サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「ヘルパンギーナ」 1

 日本の片隅で生まれた平凡な私に語れることなど、そうそう幾つもある筈がないのは、読者諸賢も既に御明察であろう。薄暗い湿っぽい秘境、母親の胎内からドリルのように旋回して狭苦しい子宮口を抉じ開け、やっとの思いで外界の新鮮な空気を肺臓一杯に吸い込んで、人生の崇高な起点に現れた私の此れまでの日々は、実に凡庸極まりない代物であった。当たり前のように産科の新生児室へ担ぎ込まれ、移動する小さなベッドに寝かされ、すやすやと惰眠を貪ったり、或いは何事か不愉快を禁じ得ずに顰め面でああでもないこうでもないと大袈裟にぐずってみたり、実に卑俗な嬰児の所作を一通り巧みに演じて、潤沢な母乳と高価な粉ミルクを交互に浴びるほど呑みながら育った私は、容貌も十人並みであった。母親は嘸かし可愛く感じただろうが、私自身の容貌が十人並みである事実と、それが腹を痛めた母親の依怙贔屓の眼には、飛び切り輝かしい絶世の美貌に映るという事実とは、取り立てて矛盾するものではない。私は母親の腕に抱かれ、その乳臭い胸許に四六時中鼻先を埋めながら順風満帆、日進月歩の勢いでどんどん肥えていった。背丈が伸び、脚の力が強くなり、表情の類型が豊かになり、私は嬰児だけに天与の財産の如く下賜される特別な愛くるしさを持って、生まれ落ちた桐原家の話題を独占し、親族一同の関心を一手に引き受け、華々しい脚光を浴びまくった。桐原家の人々は、私の顔面に刻み込まれた何の変哲もない皺の一つ一つまで、痘痕も笑窪の精神で絶対的且つ積極的に誉めちぎってくれた。それが今日の私の堅固極まりない自尊心を涵養する一番の温床として役立ったことは論を俟たない。私の自我が歪に膨れ上がって醜い水風船のような柔らかさと危うさを兼ね備えるようになったのも偏に、幼少期に浴びた夥しい慈愛の麻薬的な効果によるものだ。
 だが、湯水の如く浴びせ掛けられる愛情の麝香めいた、噎せ返るような息苦しさの経験を欠いて、誰が自分自身を心から愛せるようになるだろうか。少なくとも私に関して言えば、十人並みの容貌を肚の底から慈しんで蝶よ花よと優しく受け止めてくれた桐原家の人々の純粋な気質に、感謝の言葉を幾らでも述べる腹積りである。彼ら彼女らの献身的で盲目的な愛情をたっぷりと蜂蜜のように耳の孔へ流し込まれた御蔭で、その後の人生がどんなに糞みたいな筋書きを辿ろうと、自分には未だ何かしらの価値が残っている筈だと楽観的に思い込むことが出来るようになったのだから。私は自由であり、敬愛されるべき存在であり、偉大なる跡継ぎなのだ。
 然し、桐原家の人々は私の見た目の嬰児らしい愛らしさに眼を奪われる余り、私の内なる本性に就いての理解を極めて不充分な仕方でしか保つことが出来なかった。それは御互いに憐れむべき不本意な事態であったと言えるかも知れない。誰もが私のことを桐原家の待ち望まれた嫡子、桐原幸也きりはらゆきやと信じ込んで疑いもしなかったが、厳密に言えば、私は桐原幸也ではないのである。私の本来の姿、魂の本源的な形態は、そのような上っ面のアイデンティティとは無縁の人格を有している。即ち、私は千葉常重ちばつねしげなのである。何を言っているんだ、こいつは、と思われる虞は充分に弁えている。桐原幸也として現世に生を享けた瑞々しい嬰児の「本源的な人格」が、千葉常重という古めかしい氏名を名乗るとは一体、どういう意味なのか、途方に暮れる読者の方は大勢おられるだろう。無論、それらの予測される事態は総て、無理からぬ反応である。字面だけを読んでその行間を推し量ろうにも、通常の論理では、桐原幸也という名称で家の床を這い回り始めた幼気な嬰児の内側に、千葉常重という本源的な人格が潜んでいるというのは、繋がりようのない話であるからだ。
 無論、困惑しているのは私も同様である。物も言えない舌足らずの赤児でありながら、私は確かに成熟した大人の、しかもかなり年季の入った古株の人格を明瞭に意識しているのである。そんな奇怪な事態が、何故起こり得たのか? 私は固より、天地の狭間に生ける万人に訊ねても、満足の行く答えを導き出せる人物は皆無であるに違いない。誰でも世間一般の俗塵に塗れた大人という生き物は、一つの肉体には一つの人格しか宿ることが出来ないという牢固たる固定観念に縛られているからである。いや、この言い方は適切ではない。厳密には、彼らは肉体と魂との間に不可分の融合を信じ切っている。或いは、外見と内面との間には決して切り離すことの出来ない強固な癒着が生じていると信じ切っている。生き方は顔に出るとか、人は見た目が九割だとか、そういった言説が大手を振って巷間を罷り通るのも偏に、そうした信憑が極めて根深く、説得力に満ちているからだろう。経験的な知識に基づいて、何もかも論じて疑いもしない人間の度し難い通弊が、こんなところにも顔を覗かせている訳だ。
 だが、事実として起こったことを、理窟に合わないことだと蹴飛ばしてみせるのは、思慮深い大人の選択すべき態度ではない。理窟がどのような仕組みで動いていようとも、事実が厳然として存在するならば、どう考えても事実の方が正しいに決まっているのだ。私が赤児の身形でありながら、その柔らかな膚の下に無骨な武者の風格を潜り込ませているなどと、戯けたことをほざくなと罵られたとしても、現実そのものが書き替えられることは有り得ない。その有り得ないことを起こす為に眉を吊り上げたり語気を荒らげたりするのは、みっともない悪足掻きだ。
 無論、中身がどうであろうと、発達の不充分な肉体の檻に囚われていては、内なる本性を明かす術もないというのが、幼児期の私に課せられた足枷であった。柔らかな頬に無骨な頬を押し当てて話し掛けてくる、骨張った大人たちの脂ぎった膚、若しくは年老いて脂っ気が抜けてかさかさと枯葉のようになった老人たちの膚、それらが私の頬に触れる度、本当は不快感に堪らなくなり、身を捩って逃れ、散々に文句を言ってやろうと意気込むのだが、実際には泣くか喚くか、その程度の貧しい選択肢しか与えられていないのである。泣けば先方も驚いたり慌てたりして身を退くが、それも常に穏便に運ぶ話とは限らない。彼らは絶えず上機嫌という訳ではなく、無力で可愛い嬰児が相手であったとしても、時には懸命に泣き叫ぶ健気な赤児の狷介な態度に、どうやら苛立ちを禁じ得ないでいるらしい場面が、度々眼前に展開された。そのときの彼らの殺気立った空気は、赤児の柔らかな膚に速やかに見えない圧力を及ぼした。産毛が粟立ち、小さな心臓が紅い血液を濁らせ、手足の先がすうっと冷えていく。赤児は、見た目よりも周りの世界の仕組みを緻密に理解しているものなのだ。少なくとも私の場合はそうであった。何しろ私は、赤児でありながら大人の風格と貫禄を懐中に隠し持っていたのだから。
 千葉常重という古めかしい名前は、誰から貰ったのか、はっきりと覚えていない。ただ漠然と、殆ど失われてしまった前世の記憶の断片の中から、まるでそれだけが糸の切れた凧のように、ふわりと生まれ変わった私の前頭葉辺りへ引っ掛かったのである。薄くぼんやりとした海馬の奥底の風景、そこでは私は武者であった。厳めしい鎧甲冑に身を纏い、荒々しい奔馬の背へ鞍を括りつけて跨り、朝霧や夕霧や夜霧の中を疾駆する勇壮な武者、その漠然としたイメージだけは頭の片隅に絶えず残響していた。だが、生まれ変わった後の私に遺された記憶はその程度のもので、後は千葉常重という重厚な、古色蒼然たる氏名だけであった。だが、確かに自分は生まれたばかりの真っ新な人間ではないという自覚は色濃く存在しており、それが私を太々しく厚かましい嬰児に仕立てる最大の要因であった。
 魂と肉体との調和、それはこの世界では確かに大切に扱われ、相応の敬意を支払われている固定観念である。子供には子供らしい精神が宿り、老人には老人らしい精神が宿り、男には男らしい内面が、女には女らしい内面が備わっているべきであると、誰もが素朴に思い込んで疑わない。だから、男らしい髭面の男が嫋やかな女の愛嬌を漲らせてくねくねと腰を揺すったり小指を斜めに跳ね上げたりすると忽ち色物扱いを受け、迫害されたり嘲笑されたりするのである。見た目と中身の不一致、それが問題なのだ。そうした乖離の程度が或る想定された常識の範囲内に留まる場合には「ギャップ」などという胡散臭い蕃国の言葉で讃えられたりもするが、例えば私のように、赤児の中身に転生した武者の脂ぎった魂が嵌め込まれているといった「行き過ぎ」の場合には、誰しも口の端を凍らせてしまうのである。その辺りの消息は長じるに連れて、徐々に明瞭の把握し得るようになってきた。無邪気に喃語を繰り返している分には可愛らしい嬰児も、大人顔負けの口答えを理路整然と仕掛けるようになればもう、弾圧の対象に鞍替えであろう。
 それでも未だ、生粋の乳幼児であった時期には、内面と外見との齟齬は、それほど深刻な事態を齎さなかった。何かしら尤もらしい自己主張を試みようにも、未成熟な声帯や気道や舌や顎関節が、私の思うが儘の自己表現を否応なしに妨げていたからである。どんなに腹黒い謀略や浅ましく厭らしい欲望をふつふつと滾らせていたとしても、それを表立って吐き出す為の技術が備わっていなければ、厳重に鎖された鉄扉の不本意な開放を危惧する必要も生じない。だが、迂闊に口を開けばきちんと大人の鼓膜にも聴き取られてしまうような水準の声を獲得した段階で、自己制御は私という人間にとって、最大且つ喫緊の課題となった。幼い外見と、薹の立った内面との奇怪な落差が人目に触れれば、甚だしい混乱を招くこと必定である。血の繋がった親子であろうと、その親密な絆ゆえにどんな異常性も容認されると思い込むのは間違いで、親子であり血族であるからこそ却って忽せに出来ない問題というのは幾らでもあるものだ。