サラダ坊主日記

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Dionysusの破滅 三島由紀夫「軽皇子と衣通姫」

 三島由紀夫の短篇小説「軽皇子かるのみこ衣通姫そとおりひめ」(『殉教』新潮文庫)に就いて書く。

 「古事記」や「日本書紀」に記録される「衣通姫」の伝説に想を得て綴られた、この荘重な文体の佳品は、恋愛に関する悲劇的なオブセッションを典雅な措辞の裡に見事に閉じ込めている。

 恋愛に関する悲劇的なオブセッションとは何か? それは淪落の関係、つまり社会の信奉する「正しい愛」の規矩から逸脱した情愛の関係に附随する危険な観念である。約めて言えば「心中」への欲望である。今生の世界で結ばれることのない愛を、死によって永遠化する悲惨な衝迫である。こうしたオブセッションは、三島の実存的な主題と密接に関連している。「美しい剝製」と化して現世の軛を超越しようと試みる悲愴な夢想は終生、三島の脳裡を去ることがなかった。

 禁じられた愛に殉じることは必然的に身の破滅を招く。だから一般に人間は幸福な愛情の形を求めて、淪落の紐帯を避けるべきと教え込まれる。束の間の感情に流されず、理智の力によって正しい幸福の形式を見究めることが、地上の真理に適うと看做される。しかし、三島の奇怪な欲望は、そのような「正しい愛」への従属或いは順応を軽侮する。何故なら、そこには絢爛たる悲劇の代わりに、凡庸で退屈な幸福の永久的な持続と反復が存在するだけだからである。それは三島の抱懐する審美的な理念に抵触する生活の様式である。

 無論、三島の思想が生涯、そうした危険な頽廃の裡に繋がれていたと言い切るのは早計である。彼の思想的な振幅は、悲劇への欲望とその節制の複雑な混淆によって形作られている。例えば「金閣寺」において、三島は「美」の象徴である鹿苑寺金閣を焼き払い、その呪縛から脱却しようと企てる。或いは、晩年の大作「豊饒の海」の掉尾において、彼は松枝清顕に端を発する壮麗な夭折と転生の悲劇をいきなり全否定する。しかし、そのような悪戦苦闘にも拘らず、悲劇に対する欲望は死ぬまで彼の魂を蝕み続けた。若しも彼が悲劇に対する欲望と絶縁することに成功していたら、あのような末期は有り得なかっただろう。

 三島の小説において、恋愛が一般的な幸福に帰結することは滅多にない。彼の作品には愛慾に塗れた関係性の描写が頻々と顕れるが、それは常に不吉で酷薄な瘴気と分かち難く癒合している。悲劇への欲望、苛烈な宿命に見舞われることへの憧れ、永遠に顕彰される一個の偶像に身を委ねること、これらの特筆すべき性向は一様に、凡庸な生活からの飛翔を示唆している。彼が殊更に死をくのは、無意味で平凡な衰微を何よりも忌み嫌うからである。彼の魂は、総ての事物が自らの最も美しい瞬間に、つまり審美的な絶頂の裡に凍結されることを欲している。如何なる劣化も老衰も有り得ない「美」の結晶を只管に希求している。

 しかし、美しいものを美しいままに留めておきたいと願いながら、三島自身は、その欲望の不可能な性質も充分に知悉していただろうと思われる。「九十歳に及ぶ長寿を保った」と記される皇后の肖像は、例えば「豊饒の海」における本多繁邦の老境との類似を感じさせる。「天人五衰」において本多は、次のように痛切な述懐を吐露しているのである。

 老いてついに自意識は、時の意識に帰着したのだった。本多の耳は骨を蝕む白蟻の歯音を聞き分けるようになった。一分一分、一秒一秒、二度とかえらぬ時を、人々は何という稀薄な生の意識ですりぬけるのだろう。老いてはじめてその一滴々々には濃度があり、酩酊さえ具わっていることを学ぶのだ。稀覯の葡萄酒の濃密な一滴々々のような、美しい時の滴たり。……そうして血が失われるように時が失われてゆく。あらゆる老人は、からからに枯渇して死ぬ。ゆたかな血が、ゆたかな酩酊を、本人には全く無意識のうちに、湧き立たせていたすばらしい時期に、時を止めることを怠ったその報いに。

 そうだ。老人は時が酩酊を含むことを学ぶ。学んだときはすでに、酩酊に足るほどの酒は失われている。なぜ時を止めようとしなかったのか?(『天人五衰新潮文庫 p.147)

 このような晩節を、三島は強く恐懼しながらも、同時に社会的成熟の不可避な過程として、受け容れようとしていたに違いない。その謹厳な努力は、例えば「陶酔的な生」から見放されて死んだ「貴顕」の柿川治英の絶望に、真っ直ぐに繋がっている。結局、三島は現実的な幸福よりも野蛮な酩酊を選び取って自決した。軽皇子衣通姫の美しい悲劇は、そうした陶酔への願望を描いた、一幅の理想的な絵画であるということになるだろう。

殉教 (新潮文庫)

殉教 (新潮文庫)