サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「古都」 7

 伯母と言葉を交わすのは久々だった。暫く見ない間に皺が増え、白髪が増え、背丈が縮んだ。身内が逝く度に、命の深い部分を削られるのだろうか。況してや今回は、最愛の娘なのだ。啀み合う日々が続いていたにせよ、開いた傷口から濫れる血潮は並大抵の量ではない。憔悴の露わな目許に、餓えた鴉のような鋭い光が瞬いている。追い詰められた獣の獰猛さを思わせる、狷介で憔悴し切った眼差し。生前の秋南が懼れたのは、この錐のような眼光だったのか。
「遠くから申し訳ないなあ。突然のことやったから」
 型通りの言葉の裏側に透けて見える感情の鬼火を、私は密かに感じ取らずにはいられなかった。秋南の東京住まいを助けた私たち家族に、彼女が名状し難い複雑な気持ちを抱えているであろうことは明白だ。敢えて互いに深く突っ込もうとはしないが、長引いた蟠りは唐突な縊死に膨れ上がり、我々の関係さえも呑み込んでしまった。紐帯に生じた段差は、簡単には直せない。死者の陰翳が絶えず、天蓋のように被さっているからだ。それが「遺族」と呼ばれる人々に課せられた重たい宿命なのだろう。御弁当用意してあるから食べてな。野菜や豆腐や穀類の詰まった味気ない昼餉を食らうのが、せめてもの故人への労りであり、切ない餞だ。伯母は生き残った自分自身を持て余しているのだろうか。生前の故人に対する己の仕打ちや振舞いを悔やんでいるだろうか。彼岸へ旅立った娘の後ろ髪を、今更掴もうとは思わないだろうか。三途の川は、轟々と流れているのか。
 生き残ったという感覚、それが歓びではなく罪悪に染まるのは、不幸な境涯である。しかも、それは俄かに運び込まれた、不吉な家具のように、もう動かしようもない。焦っても拒んでも、耐震固定の金具が、恨めしそうに眺める生存者の後悔を、地上に縫い付ける。後を追いたくなるのは、毒を以て毒を制する為だろう。死の哀しみは、屍には分からない。だから、いっそ屍になりたいと、奇特な欲望が積乱雲のように湧く。
 伯母が死を選ぶのではないか。帰りの新幹線で母が口にした言葉を、父が険しい顔で窘めた。言葉は、一歩間違えれば呪詛と化す。滅多なことを言うものじゃない。母は叱られて口を噤んだが、どす黒い不安は消え残っている。弾まない会話も、やがて疲労に由来する睡魔に引き取られ、結論を欠いたまま曖昧に打ち切られた。目覚めた頃には、日の落ちた新横浜の駅舎が彼方へ去りつつある最中であった。日常に復帰すれば、忽ち生々しい異様な感覚も消え失せる。総てが後戻りし難い、隔絶した夢想であったような気がする。所詮は他人事、と自嘲する気持ちも何処か空々しく響くばかりで、何だったのだろうと考え込むのも面倒になる。事実は変わらないのに、心だけが容易く反射角を改めていくのだ。さよなら、秋南。そう呟いても、感情が波立たないことに、我ながら、ぞっとした。

 梅雨が明けて、千葉は一挙に旱天の日々へ入った。酷烈な陽射しに喘ぎながら、私は本能に強いられて羽搏く昆虫のように淡々と仕事へ出掛けた。瀧のような汗が、視界の縁を灰白色に染める。ワイシャツの襟に黄ばんだ汚れが縁取りのように残る。妻は帰宅した私に何よりも先ず熱いシャワーを勧める。すっかり鼻摘み者の自分に、今更初心な新郎のように気落ちすることもなく、黙って湯上がりの冷えた麦酒で、一日の労苦を洗い流す。
 伯母からの葉書が、郵便受けに忍んでいた。金魚と蝉と花火の図案、涼しさよりも夏の熱気に飛び込む心意気が感じられる文面で、会葬の礼を述べている。暑中見舞いとは違うのだろうか、繁文縟礼に疎い私には見定めがつかない。見慣れない伯母の手書きの字は、夏の暑さに掠れているように見えた。秋南の死という喪失が、伯母の内面に描いた波紋を、私は結局、正しく精密に推し量れぬままであった。親しいと言えるほど、深い付き合いはない。日頃から頻々と顔を合わせる間柄でもないのだから、秘められた魂の傷口に、恩着せがましく指先で触れるなど失礼だろう。
 それは長閑な日曜日だった。妻は友人と美術館へ出掛ける約束で、朝から家を空けていた。皐月賞の苦い記憶以来、わざわざ競馬場へ赴く気力は絶えていた。一通り家事を終えると、本当に手持無沙汰で、退屈なテレビに見入るのも馬鹿らしく、外へ出た。午下がりの明るい光が、懶い住宅地の車道に平たく流れている。時が止まったように、辺りは静かで、遠くから車の走り抜ける騒めきが、思い出したように聞こえるだけだ。
 幾ら眠っても、眠り足りない日々が続いていた。不思議な病のように、それは私の心身を少しずつ蝕んでいた。何故、眠れないのか分からない。眼が冴え返っているのでもない。秋南の死から、直接的な傷を受けたという自覚もなかった。ところが、俄雨のように、それは唐突に訪れ、骨身に絡んだ。山間の高速道路で、次々とトンネルに滑り込むように、私の意識は、明るい地上と、橙色の暗がりを交互に行き来し、不穏な明滅に沈んだ。
 だから目醒めても、私は何かの続きを夢見ているような錯覚と手が切れなかった。日常が、泡沫のような夢と通じ合い、溶け合って、境目は白く霞んでいる。眩しい夏の街路も、私の眼には克明な絵画のように美しく、空々しかった。