サラダ坊主日記

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「悲劇」の呼び声 三島由紀夫「真夏の死」

 三島由紀夫の短篇小説「真夏の死」(『真夏の死』新潮文庫)に就いて書く。

 この「真夏の死」という作品は、血腥い「死」と輝かしい「栄光」と激烈な「性愛」の三つの要素を緊密に結び付けた重要な短篇である「憂国」と並んで、三島由紀夫に特徴的なモチーフを鮮明に照射する傑出した小説である。

 勝はこういう妻の横顔を何度か見たことがあるように思った。あの事件があって以来、妻は時々放心しているようなこんな表情をする。それは待っている表情である。何事かを待っている表情である。

『お前は今、一体何を待っているのだい』

 勝はそう気軽に訊こうと思った。しかしその言葉が口から出ない。その瞬間、訊かないでも、妻が何を待っているか、彼にはわかるような気がしたのである。

 勝は悚然として、つないでいた克雄の手を強く握った。(「真夏の死」『真夏の死』新潮文庫 pp.241-242)

 朝子が半ば無意識の裡に、その到来を待望しているものとは何か。恐らく、それは何らかの悲劇的な宿命である。平穏な日常性の秩序を壊乱し、人間を劇しい情念の泥濘へ没入させる事件としての「悲劇」を、彼女は自分自身でも知らぬ間に強く渇望しているのである。

 冒頭に惨たらしい災禍を置き、悲嘆の深淵からの緩慢な恢復の過程を描いて、末尾に微かな希望の閃光を滴らせるだけならば、そういう小説は幾らでも世間に転がっている。無論、絶望から希望への質実で地道な前進の過程を稠密に描くことは、人間の精神に向けて贈られる崇高な激励に他ならないから、殊更にその価値を軽侮しようとは私も考えない。但し、そうした通俗的構成を裏切り、人間の精神が潜在的に抱え込んでいる剣呑な逆説を明視する点にこそ、作家としての三島由紀夫の特異な個性が顕れていることに、読者は適切な注意を払うべきである。「悲劇」から「日常」への復帰、こうした主題の通俗的な価値を疑うように、三島は「悲劇」の再来を求める危険な欲望を朝子の裡に描き出す。

 こうした奇妙な反転、或いは皮肉で絶望的な悪意の表明は、単なる作家の悪趣味に基づく帰結ではない。三島は徹頭徹尾、戦後民主主義に支えられた世俗的な「平和」と「安心・安全」の社会に敵対し続けた作家であり、その意味では、彼は明らかに「戦争の児」なのである。但し、彼は現実の血腥く陰惨な戦場を生き延びた訳ではない。「野火」を書いた大岡昇平のように、戦争の凄惨な実相を己の網膜に焼き付けることで、作家としての出発を成し遂げた訳ではない。坂口安吾のように、戦時下の「空虚」の甘美な魅惑を潔癖に斥けようと格闘した訳でもない。彼が夢見たものは現実の「戦争」ではなく、それを起点として半ば想像的に形成された「戦争」の「幻影」であった。言い換えれば、彼は「戦場」によって育まれた男ではなく、飽く迄も「戦時下の社会」によって養われた青春の持ち主なのである。

 絶対的で超越的な「悲劇」から出発した人間が、恢復された平穏な「日常性」の秩序に奇怪な飢渇を覚え、寧ろ密かにその転覆と廃絶を願うようになるという心理的推移は、如何にも三島由紀夫の作品に相応しい、作者にとって根深く重要な主題である。この心理的推移は明らかに、華々しい戦死を遂げた英雄たちへの憧憬に包まれていた戦時下の青春によって培養され、牢固たる宿命として確立された実存的様式である。平俗な「幸福」の持続を覆すような惨禍に対する憧れ、悲劇的な「宿命」に対する欲望、これは三島由紀夫の文業を刺し貫く最も重要で基礎的な旋律なのだ。

 しかし何故、彼は通俗的な「幸福」の理念の裡に安住することを拒んだのだろうか。「戦争」の幻影に対するロマンティックな渇仰を、社会的な栄誉を勝ち得た後も棄却し得なかったのは何故なのか。或いは彼にとって「文学」は、不可能な夢想と欲望を代理的に表象する為の手段に過ぎなかったのではないだろうか? 不可能な「現実」を想像力の飛翔によって構築し、そこにあらん限りの夢想を充満させることが、三島の文学的野心を涵養する根源的な欲望の形態だったのではないか? そうだとすれば、やがて「作品」という代用品に満たされなくなった彼が、四囲の現実の裡に輝かしい悲劇的栄光を生み出そうと企てたのは自然な帰結である。彼は自分自身を一つの「作品」として創造することに最大の野心と苛烈な情熱の「祭壇」を見出した。偉大な小説家としての栄誉は、彼の本来的な欲望の充足には恐らく貢献しなかったのである。小説の裡に数多の私的な夢想を吐露することは、彼にとって世俗の理念に迎合し適応する為の格好の手段であった。けれども、彼の野蛮で利己的な欲望は、更なる充足に向かって果敢な滑翔を試みることを、彼自身に向かって厳命したのである。

 「真夏の死」において、朝子は自ら積極的に「悲劇」の再来を促すべく、野蛮な行動に踏み切る訳ではない。寧ろ彼女の表層的な意識は、そのような「悲劇」への倒錯的な衝迫の存在自体を察知していないかも知れない。けれども、彼女の精神的な深層において、剣呑な「待機」は着実に営まれているのである。或いは、それは三島自身の巧みな肖像画であったと言えるかも知れない。朝子に仮託された「悲劇」或いは「破滅」の到来への切実な「待望」は、三島の精神の根底においても、熱烈に脈搏っていたに違いないと思われる。

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)