サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「ツバメたちの黄昏」 二十九 伝統と軋轢

 黄昏までの長過ぎる時間、その緊張と退屈の絶えざる繰り返しのような時間の経過の中で、私は自分が流れ着いた国境の街の風物に、虚無的な眼差しを注ぎながら過ごした。ヘルガンタは私が商館員として長く暮らしてきたスファーノ湾の港町ジャルーアと、様々な共通性を帯びていた。端的に言えば、どちらも船舶の往来が劇しく人と物の出入りが盛んな海運の要衝であり、民族的な出自も言葉も肌や髪や瞳の色や躰つきも異なる人々が鬩ぎ合い、押し合い圧し合いしながら共存している空間である。そうした特徴は、私が乳呑児の頃から少年期の終わりまでを過ごしたファルペイア州の山奥のトレダ村には決して見出すことの出来ない決定的な要素であった。居住に適した土地が乏しく、耕地は悉く傾いたり段々を重ねていたりする故郷トレダ村では、誰もが或る歴史的な同一性の旗の下で、閉鎖された生活を送っていたし、そのことに対する疑問はとっくの昔に磨り減って、特別な感情を喚起する力を失ってしまっていた。肌の色や髪の色が似通っているのは極めて自然な事実であり、人間というのは多かれ少なかれ、このように判断し行動するものだという共通の了解が、村人の日常を律する暗黙の規範として、素朴な権威を微光のように行住坐臥の隅々へ届かせ、積もらせていた。典型的な僻地であり、峻険な地理的条件によって外界との往来を極度に制限されているという事実が、トレダ村の住人の精神的構造に極めて重要な、決定的な影響力を行使していたという訳だ。トラダック伯父さんは、そのような閉鎖的環境で生まれ育った私にとっては、見知らぬ異郷の秘密を土産に持ち帰り、少年の私が持っていた世界に関する知識の幅と奥行きを大きく、力強く押し広げてくれる貴重な使者であった。或いは、トラダック伯父さんという人物は、私にとって偉大なる先駆者であり、私の内なる願望の延長線上に位置する具体的な「未来」の顕現であった。伯父さんも嘗て、昼夜を問わず寝静まっているかのような退屈な田舎の山村で瑞々しい少年の季節を過ごしながら、そのような慢性的な逼塞に堪え難いものを覚え、芽生えた野心に衝き動かされるように大胆で冒険的な出奔へ踏み切ったのであり、その果敢な挑戦への意志は泥臭い甥っ子の意識へ乗り移り、結果として臆病な書記官以上の存在にはなれなかったにせよ、商館員という職業への真摯な憧憬を私の魂の奥底に養い育てた。そういう外在的な要因が関わらない限り、あの古びた山間の村の固陋な伝統を食い破ることは酷く困難な課題なのだ。
 だが、雄渾なアリヤール河の河口に位置する穏やかなスファーノ湾の港町ジャルーアと、ダドリアとの国境線に踵を接した港町ヘルガンタとの間には矢張り、否み難い差異というものが存在していた。どちらも異邦の人々が劇しく入れ替わるように往来する土地柄ではあるが、ヘルガンタには国防上の重要な役割が課せられており、その埠頭にはジャルーアでは考えられないほど多くの軍艦が繋留されている。バエットの話では、隣国ダドリアの政情不安が本格化して以来、軍艦の姿は急増の一途を辿っているらしく、岸壁に程近い界隈では厳めしい軍服を着込んだ規律正しい男たちの往来が目立っていた。少し内陸へ入り込んだ花街の辺りでも軍服姿の客の数は膨れ上がる一方で、元来軍港としての側面を強く備えているヘルガンタの風景に一層の緊迫した雰囲気を加えていた。
「若しもダドリアの王党派が斃れるようなことになれば、軍人の数はこんなものでは到底収まらないでしょうね」
 漸く水平線の彼方が茜色に燃え始める時刻になり、南方のラカテリア亜大陸から運び込まれる高級なシンファス豆を用いた珈琲が売りの喫茶店を出ると、花街の方角へ向かって往来を歩みながらバエットが懶い口調で言った。
「革命派の共和主義者が王家の血統を断絶させてしまえば、我が国に潜伏する数多の反乱分子たちも随分と励まされることでしょう」
「おっかないことを言わないで下さいよ」
「事実ですから、眼を背けたって始まらない。実際、この国の政治も社会も、色んな軋みを抱え込んでいる訳ですからね」
 桃色の灯りが賑やかに列なって、一日の仕事を終えた男たちの血走った瞳を誘惑する為に鮮やかに照り映えている路地を、私たちはゆっくりと歩いた。そっと盗み見たバエットの横顔は普段と変わらぬ平坦な冷静さを維持していたが、その唇から紡ぎ出される私的な意見は、千年以上も王制の統治を支持し続けてきたフェレーン皇国の臣民としては危険思想に分類されかねない性質を帯びている。皇都テレス・フェリンカに君臨するフェレノ王家の長者と、その家系に繋がる十二の州侯家による支配体制は、厳密に考えれば多くの綻びや不備を孕んでいると言えなくもないが、それでも未だに盤石なものであることに変わりはない。ソタルミア州侯家の巨大な権勢に異を唱える連中がいるからと言って、直ちに州侯家の廃嫡という極端な選択肢が議論の俎上に登ることは考えられないのだ。それくらい、長く皇国を支配してきた政治的伝統は、私たちの精神に保守的な偏向を浸透させているのである。