サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「銚子・犬吠埼」 其の一

 家族で一泊二日の銚子旅行に出掛けたので、その記録を簡潔に書き留めておく。

 新型コロナウイルスの感染拡大以来、人間の移動は制限され、旅客は著しく減少し、東京駅の構内に立地する私の配属先の店舗も、売上の激減に苦しんでいる。今夏の盆休みの新幹線指定席予約は例年の二割ほどに留まり、観光や運輸といった業界は出口の見えない深刻な打撃に苛まれ、恐らく今後、関連する廃業の件数は増え続けるだろう。
 我が家では例年、夏季に二泊三日の旅行へ出掛けるのが習いで、昨年は金沢、一昨年は盛岡、その前年は仙台及び松島を旅した。今年はコロナの影響を鑑みて規模と予算を縮小し(県外移動は歓迎されない時勢であるし、今夏の賞与は若干減額だった)、一泊二日で千葉県銚子市へ出掛ける算段を整えた。
 政府の打ち出した「Go To Travel」キャンペーンの恩恵で宿泊費は割引となり、例年なら新幹線で移動するところ、今年は在来線特急「しおさい」で一時間半ほどの道程なので、交通費も随分と安上がりで済んだ。難点は、新幹線とは比較にならぬ便数の少なさである。午前八時台の電車を逃がしたら、次は十時台である。それでも、東京駅まで出向くのに比べれば、千葉駅は遥かに近い。私の暮らす幕張から、総武線各駅停車若しくは京成千葉線で十分ほどの距離である。早めに着いてトイレを済ませ、構内のコンビニでおにぎりやサンドイッチを買い込んで、八番線のプラットフォームから総武本線特急「しおさい」に乗り込む。自由席の車両は空席が目立ち、座席四つを占有して、悠然と向い合わせに陣取ることが出来た。
 午前八時過ぎに千葉駅を発ち、佐倉・八街・成東・横芝・八日市場・旭・飯岡を経て銚子駅に辿り着いたのが午前九時半過ぎであった。列車を下りると直ぐ眼前に、巨大な醤油樽が写真撮影を待ち侘びるように佇んでいるのに出喰わした。法被を纏った銚子観光協会の老女が妻のスマホで家族の記念写真を撮ってくれた。生憎、随分とブレた仕上がりであったが、その厚意には感謝の言葉しかない。
 先ず我々は駅前のロータリーから路線バスに乗り、海沿いの銚子ポートタワーを目指した。千葉市海浜公園にも、同じくポートタワーと銘打った展望施設がある。千葉のポートタワーに比べると、銚子のそれは背丈が低い。バス停の直ぐ傍には「ウォッセ21」という名称の水産物即売所があり、タワーと連絡通路で接続されている。何れの施設も老朽化が進んでおり、喫煙所に設置されたアイスの自販機は上下が露骨に錆びていた。タワーの上層へ昇る為のエレベーターも、歴史を感じさせる年代物だった。
 展望台から眺められる海景は、生憎の曇り空で清々しさを欠いていた。茫洋たる白っぽい太平洋の水平線、防波堤を食い荒らす冷たい波頭、早朝の活況を通り過ぎた後の無人の水産市場。賑わいや輝きとは隔たった、何処か荒涼たる風景だった。娘を抱え上げてテレビ式の望遠鏡を覗いてから、土産物を商う階層へ降りる。四歳の娘が黄色い車のような飛行機のような奇妙な玩具を買ってくれと言い出し、拒んでも大声を張り上げて徹底抗戦も辞さぬ構えである。こういうときは、宥め賺しても厳しく叱っても無益である。後で買ってあげると誤魔化しながら半ば強引にフロアを出て、階下のシーフードレストランで昼食を取った。妻は海鮮丼、私は穴子の天丼、娘は口に合うものがない。後で何か別の食事を手当てせねばなるまい。隣席にはライダーらしい黒の革ジャンの男たちが大人数で陣取り、和やかに食事をしていた。この銚子の海辺は、ツーリングで遊覧するのに適した土地なのだろう。
 娘の指名した奇妙な玩具は嵩張るので、何とか言い包めて柔らかい刀の玩具を二本買ってやった。娘は荒ぶる血の持ち主で、戦いごっこが好きなのである。そのふにゃふにゃの剣を持って、地上階のアスファルトの広場で決闘を演じる。娘は加減を知らず、思い切り叩きつけて来るので、ふにゃふにゃでも痛みが走る。余り反撃すると、娘は自分が劣勢であることに屈辱と不安を覚えて機嫌を損ねるので、此方は適度な匙加減を心掛ける必要がある。
 水産ポートセンターの敷地を出て、海の見える車道沿いの停留所で銚子駅へ引き返すバスを待った。岸壁に沿って釣り竿が並び、その傍らには海上保安庁の船舶(「つくば」という船名が金文字で艫に記されていた)が停泊している。バスに乗り、銚子駅へ舞い戻ると、JRの自動券売機で銚子電鉄の切符を買った。未だ時間があったので、コンビニで娘の食糧を調達し、ベンチに座って食べさせる。彼女は食べ物に関して保守的な性質の持ち主なので、見慣れないもの、得体の知れないものは口に入れたがらず、旅先ではいつも食事の選択に難渋するのが悩みの種である。
 銚子電鉄の乗り場は、JR在来線プラットフォームの突端にあり、suicaの出場処理をする為の端末が置いてあるが、改札は存在しない。日曜日なので、恐らく旅客の九割九分九厘は観光客である。レトロな車両や駅舎を愛でる為に訪れたのだろう。大正年間に設立開業した当時の面影が、鱗粉のように随所へ塗されているのかも知れない。事実、中吊り広告の一枚は、開業当時の宣伝文の復刻であった。