サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「日常」という監獄 三島由紀夫「慈善」 1

 三島由紀夫の短篇小説「慈善」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。

 ……かくてまた、三度三度の食事がはじまるのだった。露西亜の或る詩人が書いているように、「僕の前に無限につづく食事の連鎖を見るのは」たまらない。しかし戦争からかえってみると、この無限の食事の連鎖のために働らくことが、今更らしく彼の冒険心を刺戟した。そこで復員匆々、水野康雄は、大学には籍だけ置いて、或る火災保険会社に外交員として雇われた。ひとつにはどんな危険にも馴れっこになってしまった彼だったので、彼を新鮮な刺戟でくすぐるものとては、彼がまだ馴れていない「絶対安全」とか「安全確実」とか「安全第一」とかいう類いの安全に関するモットーの他にはないように思われたからだった。(「慈善」『鍵のかかる部屋』新潮文庫 p.106)

 敗戦から七十余年を経た現代では最早、耳慣れない死語の眷属と化してしまった「アプレゲール」(「戦後派」を意味するフランスの語彙)という言葉の特殊な音色が、三島の遺した幾つかの作品の内奥に殷々たる反響を閉じ込めている。三島の文業の本格的な出発が遂げられた昭和二十年代は、敗戦によって生じた甚大な精神的空白と社会の急激な変貌に伴う混乱によって、無軌道で破滅的な青年たちの犯罪が世間の耳目を騒がせた時代である。実際、三島は「光クラブ事件」や「金閣寺放火事件」など、アプレゲールによる奇態な犯罪の典型と目される事件に取材して「青の時代」や「金閣寺」を書き上げている。敗戦による社会の激変が齎した虚無的な心情に対する三島の持続的な関心は、彼自身が紛れもないアプレゲールの青年の一人に他ならなかった為に醸成されたものであろうと推察される。

 戦時下の生活において、人間の精神は「死」及び「終末」との類例のない親密な関与を強いられる。明日焼夷弾が降り注げば、それで今生の幕切れと相成るかも知れない生活の持続は、日常的な秩序の依拠する「反復」への信頼を致命的に瓦解させる。言い換えれば、戦時下の生活は「生活」という概念が本来内蔵している安定的な未来への信頼を欠いているがゆえに尋常な「生活」の規範から逸脱しているのである。三島の「滅亡」に対する奇矯な願望は、彼個人の局限された特性に留まらず、この時代を蚕食した癒やし難い宿痾の産物である。そして、俄かに下賜された厖大な未来への希望が、滅亡の到来に対する確信を自らの実存的基礎に据えていた人々の精神に適応の失調を齎すのは、構造的な必然であるように思われる。

 しかし康雄の中には青年時代のはじめに人を襲うあの精神的な欲求も夙く目ざめた。その結果、行為をジャスティファイすることが思想の実用的価値だという生意気な諦観も人に先んじて得られたわけだが、さて戦争がはじまってみると、青年が進んで戦争へととび込むためにこの若々しく無軌道な諦観ほどお誂え向きなものは一寸見当らなかった。なぜならこの種の諦観のみが、放蕩と戦争を同一線上に置きうるからだ。彼は学徒出陣で海軍へ入り、勇敢であった。

 ――戦争が終った。大きな耀かしい失望だ。それが彼に彼自身の行動をどうにもジャスティファイしてくれぬような新らしい思考の必要をはじめて切実に感じさせた。その前提として彼はどうにもジャスティファイされないだろうような行動をさがす必要があった。つまりそんな行動から逆にそういう思考への探りを入れようとして。――たとえばその叔父さんが本当に怒りん坊であるかどうかを試すために、叔父さんの鞄から大事な中味を盗み出しておく子供のようにして。(「慈善」『鍵のかかる部屋』新潮文庫 pp.108-109)

 敗戦が「大きな耀かしい失望」を意味するという表現は逆説めいて聞こえる。しかし、アプレゲールの虚無的な青年たちの心情は、正に「大きな耀かしい失望」の急激な誕生と共に育まれたのである。彼らは敗戦を契機として猛烈な速度で始まった復興期の社会において、賢明な適応から疎外された人々であった。平穏な日常の恢復を何よりも有難い至上の幸福として万人が享受し得るとは限らない。寧ろ約束された滅亡の宿命によって、不条理な現実の荒廃から自己の魂を保護していた人々にとっては、敗戦による恒久的な平和の再建は、不透明な監獄への幽閉を意味したのである。戦争と軍国主義こそ堪え難い陰惨な監獄であったと信じる人々は、アプレゲールの青年たちの虚無的な心情を不可解な悪徳として批難し、排斥しただろう。純金のように貴重な平穏を愛さない背徳的な種族への無理解は、戦時下の記憶が薄れるほどに強まり、彼らを窮迫させただろう。「若々しく無軌道な諦観」に支配された若者たちは、戦争の惨禍さえアナーキーな愉楽の源泉のように遇したのである。避け難い全的な破滅の約定は、人々の精神を道徳的な責任の意識から解放する。未来の消滅が不可避であるならば、未来との間に如何なる倫理的関係も結びようがない。それゆえのニヒリスティックな自由が氾濫する戦時下の世界では、気高いヒロイズムと自堕落な蛮行が一体的な理念を形成していたのである。

 しめったきらびやかな毛織物のような感覚を皮膚に与える五月の明るすぎる日光が、その朝、康雄には何故か重たく感じられた。S駅で下りて保険会社の建物へと歩く道すがら街路を明快に区切っている日ざしからも、彼は的確さが与える不安に似たものを感じた。それは何だろうかと彼は考えた。そして保険会社の痩せたコリント式円柱のそばをとおって二三段の石段に足をかけたとき、それが紛う方もない『今日もまたあの雨戸の信号どおりに彼女の家へ行けば、そこには間違いなく例の行為が待っている』という事実の確実さ、その確実さが今朝から心に与えていた鬱陶しさであることを彼は理解した。本当の喜びは最初の一日にしか味われなかった。この戦争時代の子は、日曜日以外は外出禁止という生活に馴れて、日常生活を失くしてしまった。さればこそ戦後の日常生活が彼の冒険心を誘ったわけだったが、悪徳にさえ日常生活のあることを発見しては今更ながら興褪める思いだった。ゆめジャスティファイされないような行動への決心も、どうやらこの発見のおかげで鈍った。毎朝勤めへ出ると同じ殺風景な机が彼を待っているように、あの信号に応じてゆくと同じ御馳走が彼を待ちかまえているのではたまらない。行けば必ずそこにそれが在る、こういう定理のやりきれなさに彼は弱いのだった。(「慈善」『鍵のかかる部屋』新潮文庫 p.116)

 「日常生活の喪失」という精神的な特徴は、戦時下の破滅的な生活に染め抜かれた人々に共通する危険な痼疾である。確実な未来を所有することが「日常生活」を営む上では最も肝腎な基盤として機能するのだが、絶えず滅亡の予兆に駆り立てられながら無軌道な青春を過ごした人々にとっては、そのような所有は寧ろ抑圧的な手枷となる。本来ならば平穏な日常を毀損する逸脱の行為であるべき不貞の悪徳でさえ、やがて単調な反復の秩序の裡に組み込まれ、如何なる破滅的な屍臭とも無縁の事務的な関係へ変異してしまう。こうした現実は、日常生活という枠組みの畏怖すべき堅牢な構造を、アプレゲールの青年たちに思い知らせ、絶望させる効果を宿している。潰滅的な破局が訪れる見込みは刻々と縮減され、如何なる悪徳も毒気を抜かれた単純な過失に貶められ、英雄的な浪漫主義や悲劇的な栄光は遼遠たる過去の朽ちた遺物と化す。偶発的な「事件」の勃発を期待する心情は悉く挫折を命じられる。こうしたアプレゲールニヒリズムという主題は作者によって繰り返し取り上げられ、否定的な世評に葬られた大作「鏡子の家」へと発展していくことになる。