サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

他者の「鏡面化」 三島由紀夫「椅子」

 三島由紀夫の短篇小説「椅子」(『岬にての物語』新潮文庫)に就いて書く。

 この自伝的な作品におけるキーワードが「呻吟しんぎんの快楽」であることは明瞭である。

 呻吟は痛みの伝達の手段である。しかし呻き声を立てることで紛らわされている痛みというものを、人は知られたがらない。われわれは痛みは知られたい。しかし痛みの快楽は知られたくない。(「椅子」『岬にての物語』新潮文庫 p.229)

 この記述は同じ作者の「真夏の死」というノヴェレットを想起させる。伊豆の海岸で二人の幼子を失い、悲劇の主人公と化した女性が、精神的恢復と平穏な日常への復帰の後に虚無を覚え、再び無惨な宿命の到来を密かに希求するという不穏な小説である。彼女の胸底には明らかに「呻吟の快楽」が潜んでいる。こうした心理的屈折に着眼する辺り、意地の悪い分析家としての三島の面目が躍如としている。

 他人の眼に映じる自画像を理想化し、他者から寄せられる関心を糧に自己の精神を支えるナルシシズムは、あらゆる人間の内部に瀰漫している。悲劇の主役として夥しい憐憫を注がれることに密かな快楽を見出すとき、そこには確実にナルシシズムの作用が介入している。無論、誰しも他者の露骨な無関心に晒されることを歓ばないのは当然である。存在を黙殺されることの屈辱は、多くの人々にとって堪え難い苦痛を齎す。しかし、大抵の人間がエゴイズムの虜囚であることを鑑みれば、酷薄な黙殺を甘受することは社会的な訓練の基礎を成すものである。

 他者に賞讃されて歓ぶだけならば、それは必ずしもナルシシズムとは言えない。他者の賞賛を想像的に先取りし、他者の眼に映り込んだ自己の姿を愛すること、それがナルシシズムの特質である。そこには恣意的な検閲が関与している。彼らは他人の眼に映じた自己の客観的な姿を是認するのではなく、飽く迄も自己の想定する自画像が他人の眼に映じることを望んでいる。理想化された自画像を他人が承認するように仕向けること、それがナルシシストの駆使する「狡智」の狙いである。彼らは他者の厳正な判断に微塵も価値を認めていない。高慢なナルシシストは、手作りの自画像が受け容れられない場合、他者の知性や感性を悪しざまに批難する。彼らの眼力の欠如を心の底から侮蔑し、憎悪する。狡猾なナルシシストは、他者の心理を適切に見究めた上で、極めて巧妙に自画像の編輯を行ない、芸術的な詐欺を成立させる。何れにせよ、彼らの快楽には他者の視線が必要であり、厳密には他者の視線を収奪する必要があるのだ。

 他者の視線を収奪するということは、要するに他者の視線を自己の思惑に従って支配し、統御するということである。恣意的な理想に他人を服属させようとする専制的な野心の発露である。「呻吟の快楽」が成立する為には、他者の視線が不可欠だ。悲劇に堪えることは、高貴な自画像を育む。その高貴な自画像を他者が肯定し、共有するとき、「呻吟」は単なる苦痛を超えて秘められた「快楽」を醸成する。誰にも知られぬ痛みならば、それは純然たる苦痛に過ぎず、逆説的な「快楽」が喚起される理由もない。それが他人に知られ、公共の関心の対象となるとき、俄かに苦痛が甘美な性質を獲得するのは、いわば「虚栄心」の作用の結果である。虚栄心は必ずしも自己の輝かしい姿を誇示するとは限らない。悲惨な境遇に置かれ、夥しい不幸に堪えている姿を顕示する場合もあるのだ。

 劇的な「宿命」を求める心情には、多かれ少なかれ「虚栄」への欲望が混入しているように思われる。そもそも「栄光」という観念自体が、他者の視線を前提しなければ成立しない。拍手喝采したり悲憤慷慨したりする観衆が不在ならば、正負の符号を問わず、栄光の享受は不可能である。言い換えれば、ナルシシズムの快楽に依存する人間は、他者を自己の「部分」として繰り入れる心理的な操作を必要とする。虚栄心の安定的な充足を維持するには、事前に仕込まれた観衆の協力が不可欠なのだ。

 私たちは呻吟の快楽を隠す。それを自覚したとき、私たちはもう隠している。母は現在の私の中から悲しみの確たる証拠を探すことは困難だろう。

 してみると、あの私の神経質な幼年期に、母の悲しみがそれほど私に痛切に感じられなかったのは、母もまた懸命に悲しみを隠していたからにちがいない。二階の籐椅子から母が見ていたものは、私がやがて隠すであろう私の悲しみであり、私がまだ気づいていなかった私自身の悲しみであった。

 ……すると二階の籐椅子から母が見ていたものは、とりもなおさず、母自身の姿ではなかろうか?(「椅子」『岬にての物語』新潮文庫 p.232)

 他者の内部に自己の反映だけを読み取ること、いわば他者の存在を「鏡」として独占的に用いること、こうしたナルシシズムの働きが、三島の文業を構成する重大な要素の一つであったことは否み難い。「禁色」や「鏡子の家」に頻出する「鏡」のモティーフが、そうした消息を暗示している。

岬にての物語 (新潮文庫)

岬にての物語 (新潮文庫)