サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「Hopeless Case」 27

 忘年会という風習が悪しき旧弊だと嫌がられるようになってから、どれくらいの年月が経っているのか分からない。けれども辰彦の勤め先では、その旧習は今も頑固に根付いていた。御用納めの納会は、毎年社長の掛け声で潤沢な経費が認められ、経理部長の芳川の苦り切った表情にも拘らず、その無情な大盤振る舞いは改革される見通しすら立っていなかった。定期的に新卒採用を行なう体力に乏しい衰燈舎は、そもそも全体に占める若者の構成比が小さいので、古参の社員たちの忘年会に対する古式床しき愛着が、現代的な若者たちの冷ややかな叛逆に直面する機会も稀であった。
 余り気の進まない誘いであったが、椿も強引に招かれて忘年会の末席に列なることとなった。荒城の厳命で、辰彦が説得に力を尽くしたのである。色々と諍いを起こした経緯も手伝い、椿は自分が古株の人々の歓談の輪に混じることが正しいのか、今一つ確信を持てずにいた。野放図に何でも肚を割って話して構わないのならば良いが、儀礼的な仮面を被って気詰まりな時間を延々と過ごすのは億劫だった。荒城に叱られ、辰彦に繰り返し諭されるうちに、漸く当初の前のめりの焦躁は和らいで、もう少し堅実に、立場を弁えて修業に励むことを心掛けるようになって以来、周囲との関係は、少なくとも表面的には改善の傾向を示していた。あの神経質な校正係の定岡とも、互いに相手の真意を探り合いながらも、一応は言葉を交わせる状態にはなっている。装幀係の御局である室原香夏子も、相変わらず批判的な身構えは続いているが、時には自分の仕事を椿に見学させる機会を設けてくれるようにはなっていた。つまり、荒城の叱責は有効な結果を招いたのである。それは確かに感謝すべき事態だったし、椿自身、そのような状況の変貌を歓ばない訳ではなかった。けれども、本当に垣根が壊れたと言えるだろうか。人間の感情は、そんなに自分の都合に応じて動いてくれるものではない。椿は混乱していた。何が正しいのか、確信を持てずにいた。それは当たり前の現象なのだろうか。新入りの身分であれば、余所者に固有の懊悩を患うのは自然な成り行きなのだろうか。
 それでも余り陰気な悩みに沈み込むのは性に合わなかった。神田駅の近くの、恐らく毎年の定例と思しき居酒屋の大部屋を借り切って、社長の森実すら顔を出した忘年会は、想像以上に大盛況だった。こんな風に、立場も年齢も異なる大勢の大人たちに囲まれて酒食を共にするのは、人生で初めての経験だった。ざわざわと混み合った部屋の中で、それぞれの会話が幾つも星雲のように生滅を繰り返し、追加の酒を注文する声、弾けるような笑い声、興奮した大声が高速道路のジャンクションのように入り乱れて、力強い波動を形作っていた。椿は辰彦の隣に座って大人しくカクテルを呑んでいた。向かいの席に座ったのは、あの齧歯類を想わせる風貌の愛らしい女性だった。編輯部の庶務係に属する湊本幸野みなもとゆきのである。椿の最初の見立て通り、二十八歳の妙齢で、今年の春に入籍したばかりの花嫁だ。
「椿ちゃんはお酒強いの? どんなお酒を普段は呑むの?」
 片隅で縮こまっている椿を見兼ねたのか、幸野は矢継ぎ早に話を振って、彼女の殺伐とした孤立を和らげようと努力してくれていた。その気遣いに応えようと、椿も気持ちを立て直して成る可く饒舌に振舞った。遠くで一際大きな笑い声が爆ぜ、室原香夏子が辰彦と同年代の男性社員の背中を思い切り派手に叩いている姿が見えた。その横顔は紅く染まり、彼女の眼前には群青色の洒落た焼酎のボトルが傲然と聳え立っていた。香夏子は編輯部随一の酒豪で知られ、酔っ払うと日頃の驕慢な勢いに航空燃料が投下されるという噂だった。極力近付かないようにしようと、椿は数日前から固く誓っていた。
 幸野の隣には、同じく庶務係の西谷更織にしたにさおりと編輯部企画室の佐伯瑞穂さえきみずほが座っていた。更織は幸野と同い年で、瑞穂は二人より二つ年上、幸野にとっては同じ大学の先輩に当たっていた。企画室は編輯部の心臓とも言える重要な部署で、瑞穂は部署の中で最も若く、期待の若手という揺るぎない評判に庇護されていた。学生時代、クッツェーの作品に傾倒して南アフリカ共和国ケープタウン大学へ短期留学した経歴を持つ瑞穂は、小麦色の滑らかな肌と艶やかな黒髪を自慢にしていた。淡い橙色のフレームの眼鏡は、彼女の容貌に独特の力強い野性味を添えていた。
 世代の近い彼女たちとの砕けた歓談は、強張っていた椿の心を徐々に寛ろがせていった。日頃の窮屈な警戒心が、アルコールの魔力も手伝って薄らぎ、話題は私生活のことから共通の関心事である書物のことまで、刻々と自在に移り変わった。こういう場面の慣例に従って、異性の話題も一同の熱烈で明け透けな関心を集めた。幸野を除けば全員独身なので、自然と幸野がこの道の先輩という風格を備えがちだった。