サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

冷笑・虚無・神秘主義 三島由紀夫「死の島」

 三島由紀夫の短篇小説「死の島」(『鍵のかかる部屋』新潮文庫)に就いて書く。

 この作品は「火山の休暇」及び「旅の墓碑銘」と共通する主役・菊田次郎の登場する物語である。菊田次郎は作者である三島由紀夫の分身と思しき芸術家であり、彼の経験と独白を借りて「芸術」と「生」との精妙で複雑な関係を解析することが、これらの連作を貫く基礎的な主題であると考えられる。

 次郎が旅に出る。そのとき彼は日常生活の裡に見喪ったものを、再び見出そうと試みる。旅は彼にとって、一種の失せ物探しであり、甚だ遠いところへ置き忘れた彼自身の感情を取り戻すための遍歴である。未知の土地に来て未知のものを探すのではない。未知の土地にこそ彼のもっとも親炙した観念が、郷里に於けるかのように、生れたままの新鮮な姿で彼を待っているにちがいない。かくして彼は未知へ還るのである。『……何故かといえば』と次郎は人が彼を呼んで子供っぽい傲慢さと云うよすがになる例の頤を引締めた表情で考えた。『何故かといえば、僕は未知から生れたからだ』(「死の島」『鍵のかかる部屋』新潮文庫 p.225)

 「日常生活の裡に見喪ったもの」という言い方は手垢に塗れて聞こえるが、その指し示す意味は必ずしも分明ではない。三島が単に「旅情」に内在する隠遁の解放感を暗示しているとは思えない。彼は凡庸な紀行文を綴る為に「死の島」と題された物騒な短篇を起稿した訳ではない筈だ。

 「彼自身の感情を取り戻すための遍歴」とは、要するに通俗的な郷愁への衝迫を意味するものだろうか。けれども、彼の旅路は例えば「津軽」を書いた太宰治のように、自らの郷里へ遡行する性質の営為ではない。つまり、都会生活の疲弊の彼方に「懐かしい故郷」の根源的な風景を恋い慕う類の旅程ではない。それならば、彼は何を探し求めているのか。「日常生活」によって阻害され、抑圧されたものが、未知の土地に存在しているのだろうか。

 彼は青年になろうというころ、皮肉シニシズムの洋服を誂えた。誰しも少年時には自分に似合うだろうと考える柄の洋服である。次郎はしばらくこの新調の服を身に纏って得意であった。……やがてこの服が自分に少しも似合わないことに気付いた。ある朝街角の鏡の中で、女が新らしい皺を目の下に見出して絶望するように。……いや、この比喩は妥当でない。次郎は皮肉シニシズムの洋服が彼の年齢の弱味を隠すあまりに、年齢に対して彼が負うている筈の義務をも忽せにさせることを覚ったのである。今年の夏にいたって、皮肉シニシズムは彼の滑稽さを救うどころか、もっと性悪な滑稽さに、つまりあらゆる感情を笑殺してきたので滑稽の仮面を被った八百長の感情しか生れて来ないという滑稽さに、彼を陥れつつあるのをまざまざと見たのである。

 次郎は黙視を学んだ。滑稽であるまいとしても詮ないことだ。彼自身の滑稽さを恕すところから始めねばならぬ。われわれ自身の崇高さを育てようがためには、滑稽さをも同時に育てなければならぬ……。

 美しい風景は彼の皮肉シニシズムを癒した。うすく口をあけ、愕然として、彼は光によろめいている一本のポプラを見たのだった。(「死の島」『鍵のかかる部屋』新潮文庫 pp.225-226

 要するに次郎は、従来の自己の振舞いや主義を革めようとして汽車に乗り込んだのである。「シニシズム」(cynicism)という態度、社会のあらゆる事物を驕慢な態度で蔑視し、嘲笑する態度は、成熟した大人に憧れながら経験や力量の不足に苦しむ若者が採用する自衛の手段であるとも言える。言い換えれば、人から自分の愚かさや滑稽さを嘲弄されることを極度に懼れる精神が、四囲の攻撃を予防する為に先回りして、万事を批判する側に居座ろうと企てるときに「シニシズム」と呼ばれる身構えが採択されるのである。こうした態度は、自己の感情を素直に承認し開示する健全な柔軟性とは対蹠的な性質を帯びている。生身を晒すことは危険な選択であり、他人の鼻先で迂闊な自己開示を試みるのは無謀な蛮行である。そのように考えて、絶えず事物の欠点ばかりを蒐集している窮屈な精神が、傍目には随分と鬱陶しく醜悪なものであることは、経験的な真理であると言えるだろう。どんなに巧みに言い繕ろおうとも、シニシズムが他者への過度な恐懼や卑屈な配慮と根底で結び付いていることは明瞭である。他者への過敏な意識が、このように不遜な防衛的手段を、当人の血肉に浸潤させ、牢固として抜き難い骨格にまで高めるのである。

 結果として惹起されるのは、感情の喪失という事態である。そもそもシニシズムが成り立つ為には、自己に固有の感情へ没頭するという態度自体が棄却されねばならない。シニシズムには客観的な知性の働きが必要だが、そうした知性が他者からの冷笑を避けるという窮屈な自衛の目的に向かって酷使されることによって、自己の感情に対する臆病で強権的な抑圧を齎すのである。「沈鬱に見られまいとして軽佻に見られがちな愛想のよい旅行者」(p.226)という次郎の表層的な肖像は、正にシニシズムの典型的な帰結であると言える。それゆえに彼の感情は、冷笑的な知性に対する卑屈な忖度の習慣によって捻じ曲げられ、素朴な流露を禁じられ、精神の奥底へ幽閉されることとなる。次郎が「日常生活の裡に見喪ったもの」とは要するに、シニシズムによって抑圧された「自己に固有の感情」である。それを奪還し、蘇生させる為に、次郎は「旅」という非日常的な手段へ訴える途を選び取るのである。賢しらな言葉を振り翳して現実を嘲弄する代わりに、次郎は「黙視」を貫くことで、シニシズムという病患の治療を試みる。夥しい贅言を費やすことを差し控え、彼は「風景」の渦中へ足を踏み入れる。「風景」は言葉を持たず、尤もらしい「意味」から切り離されている。言葉の届かない領域へ移行する営為は確かに、始原への回帰という性質を含んでいるだろう。言葉によって無惨な断裂を強いられた感情と再び邂逅する為に、次郎は「日常生活」の規範の及ばない世界を必要とするのである。

 都市の喧騒を離れ、日常生活から遠ざかった次郎は「風景を黙視すること」の裡に「皮肉シニシズム」からの快癒の端緒を見出す。あらゆる事物を冷笑する不遜で高圧的な虚勢を排する為には、賢しらな論理を捨てて口を噤むのが最も賢明で有効な手立てである。実際、この作品には人間同士の複雑な関係の描写が殆ど登場しない。専ら「風景」に分け入り、個人的な「黙視」に時を費やす次郎の孤独な内省が叙述されるばかりである。

 しかし、次郎は単に猥雑な俗塵を払って清浄な「自然」の景色に耽溺している訳ではない。「自然」を恰好の塒と看做して出家遁世する歴史的慣例は、如何にも凡庸で画一的である。確かに彼は旧習に従い、感傷的な旅情に浸ることで、自己の擦り切れた神経を慰安しているのだが、それだけが次郎の意図の総てであるならば、この「死の島」という作品が得体の知れぬ不穏な切迫を孕むことはなかっただろうと思われる。次郎は眼前に広がる「風景」の彼方から発せられる「呼び声」に誘われて、刻々と自然の内奥へ導かれていく。その謎めいた「呼び声」の気配が、作品の風合いに独特の陰翳を賦与している。

 『何かが僕を呼んでいる。僕を呼んでいるのは何だろう』

 この人工的な森、この人工的な自然の構図のなかには、或る優雅な詭計がひそんでいるように思われた。風景もまた音楽のようなものである。一度その中へ足を踏み入れると、それはもはや透明で複雑な奥行を持った一個の純粋な体験に化するのである。

 次郎は答えようとした。おーいと叫んだ。谺は周囲の葉ごもりの中を駈けめぐった。(「死の島」『鍵のかかる部屋』新潮文庫 p.228)

 「人工的な森」の内部に潜む「優雅な詭計」という表現は如何にも不吉で、暗示的である。彼は「自然」の「奸計」に誑かされて、貸しボートに乗り込み、入江に浮かぶ島々を巡って遊覧する。だが、そもそも「自然」が人間を召喚するとは、如何なる事態を意味しているのだろうか。それは「自然」を擬人化し、何らかの超越的な啓示を読み取る神秘主義の流儀に他ならないのではないか。「自然」の風景を「寓意」と看做す人間的解釈は、純然たる「自然」そのものから湧出するのではなく、専ら人間の側の都合に基づいている。

 『あれは死の島にちがいない』と次郎はわれしらず舳を転じながらひとりごちた。

『あれだけが実在するにちがいない。あの気高い灰いろの島が、際限もない現象の沼の沖つ方に、聳え立っているのは道理に叶っている。あれこそは死の島、この百二十六の島のなかで、唯一つの実在の島にちがいない。例の老人は僕にその名を教えなかったが、彼もきっといつかあの島を見たことがあるにちがいない』(「死の島」『鍵のかかる部屋』新潮文庫 p.241)

 感覚的な現象を専ら「仮象」と看做し、その最果てに絶対的で唯一の「実在」を見出す認識の構図は、神秘主義の典型的な要諦であるように思われる。尚且つ、その唯一の「実在」に「死の島」という名前が与えられているのは、恐らく「実在」が感覚的な認識を超越しているというプラトン以来のアイディアリズムの系譜に則った措置であると考えられる。現身を脱却しない限り、絶対的な「実在」を把握し得ないという考え方は、神秘主義の根幹を成す発想である。