サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「Hopeless Case」 22

 もう自分が確りと面倒を見る以外に選択肢はないと、辰彦は覚悟を決めた。荒城との面談を終えた椿は脱け殻のように無口で、そんな憔悴した姿を目の当たりにした編輯部の面々は、ざまあ見やがれという無慈悲な感想を口にしつつも、同時に或る痛ましさも感じていた。彼らの中で、荒城からの苛烈な説諭を免かれ得た者は過去に一人もいない。だから、純然たる悪意だけで、椿の疲弊と放心を嘲ることには、根強い心理的抵抗が働いたのだ。死人に鞭打つことは躊躇われる。たとえ誰もがその人間の非業の死を望んでいたとしても、実際に亡骸と化せば、それほど溜飲を下げた積りにはなれないものだ。他者の死は弔うべきものであって、寿ぐものではないと、生物学的な本能が肚の底で訴えるのかも知れない。
 帰りの電車に揺られながら、辰彦はぼんやりと日中の情景を思い浮かべていた。氷のように白く透き通った椿の顔色が眼裏を壊れかかった蛍光燈の明滅のように幾度も煩く通り過ぎた。それは車窓の向こうの夜景と被さって見えた。混み合う千代田線が地上に這い出して、夜の江戸川をガタガタと音高く渡った。椿は確か、市川の方に住んでいると聞いた覚えがあった。今頃、彼女はどんな想いで拉がれた時間の堆積を遣り過ごしているのだろう。鉄橋の骨組みの彼方へ、江戸川の水面の列なる先へ向かって、彼は少し充血した視線を送った。闇は何も答えなかった。疎らな燈火の散在が、彼の視線を黙って撥ね返した。感傷は要らない、それは自慰に過ぎないと、鼻で嗤われたような気がした。確かにその通りだった。感傷的に思い入れて何になるのか。だが、彼女の雇用に荷担した者としての責任は、粛々と引き受けなければならないだろう。それさえ感傷に過ぎないことは、理窟の上では分かっているけれども、だからと言って、感傷を排除する為に冷酷な無責任を選ぶべきだという確信の裡に安住することは、難しく思われた。
 南柏駅のロータリーで、彼は丁度到着したばかりのバスに飛び乗り、今谷上町で降りた。九時を回っていた。彼には三歳の娘がいた。妻は働いていない。来年の春から、保育園に入れる予定だが、この界隈は待機児童が多くて、彼らの希望が叶う確実な算段はついていなかった。もう娘は眠っているだろう。すやすやと、夢の中で夢を見ているような顔つきで、蒲団に埋もれて、枕の上に両手を無防備に投げ出して眠っているだろう。恐らく、そうした情景を苦もなく頭の中に想い描けるのは幸福な境遇なのだろう。年を追う毎に重たくなってくる肉体を引き摺って、この暗い家路を辿る間にも、燈明のような想像を愉しめるのは、恵まれた生活であるに違いない。少なくとも、自分は孤独ではない。そのように思えるのは、しかもただ頭の中で勝手に思い込むのではなく、具体的な事実が、自らの孤独を現に否定してくれるというのは、有難い話である。
 しかし、その晩の帰り道は、意識の表面がやけに泡立ち、混濁しているように感じられた。荒城との面談の殺伐たる光景が執拗なイメージの列なりと化して、辰彦の頭脳の中枢を繰り返し咬んでいた。それは不愉快極まりない感覚であり、心身の紛れもない耗弱を強いる記憶だった。踏み出す一歩ずつが疲弊に蝕まれているのは平日の夜の習いである。だから、それ自体が奇妙に感じられる訳ではなかった。頭の中の風景を白っぽい危険な靄が覆っているような感覚が絶えない。その所為で、余計に疲労が黒ずんで辛く重苦しく感じられる。出口のない考え事に耽っていたからだろう、自宅へ通じる路地の角を通り過ぎたことに気付いて、彼は慌てて踵を返した。
「お帰り」
 寝かしつけを終えた妻は、台所で食器を洗っていた。ラップで覆われた辰彦の食事が、電子レンジの上にひっそりと血の気の失せた表情で置かれていた。辰彦は低い声で挨拶をしてから、洗面所で顔の脂を洗い落とした。何かが咬み合わないような予感がした。妻の俯いた横顔、辰彦に気付いて持ち上げられた視線の角度、表情の明度、洗い物に勤しむ指先の速度、それらの要素が総合的な評価として、彼女の草臥れた気分を暗示しているように思われた。無論、こんな観察の精確性は大いに疑問の余地がある。結婚するまで、彼の生活は妻のことを何もかも知悉しているという自負に裏打ちされていた。行住坐臥、常に彼は妻の最高の理解者であり、不毛な秘密は日向の打ち水のように悉く渇き切っており、純白のシーツのように清純な日々だけが行く手に広がっている筈だった。けれども実際に籍を入れて共同の生活を営むようになると、妻は一つの堅固な迷宮に様変わりした。距離の近さが却って、あらゆる些細な挙措を難解な暗号に置き換えてしまうのだろうか。密着した生活への移行は、心理の更なる密着を必ずしも意味しない。赤の他人には見せない私的な姿を軒並み目の当たりにするという経験は、一糸纏わぬ裸身でさえも、如何なる人間の秘密、魂の機密を表示するものではないという厄介な真実を辰彦に教えた。包装紙しか見えない立場なら、包装紙を剝ぎ取れば真実に出逢えるだろうという素朴な期待を信じることが出来る。しかし、赤裸々な肉体にしつこく触れた後で猶も、包装紙の手応えしか感じることが出来ない場合、人は慄然として途方に暮れるしかないのだ。