サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「銚子・犬吠埼」 其の三

 銚子旅行の二日目、ホテルのビュッフェ形式の朝食を頂き(コロナの感染防止策の一環として個人別の紙製のトングが用意されていた)、チェックアウトの手続きを済ませてタクシーを呼んでもらった。ホテルの駐車場の一隅に岩礁を模した露天の水槽があり、数匹のペンギンが薄曇りの空の下を泳いだり佇んだり忙しない。娘は水槽の至近に陣取って水槽の表面に指先で弧を描く。釣られてペンギンが顔をくるくると動かすのを、熱心に見凝めている。
 タクシーで向かったのは「地球の丸く見える丘展望館」である。愛宕山の頂上に位置する閑静な展望施設で、屋上の広々とした空間から、四方を水平線と青空に囲まれた壮大な眺望を愉しむことが出来る。生憎、澄み切った快晴には程遠い空模様で、空と海との境目もぼんやりと融けて見える。屛風ヶ浦の切り立った独特な断崖や、夥しい発電用の風車、犬吠埼灯台銚子ポートタワーも視野に収めることが出来る。晴れていれば、富士山や筑波山も彼方に捉え得るらしい。
 犬吠駅まで、娘を抱えて下り坂を歩いた。雲間が割れ、燦然たる晩夏の光が不意に路面へ滲み出す。途中、満願寺という派手な色彩の寺院を見掛けて立ち寄った。境内には、録音された読経の声が朗々と響き渡っている。しかし人影は見えず、奇態な印象を受けた。廻廊を巡り、本尊の傍に設けられた受附で御朱印を貰い、奉納された写経を収めた鈍い金色の筒の行列を眺める。電車の時刻が迫っているので、余り長居は出来ない。
 娘を背負って前屈みに、犬吠駅へ駆け足で向かう。横断歩道を渡り、踏切を越えて、瀝る汗を拭いながら駅舎へ入る。有人改札で切符を購い、プラットフォームから娘と並んで到着する列車の鼻面を出迎える。その後ろ姿を妻が携帯で動画に撮った。
 辿り着いた観音駅から徒歩で、飯沼観音の傍にある、青魚の漬け丼を出す小さな店へ向かった。コロナ対策で座席を間引いている為か、通りの両脇は一面シャッター街であるのに、そこだけ時ならぬ行列であった。私が頂いたサバの漬け丼の定食は、謳い文句の通りに全く臭味が無く、美味であった。
 飯沼観音は、観音という地名の由来にもなった真言宗の古刹で、正式な名称は「飯沼山圓福寺」である。開基は九世紀初頭、弘法大師空海によるものと伝えられる。本堂の石段を昇ると、恰かも銚子の街並を守護する金剛力士のように、奉納されたヒゲタとヤマサの醤油の一斗缶が鎮座していた。
 寺院の敷地を裏手に抜けて、銚子観光協会の老女から熱心に勧められた今川焼(老女は「金鍔」と呼んでいたが、店の看板は「今川焼」を謳っていた(現在、一般に知られる「金鍔」は、明治時代に考案された「角金鍔」と言われる変種であり、それ以前は名前の通り、刀の「鍔」の形に似た平たい円形の餡を粳米の粉で包んで焼き上げたものが「金鍔」或いは「銀鍔」と呼ばれていたらしい。その製法の類似ゆえに、地域によっては「今川焼」を「金鍔」と呼称する習慣があるそうだ)。黒餡と白餡の二者択一というシンプルで明快な品揃え、恐らく顧客の根強い支持に庇護されているのだろう。
 餡子の余韻に浸りつつ、重たい娘を抱えて緩やかな坂道を登り、県道244号線を西へ向かって歩く。途中、煎餅を商う店に立ち寄って、妻が土産を買った。流石に娘を抱えて銚子駅まで歩くのは難儀だと苦悩していると、折良くバス停に巡り逢い、数分後に到着の予定であることが分かったので救われた。観音様の功徳であるかも知れない。
 夕方四時に銚子を発つ特急「しおさい」で帰る予定であった。未だ一時間ほど余裕があり、生魚を嫌って漬け丼を食べなかった娘の為にマクドナルドへ立ち寄った。ハッピーセットを買ってもらい、娘は御満悦の体である。
 発車の定刻が近付くに連れて、俄かに慢性的な曇天が破れて辺り一面に、夕映えの一歩手前の光が降り注いだ。同時に天気雨が降り出し、何とも気紛れな天候である。どうやら下校の時刻を迎えた高校生の大群が一斉に駅舎へ集まり、銚子駅頭の絶え間ない静寂もまた不意に蹂躙された。総武本線若しくは成田線で帰途へ就くのだろう。再びプラットフォームの巨大な醤油樽の前で記念写真を撮った。フォトグラファーの任務を、四歳の娘が引き受けた。仕上がった画面は、角度が難破船の床板のように傾いているが、フォーカスは正しく決まっていた。四歳児ならぬ麒麟児の技倆である。
 走り出した電車の中で、疲労の所為だろう、私の意識は瞬く間に闇へ溶けた。あっという間に佐倉を過ぎた。見慣れた千葉駅の雑踏を目の当たりにすると、人の多さに驚いた。