サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(インフルエンザ・病苦・車谷長吉)

*二歳の娘からインフルエンザウイルス(A型)の御裾分けを頂戴したので、会社を早退して炬燵で暫く寝込んだ。インフルエンザを患うのは実に十余年振りの経験である。今もキーボードを叩きながら、蟀谷に疼くような熱の塊を感じている。さっさと寝てしまえばいいのだが、何故か蒲団へ潜り込む気分になれなくて、パソコンの電源を入れてしまった。

 高熱を発した娘が、タミフルを飲んだ副作用なのか、先日私の寝具に嘔吐してしまった。枕は洗えないから処分すると妻は言い、私は近所のスーパーへ新しい枕を買いに行った。その序でに、書店で偶々、車谷長吉の人生相談の本を見つけて、少し立ち読みした。新聞に連載されていたものを手軽な文庫に纏めてある。

 ネットか新聞か、媒体の種類は忘れたが、以前に読んだ記憶のある内容の人生相談が視界に入った。妻子のある年配の高校教師が、教え子である十七歳の女子生徒に恋焦がれ、悶々としている、決して過ちを犯さない自信はあるが、この感情をどう扱ったら良いか、という内容で、それに対する車谷の回答が振るっていた。名誉も地位も家庭も全部投げ捨てて、その生徒と恋仲になればいい、人間は破滅しない限り人生の本質を、その正銘の味わいを学ぶことは出来ない、人間は阿呆になるのが一番良い、という破天荒な返事を書き連ねた末尾に、その相談者に向かって一言「貴方は小利口な人です」と付け加えているのだ。坂口安吾を彷彿とさせる「無一物」の精神が滾っている。素晴らしい。

 人間の尊厳は「苦しみ」にあり、満足は獣でも歓ぶと、かつて安吾は自著に書きつけた。車谷の思想も概ね、安吾のそれと同質の原理に基づいて涵養されているように感じる。人間は誰でも「幸福」を望むが、人間性の本質は「不幸」の裡にしか見出されない。幸福であることが人間の実存の標準的な状態であるという理想主義は、理念としては確かに美しい。大衆の心を酩酊させる蠱惑的な力を宿している。だが、それは却って人間の精神を追い詰めるのではないか? 不幸であることを、人生の欠性的状態として捉える発想は、人間に希望と楽観を持つように強要している。それは不幸な現実に対する理解や共感を欠いているのではないか? 眩しい希望の光を、誰もが直視出来るとは限らないのである。

 こういう暗鬱な事柄を縷々述べてしまうのも、インフルエンザという劇しい病苦の渦中に私が置かれている所為だろうか? 苦しみは、人間の尊厳を形作る。今の私は当節流行の病魔に鍛えられて、嘸かし立派な容貌を備えているだろう。劇しく充血した双眸を眠たげに光らせて、ブルーライトを浴びている私の無精髭。それでは皆様、お休みなさいませ。

車谷長吉の人生相談 人生の救い (朝日文庫)

車谷長吉の人生相談 人生の救い (朝日文庫)