サラダ坊主日記

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権力・変形・寓話 安部公房「水中都市・デンドロカカリヤ」

 安部公房の短篇集『水中都市・デンドロカカリヤ』(新潮文庫)を読んだので、感想文を認める。
 同じ新潮文庫に収められている連作短篇集『壁』と同様に、この短篇集にも安部公房の生得的な主題やイメージが繰り返し変奏される形で集まっているように思われる。表題に掲げられた「水中都市」も「デンドロカカリヤ」も共に人間の不可避的で強いられた「変形」を扱った作品である。この「変形」の主題が、人間という存在の自明な性質を毀損するものであることは明瞭だ。言い換えれば、安部公房の発想は常に「人間性の解体」という志向性を孕んでいるのである。
 「人間」という観念は恐ろしく自明な実在であるように信じられている。私たちは自分が「人間」であることを片時も疑わないし、動植物や無機物と「人間」を同格に遇するような行為や発言は悉く悪質な冒瀆であると看做されている。こうした暗黙の人間中心主義を「ヒューマニズム」(humanism)と呼ぶのだとすれば、安部公房という作家は明らかにヒューマニズムの頑固な宿敵である。
 無論、安部公房の作品を「変形」の主題だけで解説することは出来ない。例えば、彼の作品には頻繁に「不透明で絶対的な権力」というものが登場し、主人公を滑稽で不合理な窮地に陥れる。その権力は何らかの論理や規則を伴って、主人公を抑圧するのが常である。言い換えれば、彼は「権力」というものの奇怪な生態を克明に描出することに強い執念を燃やしている。それは、彼が「権力」を憎んでいるからだろうか? しかし、安部公房は聊かも「権力に抵抗し、遂には打倒する勇敢なヒロイズム」というものの栄光を活写していない。寧ろ、彼が描き出すのは常に不合理な権力に対する無惨な敗北の顚末ばかりである。安部公房は個人の主体性というものに何の期待も懐いていない。彼の視界はもっと構造主義的で、登場人物たちは主体的な人間ではなく、寧ろ主体性を剥奪された人間として諸々の不幸な宿命に呑まれていく。主体性を毀損された人間、自己同一性を解体された人間、というのが作者の主要なモティーフである。そこから派生的に「変形」といった主題が産出されるのである。
 人間の主体性や自己同一性の危機に対する安部公房の執着は、彼が生きた時代における政治的状況、例えば共産主義革命といった事象と関連しているようにも思われる(安部公房は1950年に日本共産党へ入党し、1961年に除名されている)。安部公房の作品に登場する不可解な権力者たちの駆使する大仰な論理的言明の数々は、彼の政治的な経験の記憶から抽出されたものではないかと推測される。権力的な機構の欺瞞性に対する彼の戯画的な揶揄は、例えば「鉄砲屋」という作品などに極めて鮮明な象徴性を伴って表現されている。
 抗い難い強大な権力的機構によって毀損される人間の主体性や自己同一性、固有性といった主題は、これらの短篇を通じて明確に表象されているのみならず、後年の主要な長篇小説への発展的結実を暗黙裡に予告している。持続的な人間性への疑義は時に、人間の随意的な改造による新たな実存の形成への欲望にも結び付く。人間を単なる物質のように取り扱う作者の視線は、人間の可変的な性質に対する関心と裏腹なのである。例えば長篇「他人の顔」では、主人公はケロイド瘢痕によって失われた「本来の顔」を奪還する為に精巧な「人工の顔」を作り上げるが、それは与えられた宿命的な固有性からの脱却への志向であると共に、自己同一性の恢復への野心をも意味している。ただ、何れにせよ、そうした物語の設定が自己同一性の不安定な脆弱性を告示している点に変わりはない。アイデンティティの瓦解という危難は絶えず安部公房の精神に纏わりついている。
 これらの主題を取り扱うに際して、安部公房の文学的な手法が、所謂「写実主義」(realism)から遠ざかっていくのは不可避的な帰結であり、彼の文学における戯画的な寓話性も、そうした経緯の裡に淵源を有しているように思われる。人間の主体性や自己同一性を揺るぎない前提として信奉するリアリズムの話法に依拠する限り、作者の重要な主題は多様な表現を獲得することが出来ない。植物や魚類への唐突な変身、或いは「闖入者」における奇妙な事件の推移などは、単なる写実的発想に留まる限り、表出され得ないものだ。無論、それは安部公房の文体や表現が現実的な骨格を欠いた、恣意的な妄想に過ぎないという意味ではない。彼はリアリズムの原則をアンリアルな実験的設定を施された世界へ適用することによって、我々の所属する現実の自明性を一時的に解除するのである。安部公房の文体はシンプルで、仰々しい幻想的暗喩によって事実の焦点を曖昧に霞ませるような手口とは無縁である。つまり、彼は主観的な幻想を提示しているのではなく、幻想の客観的な再生を企図しているのである。

水中都市・デンドロカカリヤ (新潮文庫)

水中都市・デンドロカカリヤ (新潮文庫)