サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「Hopeless Case」 33

 長い正月休みが始まった。椿には、特に予定もない。父方の祖父母は既に亡くなり、母方は祖父が二年前に膵臓癌で逝き、取り残された祖母は痴呆が進んで今は幕張の施設に入っている。面会しても、娘の顔すら覚えていない。つまり、帰省の予定はない。幾日か友人と出掛ける予定はあったが、それは平凡な日常に内在する大地の自然な起伏のようなものだった。卒業論文の執筆という大仕事も、新年を迎える前に竣工を迎えてしまった。居間の古びた炬燵に頸筋まで潜り、年の瀬の特番を漫然と眺めたり、部屋に積み上げたまま放置していた長めの小説を読んだり、転寝に時を費やしたり、時間や曜日の感覚が麻痺するような生活が続いた。衰燈舎は年明けの六日から御用始めで、それまでの間は、無人のオフィスへ立ち入ることは誰にも出来ない。退屈と優雅は紙一重だと椿は考えた。そして退屈は人を狂わせ、愚行へ赴かせる。例えば三島由紀夫の小説に登場する上流階級の人々は皆、退屈に衝き動かされて淪落の関係を結んだり優雅な娯楽に勤しんだりしているように見える。
 椿には三つ年下のさつきという弟がいて、仙台の国立大学に通っている。自立心の旺盛な性格で、昨春から始めた独居の寂寥にも何ら痛痒を感じないらしく、年末年始は親友と香港へ旅行するという理由で実家には帰らなかった。盆休み以来の再会を待ち望んでいた両親は、息子の不羈な性質を薄情だと嘆いたが、香港土産に燕の巣を使った化粧品やペニンシュラのチョコレートを買って、そのうち立ち寄るという報せに辛うじて一縷の望みを繋いでいた。皐は感染症の研究室に在籍しており、時々椿の携帯には不吉な彩色を施された耳慣れないウイルスの画像が嫌がらせのように送り付けられた。
 退屈だ、退屈だ、退屈だ。無論、束の間の退屈ならば、それは却って贅沢な嗜好品に似るかも知れない。矢継ぎ早に雑事に追い立てられ、孤独な閑暇を持ち得ないことは最大の不幸だと、アリストテレスセネカも言っている。貴重な余暇を自堕落に過ごすことも、繁忙な生活の渦中にあって振り返れば、立派な財産には違いない。しかし、椿は投げ与えられた自由な時間を必ずしも歓ばなかった。友人と遊びに出掛けて、無闇に躁いでみても、一抹の虚しさが常に墨痕の如く消え残った。彼女は毎晩、自室のカレンダーを眺めて溜息を吐いた。年が明けても、衰燈舎のインターンが再開するまでは、概ね一週間の時日が必要である。それは途方もなく長大な空白として、椿の魂を蚕食した。休息は魂の救済ではなく、寧ろ腐敗を意味しているように思われた。常温で放置された真夏の食品のように、要らぬ考え事が、悪質な細菌のように増殖して意識の視界を混濁させる。本当はもっと高い温度で灼かれたいのだ。退屈という感情が干上がるほどの高熱で全身を譴責されたいのだ。退屈は大嫌いだった。生きている実感が砂粒のように脱落していく。罅割れた土瀝青のように、何かが静かに息絶えてゆく。
 新しい一年が始まった。毎年の習慣で、中山の寺院に初詣に連れられてゆく。混み合う朝の境内に濫れた冷静な白光が虹彩を撃った。両親は子供たちを伴った初詣を人生の日課としていた。父の白髪がやけに目立った。弁護士として長く働いてきた父の横顔は六法全書のように厳めしい。日頃は放任主義と呼んでも差し支えない寛容と無関心で子供たちに接しているのに、時々思い出したように子供を恋しがるのは、都合の良い習性だと椿は思った。正月休みにも帰って来ない長男の自立心は、寧ろ彼らの教育の理想的な賜物であるように思われるのに、それを薄情だと嘆くのは御門違いだ。いっそ教育の成功を誇るべきだろう。石畳の上に目映い光の綾が散乱している。母は無闇に躁いで、夫と娘に御神籤を買おうと煩く誘った。父は中吉を引き、母は末吉を引いた。椿が渋々買った御神籤には凶の文字が無神経な表情で印刷されていた。父は神託など気に病むなと言い、母は運命なんて自分の行動次第よと言った。だったら何で御神籤なんて買わせるのよ、と椿が抗弁すると、母は笑って、だって御正月ってそういうものよ、と涼しく答えた。
 二日になると、年賀の客がちらほら顔を出した。父の仕事の関係者が過半を占めた。母の趣味の仲間も数人顔を出した。椿は自分の部屋に引き籠っていた。愛想を振り撒くのは別に不得手ではないが、そういう気分になれなかった。きっと彼らの話題の中には、年頃の娘と息子の最近の動静なども登場するのだろう。母は賑やかな空気が好きだから、酒食の仕度に忙しく走り廻って嬉しそうだった。椿はベッドに寝転がって、音楽を聴いたり、本を読んだり、昼寝をしたりした。時々友達から連絡が来て、誰もが退屈な正月に苦しんでいるのかと彼女は素朴な感想を懐いた。天井の壁紙が無限の深淵のように見えた。彼女は川崎辰彦に就いて考えた。彼は典型的な家族の団欒を謳歌しているだろうか。それを憎む訳でも羨む訳でもない。ただ、何だよ、ちくしょう、と椿は試しに呟いてみただけだった。