サラダ坊主日記

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美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 8

 三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)を読了したので、余り整理の行き届いた内容にならない自信があるものの、一応は節目として総括的な感想を綴っておきたいと思う。

 「暁の寺」に限らず、この長大な「豊饒の海」という物語の中心には二条の対蹠的な光芒が底流しており、それを端的に表現すれば「情熱=行為」と「理性=認識」という対句に集約されると思う。人間の懐き得る情熱の類型は様々であるが、そもそも「情熱」とは如何なる心理的現象を指し示す概念だろうか。一般的に言って、情熱に駆り立てられた人間は眼前の具体的な事実の堅牢な構造を軽視する傾向にある。不可能であると判定される事柄に就いても人間は旺盛な情熱を炎上させることがあり、寧ろ達成の容易な行動に就いて、周囲の者が驚嘆するような情熱の高揚を示すことは困難である場合が多い。換言すれば、人間の情熱が高揚する為には往々にして艱難辛苦の降臨が必要であり、一見不可能であると看做される事柄に対して異様な執着を示すとき、その人間は情熱的であると評価され、定義される。

 だが、客観的に眺めれば不可能であると思われるような事態に就いて、それが不可能であるという認識を了承せず、一縷の可能性の光明に縋って情熱を燃やし続けるという態度は、理性の側から眺めるならば愚行であり蛮勇であるということになる。情熱の高揚には良くも悪くも現実の構造に対する侮蔑が関与しており、現実の冷厳なる構造と秩序を隅々まで知悉した上で猶も情熱の温度を保ち続けることは決して容易な業ではない。そうであるならば、情熱とは理性の相対的な不足という条件を前提として成立する心理的現象ではなかろうか。あらゆる現実に徹底して犀利で澄明な理智の眼差しを注ぎながら、同時に燃え上がるような情熱の焔を輝かせるということは、原理的に矛盾する振舞いであるように感じられる。

 自分自身の貧しい経験を顧みても、情熱に駆られているときの人間は明らかに「認識」の異常な狭窄に苛まれている。冷静な心境であれば聊かも誤認の起こり得ない簡明な事実さえも見落とし、物事を自分の希望や期待に応じて強引に曲解し、総ての事態を肯定的な方向に解釈し、不都合で忌まわしい情報は意図的に黙殺する。情熱は、人間の沈着な理性を麻痺させ、その健全な活動を阻害する。こうした事実は、極めて素朴な経験から導き出される凡庸な認識である。

 理性を蹴散らして独善的な認識や解釈に縋りながら暴走する情熱、それは時に我が身の破滅さえ辞さない奇怪な蛮行へ踏み切ることがある。つまり、情熱は何らかの目的を達成する為の積極的な感情であるとは言い切れないのだ。それは手段と目的を混同した情念の形態であり、厳密には実体的な目標を必要としない感情の形式である。傍目には非常に下らない事柄に就いて異様な情熱を示す人間の姿を、我々は周囲や自分自身の内側に発見することがある。良くも悪くも情熱には不合理な性質があり、理窟に合わない不可解な行為に人間を駆り立てるものこそ情熱である。それは或る特定の状況に対する定言的で絶対的な執着であると言い換えられるかも知れない。その状況が、情熱を燃やす当人の利益に資する働きを示すとは限らない。人間は自己の実存や生命を危殆へ導くような事柄に関しても劇しい情熱を炎上させる力を持っている。つまり、情熱とは依存であり、或る特定の状況や事物と密接に結び付いた自動的な執着の現象なのである。

 或る特定の状況に対する常軌を逸した執着、要約すれば「依存」は、情熱という不合理な感情の形態を生み出す基盤となるものである。そして「依存」という感情は、冷静で普遍的な理性の観点から眺めるならば、愚昧な妄想に類する認識の上に成り立つ心理的状況であると判定され得る。それは認識の明らかな偏倚に基づく心理的現象であり、その偏倚が純然たる合理的な動機によって形成されていると看做すことは一般に困難である。公正で中立的な認識の下に感情的な偏倚としての執着や依存が形成されるとは考え難い。何よりも情熱は一見すると不合理な事柄に就いて過剰な活力を示すのが一般的な傾向である。換言すれば、情熱は我々の実存を取り巻く現実の構造との間に連絡を欠いている。現実の客観的な構造とは無関係に生起する認識の運動を通じて情熱は形成され、過度に煽動される。従ってそれは個人の破滅や衰亡との間に統計的な相関性を持ち易い。情熱は現実との合理的な聯関を欠いている為に、個人の実存を破滅的な方向へ導き易い。情熱が充分に豊饒な現実的成果を上げる為には、絶対に冷静で合理的な理智の扶助が不可欠である。けれども、理性は情熱の特質である不合理な偏倚と対立し、相剋する機能であるから、情熱そのものの必然的な運動を追究する限り、理智の扶助を期待することは論理的な矛盾を招く。

 情熱的であることは身の破滅を引き寄せ易いという経験的な事実を多くの人々が共有しているにも拘らず、情熱の過度な亢進の涯に破滅の深淵へ堕ちていく人間の姿は、奇態な魅惑の効果を発揮して已まない。自らの情熱に殉じて破滅した人間の墓標には、合理的な計算を積み重ねて賢明な長生を全うしようと試みる人間の姿からは抽出することの困難な、特異な光輝が纏わっている。その特異な光輝の源泉は、理智の齎す沈静な光輝を蹂躙する情熱の野蛮な性質であろうと思われる。合理的な意志に基づいて自己の人生を計画し統御しようと試みる極めて賢明で建設的な態度に対する不可解な抵抗と叛逆、それが情熱的な人格の有する特異な光輝の礎なのである。

 自らの内なる不合理な情熱を抑制することに失敗し、或いは抑制することを望まずに寧ろ狂奔させることで破滅の道に没していった人々の姿を、三島由紀夫の「豊饒の海」は輪廻転生という宗教的な思想の秩序を借用しながら繰り返し描き出す。彼らは「夭折」という実存的形態を反復することで「輪廻転生」の構造を無意識に成立させている。この「夭折」という実存的形態に附随する特別な光輝に、三島が深甚な愛着を寄せていたことは恐らく確実であろうと思われる。「夭折」という観念には常に「宿命」という観念の陰翳が覆い被さっている。それは若くして生涯を卒える人々の姿が「強いられた断絶」とでも称すべき性質を孕んでいるように見えるからだ。特に不合理な情熱に駆られて暴走し、合理的な計算や賢明な理智の類を自ら放擲して、傍目には悲劇とも喜劇とも映じ得る奇怪な顛末の涯に夭折を遂げた清顕や勲の姿は、それが普遍的で客観的な理性的意志の扶助に抗ったように見える為に、如何にも「宿命」に殉じたという印象を世人に与え易いのである。依存や執着が自意識の次元では如何とも抵抗し難い圧倒的な権威を背負って、当事者の実存を蹂躙し制圧することは経験的に知られた事実である。つまり、情熱の焔に煽られるように破滅的な行路を経て「夭折」という結論に辿り着いた人間の姿には「強いられた」という意味での「宿命的」という形容が相応しいのである。

 一方、合理的な計算の蓄積を通じて購われた本多繁邦的な長寿と、その涯に想定される平凡な「死」の形態は、如何にも「宿命的」という修辞から遠く隔たった地点に存在するように思われる。生物学的な「時間」の割当を隅々まで消費した上で、或る日不意に霹靂のように訪れる老衰の涯の「死」のイメージは、清顕や勲の遺影に与えられる「夭折」の輝かしい光彩とは毫も重なり合わない。無論、如何なる経緯を踏まえようとも「死」という一つの生物学的な断絶には必ず「強いられた宿命」という性質が織り込まれている。自ら選択しようと老病の涯に授かろうとも「死」が一つの不可避的な「宿命」であるという事実は聊かも変動しない。そうであるならば「死」を「宿命の有無」という奇態な観点から半ば強引に区別しようと試みる議論は、表層的な児戯に類するものであるということになる。しかし、少なくとも三島にとって、清顕や勲の「夭折」と本多の想定される老衰の涯の「死」とは、同一的な価値で結ばれた現象ではなかったに違いない。

 極論を言えば、三島由紀夫という作家にとって最も重要な価値観の指標は「美しさ」の一語に尽きていたと思われる。一般に芸術的な唯美主義は生活における頽廃や社会的道徳の軽視を含むと考えられているが、三島の唯美主義は必ずしも道徳的な頽落を意味しない。彼は生きることの愉悦や歓喜を貪欲に堪能しようと企てる単純で自堕落なエピキュリアンではなかった。或いは、浮薄な享楽だけで満足し得るほど稀薄な欲望の持ち主ではなかった。老年に至っても奢侈に耽溺しようと試みる醜悪な現実主義者でもなかった。彼の審美的な価値観は享楽的な性質と必ずしも厳密には結び付かないのである。彼が最も重んじたのは「美」を永遠に保存することであった。美しいものは時間の堆積と共に必ず損なわれるという彼の宿命的なオブセッションは、必然的に「時間の廃絶」という不可能な夢想の実現を要求した。

 だが、美しいものは何故必ず時間の経過と共に毀損され、衰亡していくのだろうか? それは彼が美しさというものを専ら肉体的な美しさ、生物学的な美しさとして捉えていたことと無関係ではない。「禁色」には「精神美」というものに対する侮蔑的な表現が刻まれている。精神的なものの発達(主には「知性」であろう)は肉体的な衰弱と同期しているという認識が、そこには反響している。同時に彼は「眼に見えない美しさ」というものを信用していなかっただろう。そもそも「美」という観念が感性的な機能の領域に属するものである以上、肉体のような物理的な形態に関連しない「美」は、単なる比喩的な観念に過ぎない。感性的な形態を持たぬ「美」とは、論理的に矛盾した妄念なのである。従ってそれは物理的な「衰亡」の法則の威力に制圧されざるを得ない。感性的な形態を有する総ての存在は必ず「時間」の支配を受け、その強制的な「変容」の魔力に屈服することを原理的に命じられている。言い換えれば、感性的な形態の美しさとは、必ず衰亡することを定められた稀有の現象なのである。

 三島にとって「美しさ」とは倫理的な規範そのものであり、美しくない人生は倫理的な堕落を意味している。そして「美しさ」が常に時間の法則に縛られて着実に摩耗していく価値の形態であるならば、必然的に「夭折」は正義であり、若くして死ぬことは倫理的な要請の所産であるということになる。生き永らえて老醜を晒すことは恥ずべき罪悪であり、肉体的な美しさを保った状態で死ぬことは崇高な営為である。尤も、こうした論理には必ず暗黙裡に「記憶」を共有する人々の介在が想定されている。「夭折」が倫理的=審美的な正義である為には、夭折した人間の美しい姿を記憶する存在が不可欠であるからだ。「暁の寺」に登場する「柘榴の国」の挿話は、こうした消息を象徴的に明示している。

 「豊饒の海」の全篇を通じて登場する本多繁邦の存在もまた、こうした「美しい死」の論理からの要請に基づいて構成されていると看做して差し支えない。「柘榴の国」の挿話を徴すれば明瞭であるように、肉体的な美しさを携えた「記憶される者」の「夭折」が審美的価値の光輝を帯びる為には、その美しさの記憶を共有し継承する人々の存在が不可欠である。そして、その「記憶する者」たちは論理的に考えて「夭折」を免かれていなければならないから(「記憶する者」が夭折してしまえば「記憶」は失われてしまう)、彼らは三島的な審美的倫理の基準を満たさない不適格な存在であるということになる。その意味では、三島的な審美的倫理は極めて峻厳な排除と差別の構造を内包している。換言すれば、三島的な倫理の性質や構造を究明する為には、「記憶される者」としての清顕や勲の実存的形態を解剖するのみならず、併せて「記憶する者」としての本多繁邦の実存的形態を分析する必要が不可避的に生じるのである。

 本多繁邦という人物は自己の「情熱」を信用していない。彼は自分自身の情熱を信用せず、寧ろそれに積極的に理性的な統御の軛を強いることによって、傍観者としての役割を洗煉してきたような人物である。

 もとより忙しい本多がタイへの旅を引受けたのは、仕事のためだけではなかった。シャムの二人の王子を清顕を通じて知り、月光姫ジン・ジャンに対するあの恋の悲しい結末や、喪われたエメラルドの指環について、感じやすい年齢に詳さに傍観し、むしろ傍観の絆に縛られている自分の発見のきつさによって、いよいよそのおぼろげな記憶の絵が、堅固で頑なな額縁の中に保たれることになったのだ。自分はいつか一度シャムを訪れねばならないと、心に決めてから久しい時が経った。

 しかし一方、四十七歳の本多の心は、ほんの些細な感動をも警戒して、そこにすぐさま欺瞞や誇張を嗅ぎつける習性にしらずしらず染っていた。あれが自分の最後の情熱だった、と本多は思い返した。すなわち清顕の生れ変りと知った勲を救うために、職を抛ったときのあの情熱。……そして彼は「他人の救済」という観念の、あますところのない失敗を体験したのである。

 他人の救済ということを信じなくなってから、彼は却って弁護士として有能になった。情熱を持たなくなってから、他人の救済に次々と成功を納めた。民事であれ、刑事であれ、富裕な依頼人でなければ引受けなくなった。本多の家は父の代よりも栄えた。(『暁の寺新潮文庫 pp.20-21)

 煮え滾り暴走する「情熱」の焔を否定し、情熱によって駆り立てられることを自らに禁ずること、これが本多の生涯を支えてきた根源的な「見者」の倫理である。あらゆる情熱が内包している「認識の偏倚」を忌避し、それを成る可く平らかな状態に是正して、現実の客観的な構造だけに限って隈なく犀利な視線を行き届かせること、それが「見者」の目指すべき実存の形態であり、そうした気構えこそが法曹としての本多の社会的栄誉を形作る素地として働いたのである。

 「見者」はあらゆる危難を事前に察知し、それを超克する為の合理的な方策を案出し、自らの情熱に殉じて破滅への道程を転落していくような愚行には断乎たる拒絶の姿勢を示す。「見る」という行為は必ず認識する主体と認識される客体との分離を自らの成立の条件として要求するから、見者は必然的に自己を取り巻く外界の事物との間に「距離」を形成することを倫理的な格率として実践する。本多の生涯における、こうした見者としての倫理の涵養は性来の気質によって促されたものであると同時に、法曹としての社会的自己を鍛錬してきた意図的な選択の所産であるとも言える。

 繁邦は思っていた。人間の情熱は、一旦その法則に従って動きだしたら、誰もそれを止めることはできない、と。それは人間の理性と良心を自明の前提としている近代法では、決して受け入れられぬ理論だった。

 一方、繁邦はこうも思っていた。はじめ自分に無縁なものと考えて傍聴しはじめた裁判が、今はたしかに無縁なものではなくなった代りに、増田とみが目の前で吹き上げた赤い熔岩のような情念とは、ついに触れ合わない自分を、発見するよすがにもなった、と。

 雨のまま明るくなった空は、雲が一部分だけ切れて、なおふりつづく雨を、つかのまの狐雨に変えていた。窓硝子の雨滴を一せいにかがやかす光りが、幻のようにさした。

 本多は自分の理性がいつもそのような光りであることを望んだが、熱い闇にいつも惹かれがちな心性をも、捨てることはできなかった。しかしその熱い闇はただ魅惑だった。他の何ものでもない、魅惑だった。清顕も魅惑だった。そしてこの生を奥底のほうからゆるがす魅惑は、実は必ず、生ではなく、運命につながっていた。

 本多は清顕への忠告を、今しばらく差控えて眺めていようと思った。(『春の雪』新潮文庫 pp.256-257)

 「情熱」は「理性と良心」という近代の理念に抵抗し、それを毀損する奇怪な衝迫である。換言すれば「情熱」とは「認識」の否定を自らの裡に含んでいるのである。そして「認識」という機能の権化であるとも言える「見者」としての本多は、そのような「認識」の否定を含んだ「情熱」の化身である清顕や勲の生涯に強烈な魅惑を覚えている。

 ランプの黄いろい霧のような光輪の中に、二人の若者の心に抱かれた二つの対蹠的な世界の影が、鋭くその尖端をあらわしていた。一人は恋に病み、一人は堅固な現実のために学んでいた。清顕は夢うつつに、混沌とした恋の海を海藻に足をからめ取られながら泳いでおり、本多は地上に確乎と建てられた整然たる理智の建造物を夢みていた。熱に病む若い頭と、冷めた若い頭とが、この早春の寒夜の古びた宿の一間に寄り添うていた。そしておのおのが、自分の世界の終局的な時間の到来に縛られていた。

 本多がこれほど清顕の脳裡にあるものを、決して自分のものにすることができないと、痛切に感じたことはなかった。清顕の体は目前に横たわっているが、その魂は疾駆していた。ときどき夢うつつに聡子の名を呼ぶらしい紅潮した顔は、少しも憔悴したように見えず、むしろふだんよりも活々いきいきとして、象牙の内側に火を置いたように美しかった。しかしその内部へ、指一本触れることはできないのを本多は知っていた。どうしても自分がそれに化身できない情念というものがある。いや、自分はどんな情念にも化身することはできないのではないか。内部へそういうものの浸透を許す資質が、自分には欠けている。友情にも富み、涙をも知っているつもりであるが、本当に「感じる」ためには何かが欠けている。どうして自分は、整然とした秩序を外にも内にも保つことに専念し、清顕のように、火や風や水や土、あの不定形な四大しだいを体内に宿すことがないのだろうか。(『春の雪』新潮文庫 p.454)

 見者にとって「理智」の澄明な光輝の権能を持することは崇高な矜持であると共に、呪わしく逃れ難い宿命的な呪縛でもある。「認識」は常に冷厳なる秩序を構築し、総てを普遍的な法則に基づいて宰領することに最大の美徳を見出す。しかし、その「認識」の理念が同時に清顕や勲の体現する不透明で危険な「情熱」の叛乱に魅惑されるというのは、如何にも解決の困難な矛盾である。

 本多が恋をするとは、つらつらわが身をかえりみても、異例なばかりでなく、滑稽なことだった。恋とはどういう人間がするべきものかということを、松枝清顕のかたわらにいて、本多はよく知ったのだった。

 それは外面の官能的な魅力と、内面の未整理と無知、認識能力の不足が相俟って、他人の上に幻をえがきだすことのできる人間の特権だった。まことに無礼な特権。本多はそういう人間の対極にいる人間であることを、若いころからよく弁えていた。

 無知によって歴史にあずかり、意志によって歴史からすべり落ちる人間の不如意を、隈なく眺めてきた本多は、ほしいものが手に入らないという最大の理由は、それを手に入れたいと望んだからだ、という風に考える。一度も望まなかったので、三億六千万円は彼のものになったのである。

 それが彼の考え方だった。ほしいものが手に入らない、ということを、自分の至らぬためとか、生れつきの欠点のためとか、乃至は、自分が身に負うている悲運のためとか決して考えることがなく、それをすぐ法則化し普遍化するのが本多の持ち前だったから、彼がやがてその法則の裏を掻こうと試みはじめたのにふしぎはない。何でも一人でやる人間だったから、立法者と脱法者を兼ねることなぞ楽にできた。すなわち、自分が望むものは決して手に入らぬものに限局すること、もし手に入ったら瓦礫と化するに決っているから、遠くに保つように努力すること、……いわば熱烈なアパシーとでも謂うべきものを心に持すること。(『暁の寺新潮文庫 pp.332-333)

 こうした心構えが如何に「情熱的な人間」の処世の作法から遠く隔たっているか、如何に自己の持する認識的な秩序を破壊せぬように注意深く規則が遵守されているか。こうした「熱烈なアパシー」は「情熱」の破壊的性質の対極に位置する心理的な様態である。余りにも鋭く精緻に「認識」の機構が発達している為に、本多は盲目的な「情熱」の裡に安住することが出来ない。野蛮な愚行に総身を委ねる為に必要な感情の「陶酔」が分泌されない。「情熱」にとって冷静で客観的な「認識」の確保は最大の宿敵である。従って優秀な「見者」としての本多が「恋」という盲目的な陶酔の魅惑を堪能する為には、恋の対象を「認識」の及ばぬ不可視の領域へ遠ざけるしかない。換言すれば、恋の対象を「不在」の領域へ安置して、いわば不可知論の暗闇へ眠らせるしかない。若しも恋の対象が一旦「認識」の領野に現われてしまえば、それは直ちに冷厳な解剖を蒙って無味乾燥な「瓦礫」に還元されてしまうからである。精細な認識は「恋」の盲目的な情熱と根源的に対立する。

 不在こそそのための最上の質料だった。そうではないか。それこそ彼の恋の唯一の純良な素材だった。不在なしには、認識という夜行獣がすぐ目を光らし、すべてをその爪牙で引裂くことは必定なのだ。未知にむかって嚙みつき、すべてを既知の屍に化し、その死体置場の領域へ組み入れてしまうという認識の怖ろしく退屈な病気を、インドがかつて一度癒やしてくれたのではなかったか? インドが、又、ベナレスが教えたものこそ、認識の果ての果てまでのがれた末、ただ一つのこされた薔薇だけは、認識の目を免かれしめるために、既知を装うて、埃だらけの黒檀の棚の奥深く、錠を下ろして隠しておくことではなかったか? その作業を本多はやったのだ。自ら鍵をかけたのだから、自らあけないのは彼の意志の力だった。(『暁の寺新潮文庫 p.334)

 こうした本多の頗る人為的な努力の堆積が「認識」という畏怖すべき宿命に囚われた理智的な人間の試みる涙ぐましい「情熱の仮構」であり「感情の擬制」であることは明白である。だが、それは「美しさ」という至高の理念に対する擬似的な代理、或いは不充分な模倣に過ぎぬのではないか? 本多の苦闘は「美」から見放され、遠ざけられた人間の儚い抵抗の絵姿である。「金閣寺」の溝口は、絶対的な「美」を破壊することによって「現実」の恢復を図ったが、本多は恢復された「現実」の虚無的な性質に絶望しているのである。

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

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