サラダ坊主日記

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「野卑」と「洗煉」の果てしなき往還 三島由紀夫「不満な女たち」

 三島由紀夫の短篇小説「不満な女たち」(『岬にての物語』新潮文庫)に就いて書く。

 この小説の随所に、意地悪な諧謔の響きが谺しているように感じられる。それを直ちに三島のミソジニー的な側面として指弾することは差し控えたい。この作品の主題を成すものは女性への陰湿な誹謗中傷ではなく、文化的=芸術的なナルシシズムであると考えるべきだ。

 「細川ガラシヤ」と綽名された聊か高慢な女性のナルシシズム、それを揶揄する意図が作者の筆致に滲んでいることは明瞭である。彼女は文化と教養を重んじ、芸術に関する審美的な鑑識眼を誇り、いわば階級的な上昇への意欲を鮮明に漲らせている。それが画家である桑原への執着に転化するのだが、それさえ一般的な愛情とは異質である。彼女が桑原を追い掛け回すのは、彼との関係が階級的上昇を促す触媒として作用することを期待しているからである。結局のところ、彼女は「実質」を求めているのではない。社会的栄光、それが彼女の欲望の源泉である。無論、三島は細川ガラシヤの夢見る文化人的な名声の虚しさを知悉した上で、この作品を著したのだろう。

 日本でいわゆる文化人どもの人工的ながさつさに飽き飽きしていた僕には、かれらの生粋のがさつさが気に入った。十七階建の米国風のホテル・クラリッジ、その十二階の僕の部屋へ、朝八時になるとかれらの数人がたずねてくる。やっと目のさめた僕が朝飯を喰ったり、髭を剃ったりしているあいだ、かれらは勝手に軽口を叩き合っている。禿頭の東洋風の哲人の記者は、明治時代の浪漫主義にまだかぶれている。容貌魁偉の若いほうの記者は、顔に似合わない抒情詩人で、女のこととなったら目がない。ポルトガル人の美人に街ですれちがうと、大声の日本語で、「あいつをやってみてえなあ」と独り言を云うのである。(「不満な女たち」『岬にての物語』新潮文庫 p.238)

 まるで坂口安吾の自伝的な小説を思わせる文章で綴られたこの一節には、所謂「芸術」の栄光の周りに群がる餓えたナルシシストへの侮蔑が隠見している。要するに退屈で辺鄙な日常への嫌悪が祟って、芸術家の発揮する特権的な光輝に眼が眩んでしまうのだ。恐らく日本の文化人が示す「人工的ながさつさ」は、本物の野卑とは似ても似つかない迂遠な洗煉の形態であり、煎じ詰めればナルシシズムの強いる演技に過ぎないのだろう。崇高な「芸術」と、その周辺に群がる人々の構成する文化的な秩序、それを三島は疎んじているように思われる。

「日本人はだから駄目なんですわ」と昂然と言った。「サン・パウロ近辺に日本人のお金持はずいぶん多いんですの。でも芸術のわかる日本人なんか、稀にしかおりませんの。一寸お金に余裕ができれば、芸妓遊びに使うだけが能なんですもの。『青柳』という店のこと、おききになりまして? 日本人の流れものの芸者を置いて、法外なお金をとる店なんですの。そこで皆使ってしまって、白人たちのように、ヨットを買ったり、社交に使ったりしないから、日本人だけどうしても孤立してしまうんです。……不満ですわ」(「不満な女たち」『岬にての物語』新潮文庫 p.244)

 細川ガラシヤの「昂然たる不満」を観察する作者の眼差しは冷笑的である。彼女は明らかに現地の新聞社に勤める日本人たちの「生粋のがさつさ」を忌み嫌っているが、桑原に擬せられた作者の視線は寧ろ、ガラシヤの教養主義的なナルシシズムを嘲笑している。新聞記者たちの野卑な言動は、良くも悪くも純真な欲望の発露である。しかし、ガラシヤの示す教養主義的な態度は決して「芸術」そのものへの直截な愛情の産物ではない。要するに彼女は、不快な現実を蔑視することで超越的な高みに登ろうとする凡庸なスノビズムの衣裳を纏っているに過ぎないのだ。

 サロンの女主人公になることが、細川夫人の終生の夢らしかった。日本内地の頽廃した貴婦人は芸術家よりも断然拳闘選手のほうを崇拝するのだが、まだ健康な彼女たちは、野性を卑しめて、断然芸術家のほうを崇拝していた。文化的なものは生活に色彩を添えるばかりか、進んで生活の利便を提供するものと思われた。在留邦人の間では、洗練はまだ衰弱の同義語ではなかった。(「不満な女たち」『岬にての物語』新潮文庫 p.253)

 細川ガラシヤの「文化的なもの」に対する素朴な信仰を、作者は醒め切った眼差しで眺めている。無論「日本内地の頽廃した貴婦人」の方が細川ガラシヤよりも優れているという議論は成立しない。何れにせよ、彼らは押し詰まった「不満」の捌け口を、時々の境遇に応じて「芸術家」に求めたり「拳闘選手」に期待したりしているという点では同族なのだ。彼らの「昂然たる不満」には出口がない。無限に続く回廊の如く、その頑丈なスノビズムは、新たな獲物を欲して牙を剝き続けるだろう。こうした「俗物」の世界を意地悪く活写する三島の筆致には、謹直な悲劇的作品においては望み難い軽捷な躍動が感じられて面白い。

岬にての物語 (新潮文庫)

岬にての物語 (新潮文庫)