サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「月影」 8

 中学三年の夏休みに、私は生まれて初めて、恋人と呼べる存在を手に入れました。
 手に入れたなんて言い方は何だか、あざとい策士のような表現ですね。寧ろ私が見事に魂を射止められてしまったと言うべきでしょうか。相手は一歳年上の弓道部の先輩で、県大会の個人戦で準優勝した経験のある腕利きの人でした。少し軽率に聞こえるかも知れませんが、射場いばで見せる彼の凛とした佇まいに、心を奪われてしまったのです。勿論、外見だけで恋心を懐いた積りはありません。練習熱心だし、優しいし、頼もしいし、素敵だなと感じるところを計え上げたら切りがないくらいです。弓の初心者がうんざりするほど繰り返しやらされる巻藁の練習では、彼は二年生のときから顧問の先生を補佐して師範代の役割を務めていました。私も随分、彼の助言に助けられましたし、弓道に限らず、学校の勉強に就いても色々と教えてもらいました。私の上達が比較的順調だったのは、きっと彼の丁寧で親切な指導の御蔭だと思います。
 彼は大柄な体格で、白い筒袖に黒袴を穿き、伸寸のびすんの和弓を構えて引き絞る姿は、私に限らず、多くの女子部員の憧れの的でした。清潔な短髪も、小麦色の滑らかな肌も、落ち着いた柔らかい声も、総てが女子の琴線に触れる条件を絶妙に満たしていたのです。その割に、彼は同年代の異性と接するのが余り得意な性格ではありませんでした。男ばかり三人兄弟の家庭に育ち、しかも生真面目な長男坊で、女子と触れ合うことへの免疫が乏しかったのかも知れません。或いは、女子とどんな会話を交わせばいいのか、よく分からなかったのかも知れません。だから知り合って最初の頃は、ただでさえ向こうが一年先輩ということもあって、会話の内容は殆ど弓道の話題に限られていました。親密な関係になった後も、その傾向は基本的に変わらなくて、ドラマや音楽の話を振っても途方に暮れるばかりなのに、高校進学の御祝いに父方の祖父母から贈られた高価な黄櫨の和弓の素晴らしさに就いては、一時間くらい平気で熱弁を揮えるのです。男の子との付き合いに慣れた大人びた女子なら、見た目は良いけど案外中身は退屈だなって思って、直ぐに斬り捨ててしまうかも知れませんね。幸い、私は一人娘で男の兄弟もいませんでしたし、同年代の中では奥手な方だったと、少なくとも自分では思っています。だから、彼のそういう性格に、特別な不満を感じることはありませんでした。寧ろ、そういう不器用な部分に親しみを覚えて、これなら浮気の心配もないんじゃないかと、却って嬉しくなったくらいでした。初めての恋人なのに、早速浮気の心配をするなんて、少し独占欲が強いように聞こえるかも知れませんけど。
 夏休みの間も、私は毎日のように学校へ通って、巻藁の練習と天体観測に明け暮れていました。学校の構内に本格的な弓道場はありませんでしたが、剣道部や柔道部と共有している武道館の一角に、巻藁練習の為の区画が整備してあって、そこで来る日も来る日も射法八節しゃほうはっせつの型を御浚いするのです。大会の直前は、県営の近的場を借りて部員皆で遠征をします。七月の終わり、そこに先輩である彼が(少し他人行儀ですが岩崎さんと呼びます)顔を出して、母校の後輩の指導に当たってくれたことがありました。その日は急遽、顧問の先生が親戚の葬儀の為に留守にしていて、それで信頼の篤い彼が、代打の指南役として呼ばれた訳です。朝から夕方まで、私たちはずっと熱心に練習に打ち込みました。岩崎さんも、別に私の面倒だけを見る訳ではなくて(そんなことをしたら、流石に露骨ですもんね)、後輩たち全員に順番にアドヴァイスをして、時には自ら射位に立って手本を見せてくれました。高校生になった彼は、中学の卒業式のときと比べても、別人のように大人びて、勇ましくて、凛々しく見えました。私だけではありません。皆同じように憧れを感じていたと思います。はっきりと明確に意識していた訳ではありませんが、私も密かに恋心を募らせていました。そのときは、そういう自分の感情を殊更に直視しようとは考えませんでしたけど。だって、奥手なんですから。直視したところで、何か具体的な行動に踏み切れる訳じゃないし、告白の仕方とか、距離の詰め方とか、そういうのも全然見当がつかないんです。だったら、直視したって虚しいだけだと思いませんか?
 長い練習が終わり、私たちは弓道衣を脱いで一日分の汗を拭きました。一時間に一本しか路線バスの来ない辺鄙な土地なので、私たちはスポーツセンターの休憩所に群がって、ジュースを飲んだりアイスを頬張ったりしながら、時間を潰しました。たまたま私はその日、生理が始まって三日目で、練習に励んでいる間は余り気にならなかったのに、豪快にがぶ飲みしたスポーツドリンクで躰が冷えたのか、バスを待つ間に途轍もなく御腹が痛くなって、慌ててトイレに駆け込みました。未だ生理痛という言葉を人前で口にするのが恥ずかしい頃で、仲間たちに理由を悟られないように、こっそりと忍び足で行ったのが悪かったのでしょう。哀しいことに、トイレから出て来たときにはもう、18時のバスは定刻通り発車した後で、弓道部員たちの姿は跡形もなく掻き消えていました。実際には、バスに乗り込むときに誰かが私の不在に気付いて、皆で探そうとしてくれたらしいのですが、無愛想な運転手さんは時間に遅れることを酷く嫌がったらしく、流石に次のバスを待つ訳にもいかなくて、止むを得ず私を置き去りにして帰ったそうです。