サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

芸術的実存の解析 三島由紀夫「旅の墓碑銘」 2

 三島由紀夫の短篇小説「旅の墓碑銘」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。

 この物語には、作中人物である菊田次郎の作品の断片が挿入されている。同時に、菊田次郎の友人と思しき「私」を語り手に据えた異なる次元の叙述が、物語全体の地盤を成している。尚且つ、この菊田次郎と「私」との関係は、真の作者である三島由紀夫の自己対話の過程を示しているように思われる。言い換えれば、この「旅の墓碑銘」という作品は、古代ギリシアに発祥した「対話篇」と呼ばれるテクストの様式を踏まえているように見えるのである。三島は、三島自身を相手取って、芸術と実存に関する論争を展開する。こうした極めて個人的な試みが「作品」という形態へ向かって結実を命じられたのは、三島が自己の才能や活動に就いて何らかの停滞、困難、疑問を懐いていたことの傍証ではないかと推測される。

 彼はまだ二十八歳だった。man in attitudes だと人からは見られ、彼自身それに輪をかけるような態度をとった。かつては若さが彼の弱点であったが、あらゆる弱点を料理するいつもの流儀で、今では若さを誇張してふりまわしていた。多くの青年は、青年特有の観念的な青春を、若さに自ら目をつぶりながら生きるのであるが、そういう時期をすぎても彼はまだ若かったので、今度は自分の青春を客観的に生きようと努めているらしかった。その結果、自分に対して故意に無責任な態度をとり、いつも他人の人生を生きるようなふりをしていた。このためには、彼の書く作品が役立っていたのである。

「退屈そうだね」と私はよくからかった。そういうと彼が怒ることを知っていたからである。

 この「退屈」という十九世紀風の言葉の響きを、菊田次郎は小馬鹿にしていた。彼は断定的な口調で、私の揶揄に正直に反応した。

「ばかをいえ。僕は生れてからただの一度も退屈したことがないんだ。それだけが僕の猛烈な幸運なんだ」(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.284-285)

 次郎は単に軽薄で享楽的な男を気取っているに過ぎないのだろうか。確かに彼は「退屈」という観念を侮蔑している。言い換えれば、彼は「退屈」という観念が暗黙裡に前提している「重厚な内面」や「精神的空白」を酷く嫌悪しているのである。無論、それは彼の内奥に牢固として抜き難い「退屈」が巣食っていることの間接的な証明に他ならない。次郎は容易に排泄することの出来ない巨大で慢性的な「虚無」を患っている。その「虚無」へ正面から挑みかかるような主知主義を忌避し、彼は専ら「内面」を蒸発させることによって実存的な精力を賦活しようと試みているのである。自己の内面を何よりも重視する重苦しい浪漫主義の弊害を免かれる為に、彼は敢て自己の存在を軽視し、その固有な本質を捨象し、如何なる他人にも憑依し得る軽業師の自由を手に入れた。彼は「自己の本質」という観念から意識的に眼を背け、芸術的な制作を通じて、あらゆる他者の標本を捏造することに意を注いだ。

 菊田次郎の風貌については、知っている人も数多くあるだろう。すぐ気のつくことは、その顔の蒼白なことであった。十九世紀の浪漫主義時代には、蒼白な肌が伊達者の誇りであったが、次郎が浪漫主義を毛ぎらいしているのは、自分の蒼白さを憎んでいるからであって、その逆ではないことにすぐ私は気づいた。そればかりではない。彼は自分が「知的」にみえることを、おそろしく嫌悪していたのである。(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 p.285)

 こうした叙述が、露骨な戯画のように作者の虚弱な生い立ちを強調したものであることは明瞭である。別けても重要な点は「浪漫主義」と「知性」に対する次郎の偏執的な憎悪の強度である。内面、精神、深層、不可知性といったキーワードで暗示される主観性の楽園、その暗がりに逼塞して明朗で堅固な「現実」の輪郭を疎略に扱う態度、こうした要素への反動的な怨恨が、作者の分身に等しい菊田次郎という架空の人格を通じて明瞭に表象されている。あらゆる時代、あらゆる地域に共通して培われてきた高潔な主知主義の蒼白い相貌を、彼は最大の悪徳の如く呪っているのである。感覚を媒介として得られる類の認識を「臆見」(doxa)と呼んで冷遇するプラトン以来の哲学的な伝統を、次郎は露骨に疎んじている。理性的な認識、感覚的な経験に微塵も依存しない純然たる「ロゴス」(logos)の認識を、普遍的な真理の同義語として扱い、極端に優遇する「テオリア」(theoria)の権威に叛逆することこそ、恰かもプラトンの長大な対話篇「国家」の終盤で完膚なきまでに虐げられ罵られた「芸術」に奉仕する者の崇高な宿命であると真剣に信じ切っているかのようだ。

 菊田次郎の固定観念は、「表面」乃至「外面」ということであった。彼はいつも夜の地下室の酒場で飲みながら、私を相手に、日光のもとのあらわな「外面」を讃えるのであった。

「あいかわらず君の恋人は希臘かい?」と私は水を向けた。

「希臘というより、乾燥した亜熱帯だね」と彼は言い言いした。「ああいう太陽の下では、精神が蒸発して表面へ出て来てしまうのだ。希臘は塩田みたいなものさ。太陽のおかげで情緒だの感傷(この言葉を口に出すとき、出てゆく言葉の背中へ、次郎は唾を吐きかけるかのようである)だの、そんなものは表面へ出て来て、たちまち揮発してしまう。精神の純粋な成分だけが、塩のように、きらきらと表面に残るんだ」

 彼は自分の海がるのを待っているらしかった。(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 p.286)

 次郎が「情緒」や「感傷」といった肉体的な衝動に類するものを嫌悪していることは明らかである。しかし、彼はプラトンを嚆矢とする歴代の哲学者たちのように「理性」の絶対的な優越を提唱したのだろうか? だが、プラトン的な「理性」の権威は、事物の「表面」や「外面」を尊重するものではない。寧ろ彼は感情よりも更に肉眼では捉え難い不可知の領域に、理性的な把握の対象を設定していた筈である。次郎が愛する「表面」という概念は、絶えず感覚的な可知性の支配下に置かれている領域を示唆している。それは視覚や触覚といった人間のプリミティブな機能を通じて把握されるべき対象である。言い換えれば、次郎の性急な企図は、事物を「意味」の網目から切断し、純然たる感性的現象に還元して、情緒からも理性からも解き放とうとする意識的な運動の裡に据えられているのである。理性を情緒に対置し、「ロゴス」(logos)による「パトス」(pathos)の超克を期待するのは次郎の本意に適っていない。彼はあらゆる「意味」を洗い流した後の澄明な「表面」に並々ならぬ執着を示すことによって、絶えず「意味」に囚われ、支配されてしまう自己の生得的な性向を破壊しようと考えたのである。

「では、表現以前の君だけが君のものだというわけだね」

「それが堕落した世間で云う例の個性というやつだ。ここまで云えばわかるだろう。つまり個性というものは決して存在しないんだ」

「しかし世界の旅へ出たときに、君は肉体を同伴して行かなかったとは云うまいね」

「当り前さ。肉体は個性より何百倍も重要だからね。僕は旅行鞄を忘れて行っても、肉体を忘れて行くことはなかったね」

「肉体には個性はないかね」

「肉体には類型があるだけだ。神はそれだけ肉体を大事にして、与えるべき自由を節約したんだ。自由というやつは精神にくれてやった。こいつが精神の愛用する手ごろの玩具さ。……肉体は一定の位置をいつも占めている。世界の旅でいつも僕を愕かせたのは、肉体が占めることを忘れないこの位置のふしぎさだった。たとえば僕は夢にまで見た希臘の廃墟に立っていた。そのとき僕の肉体が占めていたほどの確乎たる僕の空間を僕の精神はかつて占めたことがなかったんだ」

「つまり精神には形態がないんだね」

「そうだよ。だから精神は形態をもつように努力すべきなんだ」

「すると君はその原稿の中で、精神の見地から見た存在の不確かさについて書いたんだね」

「その通りだよ。精神はいたるところに精神をしか見ないからだ。世界をまわることが、途方もなく長い曲りくねった鏡張りの廊下をとおりすぎただけだとあっては、曲のない話だからね」(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.289-290)

 「肉体」という「表面」には如何なる鈍重な「意味」も帯同していない。それは或る具体的な「形態」を持ち、感性を超越した抽象的な理念によって穢されることに無言で抵抗している。言い換えれば「肉体=表面」以外に如何なる「現実」も有り得ないという信条に、次郎は熱烈な殉教の覚悟を捧げているのである。専ら「感覚=表面」の領域だけを「現実」として承認し、それ以外のあらゆる超越性や内在性を峻拒すること、例えば「表現以前の個性」という観念に代表される「深層=潜在」を前提とすることの排除、こうした態度の表明は、夥しい比喩を濫用し、精緻な心理的解剖の華麗な展開を旨とした初期の三島の文業からの離脱を明確に宣告している。

 これらの認識を補助線としたとき、三島が終生懐き続けた「夭折」への執着は、如何なる位置を占めることになるだろうか。彼は何よりも先ず「無意味な死」を忌み嫌っていたのではないのか? 崇高な大義に包まれ、悲劇の英雄として「美しい死」を遂げることが彼の揺るぎない宿願だったのではないのか? しかし、それは若年期の三島に固有の願望だったのかも知れない。晩年の彼は紆余曲折を経て、寧ろ「無意味な死」を、純然たる「現実」としての「死」を選ぶことに有り金を悉く投じたのではないか。あれほど犀利な頭脳の持ち主が、自らの奇矯な「蹶起」を英雄的な偉業だと本気で信じ込んでいたかどうか疑わしい。厳密に言えば、彼は豊饒な「感覚」の歓びさえも疎んじて、一個の「物質」に回帰しようと企てたのではないか。つまり、筋金入りの浪漫主義者は自ら望んで陽気なニヒリストへの転身を図ったのだ。「金閣寺」における放火は、あらゆる「イデア」を焼き払って、無意味ゆえに堅牢で絶対的な「現実」を露頭させる為の重大な「蹶起」であったと言えるかも知れない。

ラディゲの死 (新潮文庫)