サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(古びた手帖)

*主に仕事の為に使っている手帖を、年が明けたので真新しいものに取り換えて、去年使っていた分は二階の納戸へ蔵った。そのとき、不図思い立って鞄や戸棚を漁ると、古びた手帖の束が姿を顕した。最も古い年度は2013年、私が未だ市川の店舗に在籍していて、現在の妻と入籍した年である。気付けば早くも2020年、つまり過去七年間の私の業務と生活の履歴が、その手帖には記されていることになる。

 綴られた文字の含む内容は何れも無味乾燥な業務用の覚書で、一つ一つのセンテンスに重大な意味が籠められている訳ではないし、当時の出来事が詳細に記録されている訳でもない。商品の予約や、部下の社員の研修や、諸々の煩瑣な雑務の予定が簡潔な言葉で淡々と刻まれているだけである。それでも、その頁に登場する色々な人名に触れると、断片的な記憶が甦って仄かな郷愁を誘うのは摩訶不思議な魔術である。大抵の場合、人間の鮮明な記憶は誰かしら懐かしい「ヒト」の横顔と結び付いているものだ。

 私が仕事において手帖というものを使うようになったのは恐らく2013年頃が最初で、2006年に入社してから七年間くらいは、自分のスケジュールやタスクリストを文字に起こして管理するという頗る原始的な慣習さえ持たずに働いていたということになる。その反動のように、2013年の手帖には、殆ど余白を残さぬほどに、筆圧の強い黒々とした几帳面な文字で、様々な予定が書き込まれ、恰かも濃密な呪詛の文句を刻んだ古代の邪悪な文献のようだ。

 人間は色々な事柄を極めて容易く忘却する生き物で、自分自身ではそれなりに鮮明な記憶を保持している積りであっても、大抵の場合、それは現実離れした奇態な思い込み、或いは暢気な思い上がりに過ぎず、事物の細部は悉く忘却の彼方へ跳び退って最早軌跡を辿ることさえ叶わない。忘れていた名前もあるし、自分の記憶とは辻褄の合わない物事の時系列に面食らう場合もある。私が忘れてしまえば、きっと誰も思い出すことがないだろうと思われる個人的な出来事も、過去の隙間には無数に含有されているに違いない。だからこそ、人間は生得的な情熱のように何かを記録することに情熱的な野心を燃え立たせ、様々な手段で自己の実存の証拠をこの世界に刻み付けようと躍起になるのだろう。その試みが往々にして虚しい悪足掻きに終始し、余程の偉人でもない限り、その人の生の痕跡は拭い去られ、散り散りに吹き飛ばされ、如何なる映像も結ぶことのない孤独な沈黙の裡へ埋葬される。人が子供を作るのも、一つの記録の手段であり、自己の痕跡を生物学的な連鎖の過程へ組み入れようとする努力に他ならないのかも知れない。子供の振舞いや体形の中に、自分と類似した要素を発見して嬉しくなるのは、そこに自己の存在の証を見出すからではないだろうか。

 日々、齷齪と生きて走り廻っていると、嵐のような光陰の変転の繰り返しに殊更想いを馳せることもないので、流れ去る時間の重みと手応えを忘れてしまいがちだが、こうやって過去七年間の手帖を徒然に捲り返してみると、一頁ごとに記された筆跡の積み重ねが、知らぬ間に厖大な量へ達していることに気付いて暫し呆然とする。当面の予定を手帖の真っ白な空欄に書き入れる作業を、私は数え切れないほど幾度も繰り返して、この2020年の睦月に辿り着いたのである。その間に、私の身辺には公私を問わず様々な事件や出来事が降り注いだ。自ら招いた不幸も、突然に到来した僥倖もあったが、何れにせよ改めて回顧してみれば、自分の人生が思わぬ偶然の連鎖によって流動を強いられ、少なくとも2013年の時点では想像もしなかった場所に根を下ろしていることに気付かされる。それは記録の力を借りて思い出す以外に実感する術のない、或る奇妙な感慨である。