サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

バートランド・ラッセル「幸福論」に関する覚書 1

 セネカの『生の短さについて』(岩波文庫)を読了したので、今はイギリスを代表する思想家の一人に計えられるバートランド・ラッセルの著名な『幸福論』(岩波文庫)を繙読している。

 「幸福」という観念は、極めて内在的なものであり、事物の表層だけを捉えてその有無や強度を測ることの困難な対象である。外形的な不幸の指標、つまり暴力や貧困や疾病といった要素から、当人の主観の内実を推し量ることは可能である。だが、これらの外形的な不幸が皆無であるような条件下に暮らしていても、人間は不幸の泥濘に埋没することの出来る複雑な生物である。経済的に富裕であり、社会的な栄誉に包まれ、一見すると何の不自由もない生活を送っているように見受けられる人間の内面が、恐懼すべき荒寥たる空虚に浸蝕されているという事例は格別、奇異な事態ではない。

 だが、欲望の充足が直ちに「幸福」を意味する訳ではない、という基本的な原理を把握すれば、裕福な名士の抱えるニヒリズムに当惑する理由も消失するだろう。欲望は、自ら欠如を生み出して自ら充足するという循環的な構造を備えている。己の尻尾を呑み込む「ウロボロス」(ouroboros)のように、その円環には継目も終焉もない。一つの欲望が満たされても、ウロボロスは直ちに新たな欲望の火種を、つまり「空虚」を生み出して、自らその充足に向かって情熱を燃え立たせる。貧困に苦しむ人が金持ちに憧れて、実際に悪戦苦闘の末に成り上がったとしても、巨万の富を手に入れた途端、束の間の経済的幸福は揮発し、次なる野心が鎌首を擡げるに違いない。

 放縦な欲望の積極的な肯定は逆説的に、人間を絶えざる不満足の地獄へ陥れる。欲望に基づく享楽を堪能する為には、必ず不満足の状態が必要とされるからである。享楽の歓喜には一刻も早く到達するに如くはないから(少なくとも欲望の原理を全面的に肯定する人間にとって、無用の忍耐は悪徳に過ぎない)、自ずと「飢渇=充足」の反復の間隔は短縮されていく。この遽しいウロボロスの境涯は、所謂「幸福」の対極に位置する実存的形式である。

 既存の充足を蹂躙してでも新たな「欠如」を生成し、それを埋めることで劇しい歓喜を汲み出そうとする享楽的なウロボロスは、一つの場所に留まることも、静謐な生活に親しむことも出来ない。言い換えれば、人間が一般に「不幸」と呼称される状況へ失墜する背景には必ず、享楽的なウロボロスが蜷局を巻いているのである。無論、享楽そのものが幸福という観念に対立している訳ではない。絶えず新たな享楽を得る為に自ら眼前の幸福を破壊し続ける無際限な運動に関して、私は聊か懸念を懐いているのである。

 享楽は麻薬に似ている。両者は何れも常に刹那的な充足であることを強いられ、束の間の快楽が去った後には堪え難い苦痛と虚無が襲来する。強烈な快楽の記憶は、我々の精神を魅了し、その無際限な反復を劇しく希求するように命じる。平凡な日常を「強烈な快楽の不在」として定義する欠性的な認識の様態は、退屈な生活を慈しむ幸福を決して容認せず、承諾もしない。

 だが、欲望が自らの要求を外界によって絶対に叶えられるという見通しは、成り立たない場合が多い。我々の生活は事件と奇蹟の連続ではなく、叶えられる夢よりも踏み躙られる夢の方が多いのが通例である。そうであるならば、享楽的な実存は夥しい不遇の時間に苛まれる公算が大きいということになる。しかも享楽の歓喜は、充填される欠如の大きさに比例するので、前回と同等の歓喜を期待する為に要求される労力の水準は無限に高騰していく。従って享楽の歓喜を得ることは加速度的に困難の度合を増していくのである。

 この災いの原因は、幸福の主な源泉として競争して勝つことを強調しすぎる点にある。成功感によって生活がエンジョイしやすくなることは、私も否定はしない。たとえば、若いうちはずっと無名であった画家は、才能が世に認められたときには、前よりも幸福になる見通しがある。また、金というものが、ある一点までは幸福をいやます上で大いに役立つことも、私は否定しない。しかし、その一点を越えると、幸福をいやますとは思えない。私が主張したいのは、成功は幸福の一つの要素でしかないので、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払ったことになる、ということである。(『ラッセル幸福論』岩波文庫 P54)

 「成功」への執着に関するラッセルの指摘は、様々な事態に共通して適用され得る普遍的な警告である。成功そのものが罪深い訳ではなく、享楽そのものに致命的な瑕疵が内在している訳でもない。問題は、そうした経験を無際限に反復しようと試みる執拗な衝迫の裡に存しているのだと言える。過去の成功、過去の幸福、過去の快楽、つまり二度と戻らないものを無理にでも召喚しようと企てる理不尽で法外な要求が、様々な事物に対する病的な依存と固着を形成し、静謐な幸福の境涯を徹底的に破壊してしまうのである。

 完璧な過去への熱烈な執着、理想的なものへの異常な憧憬、つまり「存在しないもの」への抑制し難い欲望が、人間の幸福に対する最も厳格な宿敵であることに、我々は注意を払わねばならない。我々の関心が倫理的な性質を保持する為には、その照準が「現に存在するもの」へ向かって定められている必要がある。換言すれば、具体的な外界の現実に対する適切な理性的注視だけが、我々の欲望、我々の享楽を倫理的に浄化し、その健全性を保障するのである。

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

ラッセル幸福論 (岩波文庫)