サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

ジャン・ブラン「ソクラテス以前の哲学」に関する覚書 1

 ジャン・ブランの『ソクラテス以前の哲学』(文庫クセジュ)に就いて書く。

 廣川洋一の『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫)と同じく、古代ギリシアの思想史を扱った本書は、翻訳であることも手伝って、聊か難解な歯応えを強いられる。しかし、独特の伝統に根差した専門的な事案を語るに当たって、必ずしも平易な日常語で綴られた文章が常に有益であるとは言い切れない、というのが私の個人的な意見である。特殊な用語を殊更に日常語へ置き換えてしまうと、却って本来の独自な含意が見え辛くなり、普段着の言葉としての語義に引き摺られて誤った思い込みや錯覚を喚起してしまう虞がある。逆に生硬で引っ掛かりの強い文章の方が、屈折し錯綜した論理の骨格をありのままに映し出している場合も少なくないのだ。

 ミレトスの賢人タレスに発祥すると伝えられる古代ギリシアの自然学の系譜は、それまで当然の風潮として往古の社会に流通していた神話的思考からの離陸を担う思想的革命の軌跡として遇されている。森羅万象を擬人化した神々の思惑や振舞いに還元する物語的な思考の形態は、人間的知性の最も素朴な形態の産物である。自然学者たちは、古来受け継がれてきた神話的な物語に対して尊重の意向を示しつつも、その伝統的な認識を安直に鵜呑みにすることを差し控え、眼前で生起する様々な生成的現象の稠密な観察と分析に赴いた。彼らは現象に内在する摂理と法則を明瞭に確定することに関心を懐き、伝統的な擬人化のナラティブを排除することを選んだのである。

 この転回は、具体的には如何なる意味を持つだろうか。イオニア学派の思想家たちが、神話的な伝承を無批判に受け容れる盲目的な思考の形態を棄却したことは事実である。しかし、その決断は必ずしも彼らが合理的な無神論の信徒であったことを意味するものではない。彼らは神話的な伝承を排除して、現象界の実相を詳しく検分することに知的な努力を捧げたが、それは神を否定する為ではなく、神と現象界との過剰な癒着を是正する為である。自然学者たちは、現象そのものの内在的な法則を見究めることを重視し、総てを超越的な存在の意向に由来すると看做す神話的な思惟の作法を棄却した。言い換えれば、彼らは天界と地上との強固な紐帯を可能な限り緩めたのである。不可視の超越的な原理が森羅万象を制御しているという観念への懐疑、或いは、その超越的な原理を白日の下に連れ出そうとする知的な野心、それがイオニア学派の系譜を形作る重要な衝迫であると思われる。彼らは地上の様々な現象が、神々の為せる業であることを否定していない。ただ、彼らはその現象を操る神技の内実に就いて、詳細な解明を望んだのである。

 但し、万物の根源を「水」に求めたタレスや、それは「空気」であると論じたアナクシメネスと比較したとき、アナクシマンドロスの思想は聊か毛色が異なるように感じられる。万物の「始原=アルケー」(arkhe)を「限定されないもの=アペイロン」(apeiron)であると表明した彼の思惟は、地上的な生成の諸相を観察することに重きを置いた他の思想家たちから離れて、イタリア学派の「一者」の思想に通じる理路に結び付いていたように見受けられる。「アペイロン」という概念は定義上、特定の物理的な性質を示すことがない。それは万物の始原であるが故に、完璧な可塑性を備えていなければならず、従って具体的な形状に偏倚することが原理的に許されないのである。言い換えれば、この「アペイロン」という概念は、我々の肉体的な感官による認識と記述の対象から逸脱しているのだ。こうした発想は、生成の具体的な規則を見出そうとする経験論的な伝統とは必ずしも合致しない。実証的な観察を通じて得られる様々な知見の綜合として「アペイロン」の概念が導出されるのではなく、専ら理論的な考究の結果として、一つの不可避的なコロラリーとして「アペイロン」の存在が要請され、想定されるのである。

 「アペイロン」という特定の個性を持たない包括的な「一者」から、万物が流出し、無限の生滅という不可避の宿命を烙印された。こうした考え方は暗黙裡に「生成」を「堕落」或いは「悪徳」と看做す宗教的な観念を内包している。生成は不正であり、消滅はその贖罪である。こうした命題から「肉体」を「霊魂の墓所」として倫理的に貶下する習慣を導き出すことは極めて容易い。地上的な現象を超越した不可知の「始原」へ回帰することが悦ばしい浄化であると考えられ、理性の力を駆使して「アペイロン」の仕組みを理解することが、宗教的な熟達の過程であると結論される。「死」は「解脱」であり「大いなる歓喜」を暗示する。地上的な生成を蔑視する思想は、必然的に「死後」の世界を荘厳する論理的な要請に制約される。地上の現象に眼を輝かせて見蕩れる種族の人々は、殊更に「彼岸」の幸福を欲したりしない。両者の対比は哲学に限らず、人間的文明のあらゆる領域、あらゆる範疇において普遍的に顕現する根源的な図式であると言える。

ソクラテス以前の哲学 (文庫クセジュ 487)

ソクラテス以前の哲学 (文庫クセジュ 487)