに置いたらどうなりましょうか。飯はやがて腐るに決っています。これも忠義ではありましょうが、私はこれを勇なき忠義と呼びます。勇気ある忠義とは、死をかえりみず、その一心に作った握り飯を献上することであります」(『奔馬新潮文庫 P221)

 洞院宮殿下に対する勲の個人的信念の熱烈な表白は、彼の政治的な情熱が或る審美的で宗教的な性質の下に拘束されている事実を明瞭に示している。表白の内容は、勲の情熱の行き着く標的が常に「死」であること、彼の情熱が他の何物よりも先ず「壮麗な死」を優先して厚遇していることを端的に表している。それは政治的な外貌を纏っているが、実際には政治的な技巧や思想とは具体的な関連を有していない。

 清顕が恋愛そのものよりも、恋愛を通じて獲得される「永遠」の境涯に重きを置いていたように、勲もまた政治そのものより、政治的な運動を通じて得られる「永遠」の壮麗な顕現に最大の価値を見出している。彼にとって政治的な思想の内訳は二義的な意味しか持ち合わせておらず、肝心なのは政治的思想が彼の「死」に赫奕たる栄光を賦与するか否かという問題に限られている。若しも彼が本気で穢れた世情を理想的な形態へ改革することを望んでいるのならば、割腹自殺は最も忌避すべき悪手に他ならない。あらゆる艱難を生き延びて、如何なる恥辱も汚名も堪え忍んで雌伏する覚悟を持たなければ、政治的理想の実現という壮大な野望は達成されないだろう。しかし、勲の情熱はそのような忍辱を肯定するものではなく、理想と現実との甚だしい径庭と乖離を一歩ずつ地道に埋めていく陰鬱な労役に対して捧げられたものでもない。彼の忠義は政治的な理想を達成する為に持ち出された美徳ではなく、飽く迄も彼自身の壮烈な「死」を正当化する為の素晴らしい材料として案出された審美的な観念なのである。

豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫)

豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫)