サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「古都」 10

 秋南は快活で、何処か息子のような娘でした。人形で遊ぶより、母親の真似をしてオママゴトに興じるより、外光を浴びて、外気のただ中で、汗の滴を陽に燦然と燃やしながら走り回っている方が、あの娘の性には合っていたのです。小さい頃、自転車に跨って淀川の河川敷に土手から転げ落ち、足首を捻挫したことがあり、家内は血相を変えて娘の不品行を叱ったものです。その時点でもっと厳しく躾けるべきだった、そこからもっと入念に矯正すべきだったと後年、彼女は度々言いましたが、私はそれに必ずしも同意しなかった。思えば、それが確かに釦の掛け違いだったのかも知れませんが、誤りだったと決め付けても、今では虚しいばかりのような気がするのです。こういう言い方は不謹慎でしょうが、どう足掻いたところで、この物語の結末は変えられなかったのではないか、そういう口に出せない筋金入りの絶望が、娘の訃報に接したときも、骨壺に娘の欠片を納めたときも、葬儀が済んで家へ帰って寝室へ入ったときも、通奏低音として鳴り止みませんでした。正しい感想なのかは分かりません。あの二人が、運命的に噛み合わぬ二人だったのではないかという悲劇的な認識を、誰がオフィシャルな真理として掲げられるでしょうか。
 男親にとって娘というのは特別な存在で、それは自分の分身のように見える息子とは異なった存在です。息子というのは逞しい雑草のようなもので、陽を燦然と浴びて汗臭く草原を駆け回る野獣の輩です。然し、娘はどんなに兄に似ようと、芯の部分は女ですから、結局のところ、男親には理解し難い他人であり、いわば御客様のようなものなのです。女は何れ他家へ片づきます。何れは他人様に持ち去られる存在なのです。その距離感ゆえに父親は年頃の娘に指を銜えて黙って見ているような無責任を選ばざるを得ませんが、女親はそう暢気に構えてもいられません。母は娘にとって、女という生き方の先輩であり、望むと望まざるとに関わらず、大事な手本なのです。母は娘の隅々に視線を届かせ、隠し事を許さず、透明な水槽に沈めた熱帯魚のように監視する生活から逃れられない、特に家内はその傾向が強く、所謂放任主義など唾棄すべきものと考える厳格な女でしたから、秋南は嘸かし息苦しく、窮屈であったろうと思います。こうした感想が如何にも他人事のような無責任な言い分に聞こえるのは百も承知ですが、今更体裁を取り繕ってもそれは無益な偽善ですから、敢えて有体に申し上げておきます。
 思春期を迎えてバレーボールに熱を上げるようになった秋南を、家内は余り快く思わなかったようです。上の兄二人が、野球や水泳に夢中で、高校に入ってからは親に隠れて酒を飲んだり莨を吸ったり賭事に興じたりしていた悪餓鬼だったものですから、小さい頃からその二人にくっついて鞠のように遊んでいたあの娘が、その影響を免かれる筈もありません。鷹明と隼人、如何にも獰猛で俊敏な若造に似つかわしい名前だと思いませんか。或いは家内は、長男と次男のいかにも男の子らしい素行の悪さに不満を溜めながらも手出しが難しく、その持て余された教育への情熱を同性の秋南に悉く注ぎ込んだのかも知れません。男は家に籠って蒼白いモヤシに育つより、少々道を踏み外しても活発で豪胆な方が良いという、子育てに関する私の趣味(方針などと大仰な言い方は控えます)が、鷹明たちの乱暴な成長を用意したのだとすれば、家内に対して、秋南に対して、私は罪深い男だということになるでしょう。彼女たちの長年の葛藤を惹起した一因は、私の教育に関する価値観の歪みだったのですから。少なくとも家内の眼には、それは歪んで映じていたと思います。
 母子の諍いを、私は遠巻きに眺めていました。どのように介入すれば良いか手立てが分からず、日和見に傾く自分を止められなかったのです。楽な方向へ流れる自分を押し留める為に必要な確固たる確信のようなものが、私には欠けていました。手を伸ばしても届かない独特な境域が、家内と娘の間に広がっているような気がして、近付けば却って攪乱してしまい、状況を悪化させてしまうのではないかという危惧が拭えないまま、日が過ぎていきました。それを傍観者の怠惰として謗るのは勝手ですが、そうした膠着に父親であり夫である私が何の鬱屈も感じなかったと思われるのは、至極不本意です。私だって、二人の諍いに何の感情も懐かぬ訳がないでしょう。娘を自死に至らしめた情けない父親という世間の印象を根底から覆すのは固より叶わぬ夢ですが、申し開きの機会ぐらい与えてもらう権利が、認められるべきではないでしょうか。
 大きくなるに従い、秋南の内面で何かが、それを分かり易く呼ぶとすれば「自我」ということになるのでしょうが、幼い頃とは比較を絶した堅牢さで育ち、膨張し、最早彼女自身、抑制の利かぬほどに強く迫り出してきているのを、日和見の私でさえ朧に感じていました。無論、家内だって経験のあることですから、娘の内部に萌芽し、手負いの狼のように抗い難く牙を剥く彼女の「本質」とやらに、気付いていなかった訳がありません。唯、私と家内の違いは、その獰猛な「本質」に対する接遇の作法に存していました。私はそれを「自立」の証と看做し、納得しない部分を見出しつつも、全面的に、頭ごなしに否定しようとは思いません。それは私が家内よりも「寛容」であるからではなく、単に距離感の問題でした。私よりも遥かに間近で娘の内なる「本質」の発現を見届けつつあった家内は、穏やかに冷静に、その対処を講じるような余裕と無縁で、反射的に振り上げられた折檻の拳のように、夢中で飛び掛かるより他に術を見出せなかったのです。それは彼女の罪ではなく、強いられた、避け難い構造であったと見るのがフェアネスというものです。
 野蛮に生い茂る秘められた内面を、家内はどうにか制御可能な範囲に収めようと躍起になり、そこで深刻な闘争が起こりました。娘にとっても、発現しつつある自我は思うようにならない、竜巻のような衝動であり、家内とどれだけ辛辣に言い争っても、自力で扼殺することは既に不可能な状態だったのです。家内自身は、厳しい母に躾けられ、その教えに忠誠を誓ってきた過去を持っていますから、秋南の奔放さは、質の悪い放縦に見えたのかも知れません。或いは、自分が得られなかった自由を臆面もなく欲しがる娘の「強さ」が妬ましかったのかも知れません。そのような穿った見方は家内に失礼ですから敢えて口には出せませんが、強ち的外れとも思いません。