サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 7

 引き続き、三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)に就いて書く。

 隣室の妻が寝静まってから、かなりの時が経った。本多は書斎の灯火を消し、ゲスト・ルームの壁ぞいの書棚へ歩み寄った。何冊かの洋書をそっと抜き出し、床に重ねた。彼が自ら客観性の病気と名付けるところのもの。その病気にとらわれた瞬間に、今まですべて自分の味方だった社会を敵に廻さざるをえなくさせる頑なな強制力。

 何故だろう。それも亦、彼が永年法壇の上から、又、弁護人席から、客観的に眺めてきた人間の諸相の一部にすぎない。しかし何故、ああして眺めることが法に則り、こうして眺めることが法に背くのだ。ああして眺めることが人々の尊崇の的になり、こうして眺めることが人々の軽蔑や非難を浴びることになるのだ。……もしそれが罪であるとすれば、快いから罪なのであろうが、裁判官としての経験上、本多は私心を去った心境の澄んだ快さをも知っている。もしその快さには胸のときめきがないから崇高であったのだとすれば、罪の本質はときめきにあるのだろうか。人間のもっとも私的なもの、この快楽へのときめきだけが、法に背反する最大の要素なのであろうか。……(『暁の寺新潮文庫 p.231)

 一見すると芸術家と法曹との間には、その構造的原理における対蹠的な関係が設けられているように感じられる。しかし、両者が共に純然たる「認識」に奉仕する人々であるという点に就いては、その明らかな共通性は是認される以外にないだろう。彼らは眺められる対象から明確な距離を保ち、慎重な手続きを踏んで、それを一個の静止した無時間的な事物に作り変える。例えば「奔馬」の主役である飯沼勲は、本多から送られた手紙を読んで、次のように独白する。

 それにしても、本多は何と巧みに、歴史から時間を抜き取ってそれを静止させ、すべてを一枚の地図に変えてしまったことだろう。それが裁判官というものであろうか。彼が「全体像」というときの一時代の歴史は、すでに一枚の地図、一巻の絵巻物、一個の死物にすぎぬではないか。『この人は、日本人の血ということも、道統ということも、志ということも、何もわかりはしないんだ』と少年は思った。(『奔馬新潮文庫 p.139)

 「歴史」から「時間」を抜き取り、それを一個の空間的な表象或いは建造物に差し替えてしまうこと、それは或る事実を風化させない為のいわば「防腐」の処理であると言えるだろう。それは事実を無時間的な永遠の位相へ遷移させる手続きであり、事実の宿している不安定なダイナミズムを洗い流す作業である。紛れもない「行為」の人間である勲の眼に、徹底的な「認識」の人間である本多の見解が現実性を欠いた理窟の塊として映じるのは必然的な帰結であると言えるだろう。

 「行為」の果てしなく勇猛な連鎖の裡に生き続ける人々にとって、本多のような実存的形態は如何にも黴臭く退嬰的な様式であると思われるかも知れない。具体的な時間の流れで、生きるという不安定な営為の連鎖に身を殉じること、絶え間ない腐敗と消滅の過程に身を挺すること、清顕や勲が選んだのは、そのような「生」の形式である。けれども本多は、そのような「生」を専ら眺めて観察を試みることに夥しい労力と情熱を注いできた。無論「暁の寺」における本多は必ずしも「認識」という営為の裡に完璧な自足を伴って安住している訳ではない。清顕と共に過ごした青年期においては安全に保たれていた冷静な理性的統御は、老境に差し掛かるに連れて危険な悔恨に蝕まれるようになり、本多の内面は、例えば「金閣寺」の溝口が「美」と「人生」との狭間で苦しんだような種類の葛藤に劫掠されることとなる。言い換えれば、本多は「認識」というものに極限まで惹き付けられながら、同時にその限界を垣間見て倦怠を覚えているのである。

 若いころから本多の認識の猟犬は俊敏をきわめていた。だから知るかぎり見るかぎりのジン・ジャンは、ほぼ本多の認識能力に符合すると考えてよい。その限りにおけるジン・ジャンを存在せしめているのは、他でもない本多の認識の力なのだ。

 そこでジン・ジャンの、人に知られぬ裸の姿を見たいという本多の欲望は、認識と恋との矛盾に両足をかけた不可能な欲望になった。なぜなら、見ることはすでに認識の領域であり、たとえジン・ジャンに気付かれていなくても、あの書棚の奥の光りの穴からジン・ジャンを覗くときには、すでにその瞬間から、ジン・ジャンは本多の認識の作った世界の住人になるであろう。彼の目が見た途端に汚染されるジン・ジャンの世界には、決して本当に本多の見たいものは現前しない。恋は叶えられないのである。もし見なければ又、恋は永久に到達不可能だった。

 飛翔するジン・ジャンをこそ見たいのに、本多の見るかぎりジン・ジャンは飛翔しない。本多の認識世界の被造物にとどまる限り、ジン・ジャンはこの世の物理法則に背くことは叶わぬからだ。多分、(夢の裡を除いて)、ジン・ジャンが裸で孔雀に乗って飛翔する世界は、もう一歩のところで、本多の認識自体がその曇りになり瑕瑾になり、一つの極微の歯車の故障になって、正にそれが原因で作動しないのかもしれぬ。ではその故障を修理し、歯車を取り換えたらどうだろうか? それは本多をジン・ジャンと共有する世界から除去すること、すなわち本多の死に他ならない。(『暁の寺新潮文庫 pp.379-380)

 認識し難いものを認識したいと望む衝迫に、本多は蝕まれている。恐らくそれは認識という機構そのものが成立の当初から孕んでいる根源的な限界に関わる問題である。認識することは常に対象となる事物を別の事物に置換し、反映することである。或る事物の備えている実体的な形態は、眼球の機構を媒介して光の像へ置換される。置換された視覚的な認識は、対象そのものではなく、その間接的な反映に過ぎない。それは事物そのものを完全な意味で認識することの不可能性を暗示している。

 だが、事物そのものを認識するとは、如何なる事態を意味するのか? 我々の有する認識の機構がそもそも原理的に、事物の間接的な置換=反映という性質を根本に据えている限り、事物そのものの認識とは不可能な願望に過ぎない。どんなに精細に認識したとしても、それは対象の不完全な模写であることを免かれないという現実に対峙したとき、それを覆す為には如何なる手段が考案されるのか? それは芸術家が、どれほど精細に現実を観察して、それを非時間的な結晶としての「作品」に定着させたとしても、その「作品」が動態的な現実の完全なる所有に至ることは有り得ないという問題の構造に類似している。

 そもそも「認識」とは「所有」の欲望なのだろうか? 或る特権的な瞬間を永遠に手許へ留めておきたいと願う情熱が、我々の「認識」の欲望を駆動する源泉であるならば、そして本多の「認識」に対する欲望が常に純然たる「客観性の病気」に蚕食されているのだとすれば、それは「自己の存在しない世界を永遠に保存したい」という奇態な命題に集約されるだろう。換言すれば、それは「美しい記憶だけを保存したい」ということである。何故なら、三島的な論理に従えば「記憶の作業」を担っているのは常に「記憶される者」の資格に値しない、醜悪な人間に限られているからだ。

 本多が絶えず「客観性の病気」の領域に留まり続けるのは、言い換えれば「認識」の対象との間に具体的で決定的な関係を構築しようと考えないのは、彼自身の存在が審美的な価値を帯びていないという自己認識の為である。若しも彼が自己の美しさを何らかの理由で確信しているとすれば、そもそも彼は「認識」の世界だけに留まろうとする奇妙な吝嗇を堅持しなかっただろう。彼は胸を張って「記憶される者」たちの世界へ参与し、自己の審美的価値を最大限に発揮して、夥しい視線を浴びながら旺盛な実存を満喫するだろう。けれども、彼の頑迷な審美的基準は、彼自身の「価値」を決して承認しない。彼の審美的基準は自分自身に対する「依怙贔屓」を断じて容認しないほどに真率且つ峻烈なのである。

 若しも本多がジン・ジャンとの間に肉体的な恋愛の関係を望むのならば、相手の了承を得られるかどうかは別として、幾らでも具体的な行動の選択肢は存在する筈である。それを押し留めているのは何よりも先ず本多自身の「美意識」の桎梏であろう。彼の「恋」と「認識」との間に重大で克服し難い矛盾が生じるのは、まさしくこうした地点である。美しいものだけを認識したいという感性的で芸術的な欲望は、醜悪な自画像が現実の世界へ参与することを厳しく拒む。この矛盾を超克する為には、自分自身の実存を或る審美的な「作品」にまで高めなければならない。

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)