サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「古都」 12

 思いもしないときに、例えば夏の夕暮れに、痩せた蝙蝠の影がオレンジ色の街燈へぶつかるように、突然に破局というものはやってくる。いや、思いもしないなんて言い方は、本当は嘘っぱちだ。少しずつ知らない間に浴室の壁に黒黴が繁殖していくように、それはもう予告された未来で、実際にはずっと前から起こることが決まっていた事件なのだ。気付かないふりを選んだだけで、本音では、それが来るのを怯えながら待ち望んでいたのかも知れない。知らず知らず、糸を引いて、自分の力できっと手繰り寄せていた。破局のきっかけを、いや、出奔のきっかけを、あたしはずっと求めていた。渇いた喉に流れ込む冷たい水のように、母は痛烈な言葉を投げて、持ち堪えていた堰を突き崩したんだ。
 女子大を出て、アパレルの会社に入ったあたしは、四条河原町の店で売り子になって、毎日色んなお客さんの応対に明け暮れた。それが果たして愉しいか愉しくないかなんて、簡単な一言では言い表せない。知らないことを学ぶ新鮮さは確かに喜びだけど、決まり切った日課を淡々とこなすのは、どう取り繕ってもやっぱり退屈だ。そのうち天秤は、どちらかと言えば退屈の方に傾きがちになり、仕事への情熱なんて綺麗ごとは、口が裂けても言えなくなった。そんな考えに染まることを拒む強情な意志が、何時しか根を生やしていた。退屈な日常に対する絶望? 簡潔に纏めれば、そういうことかも知れない。だけど、そんな風に手早くラベルを貼れるほど、当時のあたしは、自分の気持を理解していなかったし、感情が色々な方向へ引っ張られて歪むのを抑えるだけで日々、精一杯だった。
 先輩たちは、仕事に身が入っているように見えない危なっかしい新人を心配し、彼是と世話を焼いてくれたけど、優しく投げ掛けられた言葉があたしの魂の奥深くまですっと染み入ることは稀だった。そもそも、生きていく上での基準が根底から違っている気がして、周りの雰囲気とか文脈に素直に馴染めなかったのだ。先輩たちは、あたしの何倍も渡世に慣れていたし、生きていれば否でも避けられない色んな困難への免疫を、たぶん散々苦労した結果だろうけれど、きちんと上手に作り上げていた。彼らにとって、あたしの味わっている陰気な屈折は、何処の街角の道端にも転がってる卑小な躓きでしかなく、とっくの昔に簡潔明瞭な処方箋が開発され、準備されている一過性の「風邪」の仲間で、そんなに深刻な顔つきで思い悩む必要はないと親切に、慈悲深く教えてくれた。その優しさを「寛容な無神経」と取り違える幼稚で野蛮な攻撃性が、未だ若かったあたしには備わっていた。生温い人生訓で心機一転の境地に踏み切れるほど単純で頑丈な性格なら、そもそもママの躾に刃向かって不毛な喧嘩三昧の日々を送ったりしない。結局、どんなに善良な人たちのように見えても、彼らは自前の物差しをあたしの心に勝手に宛がっているだけで、最初から狂っているのは目盛りではなく、世間知らずの新入りが大事に抱え込んでいる「価値観」の方だと決め付けているのだ。そんな鬱陶しい重荷は投げ捨てて、早く楽になりなさい。何だか、偉い和尚さんの聞かせてくれる単調で有難い法話のようだ。実際、先輩たちは皆、敬虔な信者のように晴れがましい顔をしていた。一体、何を鵜呑みにして、何を支えにして生きているんだろう。毎日、窮屈で退屈な仕事の山に埋もれて喘いでいることの何処に、諸先輩の信じる「幸福」の泉が滾々と湧いていると言うんだろう。
 生憎、あたしは怠惰な破戒僧の未来を選ぶことに、切実な魅惑を感じる天邪鬼だった。心に染み入る優雅な御説教で、性来の方針を百八十度転換するなんて出来ない。彼らの期待に応じられないのは残念だったけれど、あたしは頑固に退職を決意した。それから幾つか仕事を転々とするうちに、京都を離れたいという想いが強まっていった。住み慣れた土地を離れるのは、不安を伴う選択だけれど、鬱陶しい柵から逃れるには、最終的に避けて通れない道だった。
 仕事を辞めたいという密かな決意を、ママに話すのは億劫だった。けれど、流石のあたしも、何も言わずに京都を離れようとは思わなかった。フェアじゃないし、ママに行き過ぎた哀しみを与えたい訳じゃない。だから、夕食の席で切り出した途端に浮かんだ、ママの劇しい憎しみの眼つきは、あたしの心を深く抉った。予想していたよりも、その反応は意地悪く、攻撃的だった。仕事を辞めて、東京へ行って、それで何が望みなんや。自分の人生が先々どうなるんか、真面目に考えてみたことあるんか。次々に繰り出される言葉の過剰な熱量が、少しは殊勝な振舞いを心掛けようと考えていたあたしのプライドを徹底的に傷つけた。許せない、という感情が、目覚めたばかりの猛禽の雛のように、黒々と濡れた翼を広げた。子供扱いを止められないのは親の性かも知れないけれど、赤ん坊の頃から今日まで、時間は着実に積み重なって来たんだ。何時までも、まるでどっちが反抗期の子供か分からないみたいに、その覆いようのない現実に眼を塞ぎ続けようとするママの幼さが、あたしの癇に障った。
「なんでこんな、出来損ないの娘になってしもたんやろ」
 それは残酷な禁句だった。許し難い暴挙、いつまでも残り続ける忌まわしい腫瘍のような記憶。血管の中を、様々な感情が一気に駆け上り、大人ぶった理性を粉々に砕いた。出来損ない、それが誰の責任なのか、きちんと公平に見定めることもしないで、独断と偏見で言い募るママの短絡的な軽挙が、その瞬間にはあんまり眩し過ぎて巧く捉えられないほどだった。立ち上がって、思わず椅子の背を力任せに引き倒していた。派手な音が鳴って、赤児のように呆けた顔で口を噤んだママに、憤怒に彩られた娘の、今まで見たこともない眼差しは、どんな風に映ったのだろう。
 振り返ることさえ苦痛で、呼び止めるママの叫び声にも答えず、玄関のドアを乱暴に開け放って、あたしは夜道へ逃れた。解き放たれた奔馬のように、あたしは何かに怯えながら、新たに開かれた未来の感触にぶるぶると顫えていた。もう此処にはいられない、遠くへ、遠い空の彼方へ。此処にいてはいけない、という内なる呻きが、呪文のように鼓膜を濡らし、躰の隅々まで念入りに火照らせた。
 こないだ作ったばかりのクレジットカードで、東京までの新幹線の切符を買った。ごった返す京都駅の人波に紛れ込むと、もう追手は届かないという安堵が生まれて、漸く少しは理性が甦った。色んな土地へ向かう列車が網目のようにややこしく絡まり合っている駅で、迷わずに東京行きの切符を選んだのは、夏津子叔母さんの顔が咄嗟に浮かんだからだ。遊びに行く度に、あたしの行き場のない愚痴に優しく耳を傾けてくれる叔母ちゃんの顔が、あたしを蛍火のように誘ったのだ。夜の新幹線は空いていた。発車のベルが鳴るまでは、後悔の念が何度も漣のように寄せては返していたけど、扉が閉まって列車が静かに動き出した瞬間に、そういう未練がましい感情は弾け飛んだ。化粧の濃い車内販売のお姐さんを呼び止めて、大して美味しくもない無糖の珈琲を啜る頃には、もう列車は米原駅を過ぎていた。