三島由紀夫の短篇「憂国」(『花ざかりの森・憂国』新潮文庫)に就いて書く。
この「憂国」という短い小説は、極めて稠密で引き締まった端正な文体によって綴られた傑作であるというだけに留まらず、三島由紀夫という作家の人間性の最も中核的な部分を凝縮して示した稀有な作品である。「憂国」において語られた重要な主題は、晩年の大作「豊饒の海」において、より敷衍された形態で偏執的な追究の対象に据えられている。
三島由紀夫の倫理学、或いは幸福論は、美しいものへの過剰な執着を、その根底に息衝かせている。その審美的な欲望は極めて強固で宿命的な性質を帯び、彼の思索と行動の一切合切を強力に呪縛している。その渇仰の劇しさは、必然的に美的なものの永久的な持続を期待する。
美しいものに対する彼の深甚な欲望は、プラトン的な特質を伴っている。例えば「金閣寺」における「想像の金閣」と「現実の金閣」との較差に対する深刻な失望は、超越的なイデアと現象的な個物との間に先験的な位階を設けるプラトンの本質主義に酷似している。後に放火犯となる若い寺僧にとって、現実の世界に存在する感性的事物としての金閣は、絶対的な美の象徴としての「金閣」の不完全な分有の所産に過ぎない。真実在(ousia)としての「金閣」は、寺僧の感性的な認識を通じては決して把握されないのである。そして「金閣」が本来の美的性質を開示するのは、それが滅亡の可能性を備える場合に限定される。プラトンの思惟するイデアは、その本性として永久に不滅であり、絶えず現象界を超越している。「金閣」の美的性質が我々の肉体的感覚を通じて把握される為には、不可避的に「金閣」は、持ち前のイデアとしての本性を棄却しなければならないのである。
けれども、そうやって地上の現象界に降臨した金閣の美しさは、完璧無比の美しさではなく、飽く迄も不完全な分有の所産であるという構造的条件を免かれない。この不完全な分有としての「美」を、イデアの次元にまで高める為には、それを「永遠の相の下に」(sub specie aeternitatis)再び還元せねばならない。換言すれば、地上的な美の絶頂において滅びること、時間の権力に屈せず、寧ろ時間を超越しようと欲すること、こうした優れてプラトン的な欲望が、結果として「夭折」の神話に対する渇仰に転化するのである。
「夭折」に対する渇仰が「自殺」への願望と結合したとき、それは自己の存在そのものを、超越的な「美」の象徴に合致させようと試みる積極的衝動を生み出す。或いは、そうした衝迫が事前に精神の基底に潜在しているからこそ、自殺に対する願望は「夭折」という恩寵に似た但書を要請するのである。
だが、この場合の「夭折」とは必ずしも若年であることを一義的に意味しない。重要なのは「人生の絶頂」に位置する瞬間に死ぬことであり、従って「自殺」という方法もまた必須の要件ではない。病気や事故が原因であっても一向に差し支えない。寧ろ「自殺」によって特権的な「死」を演出する為には、恩寵に類似した何らかの大義名分を拵えなければならないのである。換言すれば、仮に意図的な自殺であっても、それは「運命によって強いられた」という修飾の措辞を伴わねばならないのである。
「憂国」における大義名分は、二・二六事件の勃発によって、運命の悲劇的な不意討ちとして齎される。だが、武山夫妻の苛烈な心中に至るまでの性急な心理的継起は、明らかに二・二六事件に端を発する必然的経緯であるとは言い難い。寧ろ「美しい死」を成し遂げる為に、蹶起の悲劇的な失敗を巧みに利用したと解釈すべきだろう。無論、そのような策謀の自覚は、華々しい自裁に附随する赫灼なる栄誉を毀損する要因として作用するので、作中においては慎重に排除されている。彼らは飽く迄も清冽な「至誠」の動機に衝き動かされ、已むに已まれぬ「憂国」の情熱に駆り立てられた結果として「自裁」に至らねばならないのである。それは死後の栄誉を欲する利己的な狡智とは絶縁していなければならない。
三島の希求する「美しい死」は、運命の齎す恩寵である。それは人間が自らの意思で意図的に作り出すことの出来るものではない。天賦の才能を惜しみなく発揮しながらも夭折したフランスの作家ラディゲに憧れていた少年期の三島は、恐らく運命的な滅亡が訪れることを心待ちにしていたのではないかと思われる。悲劇的な宿命、それが三島の琴線に最も強く触れる奇態で逆説的な「幸福」の源泉なのだ。しかし、三島の命を悲劇的な恩寵が奪い去る前に戦争は終わり、彼が英雄的な死を遂げる見込みは半ば強制的に失われてしまった。換言すれば、彼は英雄的で華々しい死の栄誉に浴する代わりに、凡庸で単調な生活の持続の裡に投げ込まれてしまったのである。それは彼にとって忌まわしい絶望と同義であった。戦後の彼の実存は、そうした単調な生活への適応の努力と、美しい死に対する拭い難い切実な憧憬との間で、息苦しい分裂を強いられていたのではないかと思われる。単に審美的な対象を愛でるだけでは、彼の聊か大仰な自己愛は満足しなかった。彼自身が審美的な対象として崇拝される必要があったのだ。その心理的な変遷は、芸術家から行動家への遷移という形で、彼の実際の生涯に明瞭に象嵌されている。美しいものを鑑賞したり創造したりするだけでは充足されない自己の精神的空洞を埋める為に、彼は具体的で肉体的な行動を通じて、自らの実存そのものを「美的なもの」に改造しようと画策した。その為には、本来ならば悲劇的な恩寵として享受すべきべき「美しい死」を、狡猾な偽装の下に、自分自身の手で獲得せねばならない。
だが、それは困難な挑戦であったに違いない。あれほど明晰な頭脳の持ち主が、そのような詐術の虚しさを知悉せずにいられた筈がない。事実、彼の遺作である「天人五衰」において描き出された安永透、夭折の宿命を証明すべく自殺を試みて失敗する不幸な若者の肖像は、特攻隊のように華々しい英雄的な「殉死」の名誉に与ることなく戦後の社会に生き残ってしまった三島の苦渋に満ちた自画像に見える。久松慶子が透に向かって投げ付ける残酷な批難の言葉は、三島にとっては遣る瀬ない自己批判を意味していただろう。それでも彼は「老醜」という凡庸な宿命に屈する途を選ぶことが出来なかった。それが三島由紀夫という人間の宿痾であり不可避の本質であったならば、誰がその奇怪な末期を嘲笑し得るだろうか。