サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

劇的なる「不幸」を志向せよ 三島由紀夫「獅子」

 三島由紀夫の短篇小説「獅子」(『殉教』新潮文庫)に就いて書く。

 人間は一般に不幸を避け、幸福を探し求める動物であると信じられている。所謂「快楽原則」は、理性による適切な掣肘を享けた「現実原則」の形態に遷移したとしても、煎じ詰めれば快適な状況への志向を頑なに堅持すると定義されているのである。しかし、晩年のフロイトが編み出した「死の欲動」(thanatos)という思弁的概念は、そうした簡明な解説を覆す禍々しい独自性を孕んでいる。タナトスは快楽原則の強力な命令に叛き、自ら奇態な不幸の深淵へ転落していく。惨たらしい悲劇への積極的な衝迫、その強靭な志向性は、我々が素朴な仕方で信じ込んでいる堅牢な通俗的価値観を粉砕し、尤もらしい社会的秩序の土台を震撼する。

 三島由紀夫の掲げた主要なテーゼは、タナトスの無慈悲な衝迫と緊密に結び付いている。私的な要約を試みるなら、彼の訴えた重要なスローガンの一つは「退屈な安逸と幸福よりも、刺激的な不幸と惨劇を」というものである。言い換えれば、彼の官能的な欲望は必ず悲劇的な破滅と融合している必要があったのだ。退屈な幸福は、彼の最も重要な内在的欲望を麻痺させ、飢渇へ導き入れる。彼の魂は繰り返される安直な日常性の檻を忌み嫌い、絶えずその華々しく衝撃的な爆砕を夢見ている。堅実で規則正しい幸福、久遠に破られる見込みのない魂の午睡、そういった穏やかな生活の風景に、三島の精神が充足を覚えることは著しく困難である。

 だが、それを単なる「希死念慮」の感情と混同するのは余り適切な省察ではない。彼は単に厭世の情熱に駆り立てられて奇矯で大仰な自死を選んだ訳ではない。死ぬことそのものが彼の目的の総てであったとは考え難い。彼は「美しく華々しい夭折」を遂げることで、自らの実存を、永遠に保管される一個の芸術的な顕彰碑に還元しようと企てたのである。生き続け、徐々に老いさらばえていくことは、彼にとって栄華の没落を直截に意味した。「老醜」は「作品の腐蝕」と同義であり、それは時間の堆積に屈して記憶の彼方へ埋没することに等しい。しかし、彼は逆説的な仕方で「永遠たること」を痛切に望んだのである。彼は絶えず他者によって記憶され、称讃され続けることを欲した。その為には、華々しい夭折の栄誉が是非とも不可欠であると考えられ、信じられた。

 「獅子」の主役である繁子が抱え込んでいる頽廃的な野心は明らかに、三島の抱懐するタナトティックな欲望の旋律に縁取られ、決定的な影響を蒙っている。筋書きだけを取り上げれば、過度に陰惨な復讐譚に過ぎないと思われる「獅子」のヒロインは、余りにも侮辱的な境遇に長く囚われてきた不幸な日々の不可避的な帰結のように、不実な伴侶を深く憎んでいる。その憎悪の劇しさは、独善的な幸福を追い求める浮薄な配偶者への蔑視だけでは、到底説明が間に合わないほどの強度に達している。繁子が良人を憎悪するのは、良人おっとの存在や振舞いが、彼女の夢見る理想的な幸福の実現を妨礙しているからという端的な理由の結果に留まらない。自分の幸福の妨げを排除したいという尤もらしい動機だけでは、繁子の法外な怨嗟の成立は説明出来ないのである。彼女の欲望は幸福の実現ではなく、寧ろ陰惨な不幸を地上に降臨させ、眼前の退屈な日常の備える秩序を吹き飛ばすことを願っている。その凝縮された憎悪、生きる理由にまで高められた強烈な憎悪の働きが、この「獅子」という作品を、単純な復讐譚の論理から離陸させているのである。

 しかしこのような繁子の不埒な生き方は、見ようによっては最も危険のすくないそれかもしれぬのである。危険なのは「幸福」の思考ではあるまいか。この世に戦争をもたらし、悪しき希望を、偽物の明日を、夜泣き鶏を、残虐きわまる侵略をもたらすものこそ「幸福」の思考なのである。繁子は幸福には目もくれなかった。その意味で彼女はもう一つ高度の安寧秩序に奉仕していたのかもしれなかった。(「獅子」『殉教』新潮文庫 p.140)

 この劇しい復讐への情熱は怖るべき「自己抛棄」(p.140)の覚悟に支えられている。彼女は一般的な幸福への憧れや欲望を残らず捨象して、純然たる破壊の意志に総身を沈めている。こうした剣呑な実存の形式だけが、衆愚の生活を食い破る唯一の突破口であると、作者は信じていたに違いない。三島の牢固として抜き難い生来のヒロイズムは、平凡な幸福を蹂躙し、通俗的な平穏を苦り切った顔で唾棄する。「幸福な英雄」という観念は、三島にとっては不可解な論理的矛盾に過ぎない。ハッピーエンドは物語にならない。言い換えれば、あらゆる幸福は過激で絢爛たる「ドラマツルギー」(dramaturgy)から見放されているのである。幸福の最大の特質は無名であること、誰からも顧みられず、社会的な栄光と無関係であることの裡に存する。そのような境遇は、三島の巨大なヒロイズムを断じて満足させない。永遠の記憶に値する為には、私的な幸福を去り、平穏無事の境涯を脱して、日常の枠組みを覆す果敢な行為に踏み切らねばならない。繁子の常軌を逸した憎悪、完璧な復讐を成立させる為なら我が子を殺めることさえ辞さない苛烈な憎悪は、こうした悲劇的なヒロイズムと無関係ではない。

殉教 (新潮文庫)

殉教 (新潮文庫)