サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

芸術的実存の解析 三島由紀夫「旅の墓碑銘」 3

 三島由紀夫の短篇小説「旅の墓碑銘」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。

 この春の巴里、マロニエ、赤い軍帽、女たち、小鳥、テラスの椅子、雲、……

 それらは自然の春ではなくて、大ぜいの人間が寄ってたかって作り上げた春であった。マロニエにしろ、女たちにしろ、巴里の外面は、何かしら一つ一つが抽象的なものを象徴していた。女たちは、ただ「女」である以前に「巴里の女」であった。精神が築き上げた都会というものは、こういうものなのだ。次郎の目の前の鋪道には、情慾だの、吝嗇だの、青春だの、金権だの、政治だの、が散歩をしていた。そして彼らの歩く燦然たる街路の下には、巴里の下水道が、昨夜捨てられた夥しいコンドームだの三カ月の胎児だのをうかべて流れていた。彼らの頭上には、そして、太陽があった。適度の柔らげられた光りを放つ、まるで理性の光源と謂った表情の太陽が。

『これが巴里の春だ』と次郎は思った。『なるほど、ききしにまさる凝った仕組だなあ。自分自身は何も感じないで、そのくせ人には理由のない酩酊を強いる不感症の春。鑑賞家の幸福をやすらかに満喫させてくれる春。万人の感じ易さに訴える抜目のない春。この美しい古都が、彼女自身のナルシシズムを利用していることの完全さと来たら!』(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.295-296)

 三島由紀夫の分身と目される菊田次郎は、一体「巴里の春」の如何なる特性に就いて不満を覚えているのだろうか。明確な診断としては「精神」に対する執拗な敵意が挙げられる。「巴里の外面」は、次郎の愛好するギリシア的な「外面」とは異なり、一つ一つが必ず抽象的な「意味」との黙契を締結している。純然たる「外面」或いは「表面」ではなく、それは必ず秘められた「深層」や超越的な「啓示」との相互的な密約を懐胎しているのである。あらゆる事物に、人為的な「意味」が刷り込まれ、純然たる無意味な「物質」は慎重に排除されている。このような意味での「表面」は、次郎にとっては偽りの「表面」であり、純然たる「表面」ではなくて「比喩」であり「記号」なのである。ただそれ自体として泰然自若と存在しているのではなく、必ず何らかの記号的な聯関の裡に封じ込められているのだ。そのような「意味」の強権的な支配を廃絶し、純然たる「表面」を喚起しようと試みることが、菊田次郎という人物の本懐である。

 次郎の信奉する「表面」は、明確に「理性」の権威に対する叛逆を含意した観念である。プラトン以来、人間の理性に対する信憑は、肉体的知覚による認識の権利を抑圧し、その正当性を厳しく論難し、普遍的な「真理」は理性以外の方途によっては到達し得ないものであると断定してきた。理性は必ず事物の感覚的な「表面」の彼方を欲求する。言い換えれば、理性は決して事物の「表面」へ留まることが出来ない。「現象」の彼方に隠匿された「実在」を究明したいという本能的な衝迫に抗うことが出来ない。だが、そのような超越性=内在性の閉鎖的な回路から脱却することが次郎の野心である。彼は森羅万象から極めて人間的な要素である「意味」を剥奪し、純然たる「無意味」或いは「虚無」へ総てを還元しようと企てている。本物の「現実」は「意味」による汚染を免かれた、純化された非言語的な領域なのだと、彼は考えているのではないか。そこから導き出されるのは一種の神秘主義的な性向である。理性の働きを通じて「真理」を観照するのではなく、専ら肉体的な感官を媒介として「真理」そのものを感受し、究極的には融合しようと試みることが、神秘主義の本質的な特徴である。他方、次郎の独白に顕れる「鑑賞家の幸福」という文言は、明らかに「理性の光源」に庇護された「精神」の特質を摘示するものである。それは事物の本質との接触や融合を否定し、専ら「理智」による迂遠な回路を通じて対象の枢要へ迫ろうとする「テオリア」(theoria)の性向を指し示している。プラトンは感性によって「真理」を把握することの不可能性を堂々と宣告している。現身の肉体によって「真理」そのものに到達することの無謀を厳しく執拗に戒めている。彼は必ず「理性」という「距離」の関与が不可避であることを附言する。そのような「距離」の宿命を、神秘主義は拒絶し、蹂躙する。例えば「金閣寺」は、超越的な「真善美」を感覚的な領域へ降臨させる為の悪戦苦闘を描いたものではないのか。三島は「鑑賞家の幸福」に安住することを望まない。彼は「表面」だけが「現実」であることを欲し、結果としてニヒリズムの到来を惹起した。それは超越的な「真理」に対する峻拒であると同時に切望でもある。彼は単なる相対主義の信徒となることを選んだのではない。絶対的な価値が、感覚的で肉体的な領域の裡に顕現するという奇蹟を待望したのである。言い換えれば、彼はニヒリズムへの安住も同時に排斥したのだ。絶対的価値を熱望しながら同時に、それが地上の生成的な領域へ降臨することは不可能であるというプラトニズムの教義を否認すること、こうした厄介なディレンマが三島由紀夫という人格の内部には宿っていたのである。

「あれこそは正に、人間が人間を見る目つきだったね」と私は言った。

 次郎は酒を一口ふくんで、笑って言った。

「正確に言えばこうさ。あの娘は僕たちが人間であることを、僕たちの人間的な感情を期待したのさ。他人の目というやつはもっと清潔さ。相手を物質としか見ないものな。

 ところで、他人の目というやつは、思うほどザラにはないね。われわれを睨んでいたときの彼女の目に似た目なら、われわれの周囲にいくらでも見つかるけどね。家族の目、恋人の目、仇敵の目、友人の目、愛犬の目、僕らに対して無関心になりたがっている人々の目、みんなこれだ。それから戦争中、電車の中で空襲警報が鳴りでもしたら、満員の乗客が、全部あんな目つきでお互いを見たもんだ。

 戦争時代の思い出って全く妙だね。他人が一人もいなかった。他人らしい清潔な表情をしているのは、路傍にころがった焼死屍体だけだった」(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.298-299)

 次郎にとって人間的な感情は、一種の「汚染」を含意している。だからこそ、如何なる「意味」にも拘泥せず、相手を純然たる「物質」として遇する視線に「清潔」という奇態な形容が附せられることになるのである。あらゆる事物を擬人化し、人為的な構築物のように作り変え、世界の随所に「理智」や「感情」といった精神的な要素を浸透させる「巴里の春」への嫌悪は、頑迷な決意のように次郎の胸底へ宿っている。「意味」は総ての事物を汚染し、純粋な物質的性格を変容させ、如何なる「表面」も不可視の領野との無慈悲な交接を強要される。要するに彼は「精神」という曖昧な代物に超越的な価値を認める西洋の観想的な伝統に嘔気を催しているのである。その代わりに、彼は如何なる世界を、自らに相応しい領域として見出したのか。

 エスカルゴとか、ラモーとか、これらたわけた店の名は、アジヤが永きにわたって愛して来た欺瞞の趣味、他人を欺くことと自己欺瞞とが、ほとんど一つのものになっているようなその趣味のあらわれにすぎなかった。渇望と好奇心、飽くことなき謙譲、屈辱による支配、これに加うるに、南方的な、すぐ剣に手をかける多血質、そういうものは不死であった。極東の一都市に、かずかずの酒場が名乗る、マルドロールやナポレオンの店名ほど、言葉の真の意味においてエキゾティックなものがあろうか。

 菊田次郎は頭上の空が、東洋の星空だということに、戦慄を感じた。

 この空こそ、永い悪疫と無気力の上にひろがっていた星空であった。そしてそれら悪疫や無気力の費してやまぬエネルギーが、なお新しいもの、異質なものへの、犠牲的な渇望のためにも、費されて尽きないエネルギーであることを、知っているのはこの星空であった。アジヤの地に眠っているこうした情緒的エネルギーの埋蔵量は無限であった。

 次郎は類型化されない文明、おどろくべきアジヤ的混沌、おのおのの時代の歴史が死に絶えずに、現存し増殖しているこの不気味なエネルギーの只中に生れた自分を感じた。

 彼は怖がられる資格があった。世界の前に、このような恐怖の天賦を誇らしく感じた。たとえば白人たちの動物性の残忍よりも、黄いろい肌の民族のもっている植物性の残忍さのほうが、どんなに怖るべく、またどんなに美しいものか、ヨーロッパの阿片吸飲者たちはその夢の直観で、知悉していたらしく思われる。(「旅の墓碑銘」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.304-305)

 これは一種の「日本回帰」を意味しているのだろうか。少なくとも次郎は「理性の光源」という言葉で象徴的に表現された「巴里の春」とは対蹠的な世界として、特別な含意を伴った「アジヤ」という観念を提示している。あらゆる事物に「精神」の反映を読み取る、息苦しいほどに人間的な規範を重んじて已まない「西洋」の風土に対置する形で、極めて即物的で虚無的な「アジヤ」の渾沌とした文明の特異な意義を再発見している。人間と動物との境界線を曖昧に浸蝕し、決然たる明瞭な「分類」を拒んで、不吉な「カオス」(chaos)へ還元する「東洋」の奇態な風土に、次郎は「意味」からの脱却の契機を期待したのだろうか。或いは、途轍もなく巨大で深刻なニヒリズム、あらゆる事物を純粋な「物質」に還元して痛痒を覚えない東方的なニヒリズムに、自分の生きるべき世界を見出したのだろうか。西洋の伝統は、物質的な存在を冷遇し、精神的なものの価値を極度に称揚することで、独自の歴史を築いてきた。しかし東洋の伝統は、例えば涅槃経の「草木国土悉皆成仏」や「悉有仏性」といった文言に象徴されるように、人間も動物も無機物も共に、同格の平面に羅列している。西洋的伝統の信奉者が、肉体や動物を下等な「物質」として抑圧するのは、それと引き換えに「精神」の絶対的な優越という根源的規範を堅持していることの明確な反映である。しかし東洋的伝統は「理性=感性」「人間=動物」「精神=肉体」といった強固な二分法を愛さない。言い換えれば、東洋的伝統においては「人間中心主義」(humanism)という概念は普遍性を有していないのである。それは西洋的伝統の見地から眺める限りでは、歴然たるニヒリズムに分類される思潮であると言えるだろう。「人間=精神=意味」の等式を事物の認識に際して適用しないという態度は、西洋的伝統の根幹を揺さ振る危険な振舞いに見えるのである。事物の「本質」を定義するという古代ギリシア以来の思惟の様式は、総てを偶有的な「縁起」の節点として捉える東方的な世界観とは合致しない。デカルトは思惟の主体としての「自我」の明証性を疑わなかった。しかし仏教は「自我」さえも虚妄と看做し、単なる関係の集積としか見なかった。その意味で、次郎は確かに「西洋」から「東洋」への転回を遂げつつあるのだと思われる。

ラディゲの死 (新潮文庫)