サラダ坊主日記

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「中央集権」を拒絶する風土 佐藤進一「日本の中世国家」 1

 佐藤進一の『日本の中世国家』(岩波文庫)を読了したので、感想文を認める。

 一応、通読は済んだとはいえ、律令制国家から室町幕府へ至る国家権力の構造の変遷を取り扱った本書は、私の如き歴史の初学者を念頭に置いて執筆されたものではなく、日本史に関する一通りの基礎的知識や、古語や漢籍の素養を持たぬ者には難解な一冊であると言えるだろう。引用される史料の文言を簡潔な現代語に置き換える懇切な配慮を、本書に期待しても裏切られる。無論、これは著者の越度でも作品の瑕疵でもなく、史学に関する数多の書物に就いて手に取るべき順番を適切に考慮し選択しなかった私の不手際である。けれど、愚かしい蛮勇であっても、一知半解にすら及ばぬ通読の成果であっても、何かしら向後の勉学の糧になる経験であったことは疑いを容れない。
 古代から中世に至る時期の官制の詳細に就いて学ぶことは、そのまま国家の構造的特性を理解することに等しい。実際、著者は官制の変遷を通じて日本という国家の構造的推移を究明すべく、夥しい史料を渉猟して緻密で丁寧な読解を試みている。その精確な要約を、浅学菲才の私が実践してみせることは不可能であるから、門外漢らしく殊勝に、自己の気儘な感想を記して備忘に役立てたいと思う。
 第一に、国家の構造的変遷を促す重要な原動力として着目すべきは、絶対君主としての「天皇」と、その有力な臣下である「公卿」或いは「武家」との間で演じられる不断の政治的闘争である。著者は律令制国家における「天皇権」の性質や規定を、中務省及び宮内省の内廷的性質(つまり天皇家の家政=内情に関連する業務が、太政官の管下に組み込まれていること)や公文書の発給手続きなどを通じて考察している。臣下の体系的組織である太政官の制度は、天皇という絶対的な君主の恣意的な専横を阻み、その法外な権威に一定の抑制を強いる為の機構としての政治的特性を含有している。天皇による詔勅の発布に必ず太政官が介入する取り決めであること、本来ならば天皇の意のままに執行される専権事項であるべき「勅符・奏弾」に就いても、年月を経る裡に形骸化が進んで太政官の介入を許していること、そもそも律令の本家である中国の制度と比較して、本邦においては臣下たる太政官の政治的発言権が強力なものであることなど、様々な証拠を取り揃えて著者は、古代における君臣の間の絶えざる政治的駆け引きの存在を示唆している。動もすると自らの絶対的権威に基づいて独裁的な親政に傾斜する天皇と、その強力な大権を抑制し、或いは利用して、自らの利得の確保と増強を図る公卿との間断のない政争が、国政の構造を変質させ改革する活力の源泉を成しているのである。
 当時、アジアに冠たる先進的な超大国であった中華帝国律令制に範を仰ぎ、厳格な中央集権的国家の体裁を整えて出発した古代の日本は、天皇と公卿との対立的関係(及び癒着)の持続を通じて徐々に変質と形骸化を強いられた。そもそも律令制の本家である中国に比べて、日本の天皇は独裁的な性質が薄弱であり、公卿たちの発言権が極めて強い。天皇を旗印として強力な中央集権的制度を布こうとする企図は、史上幾度も試みられてきたが(例えば「建武の新政」や「明治維新」も同様の意義を有していると言えるだろう)、それが日本という国家の土壌に完全に定着した例は存在しないのではないかと思われる。言い換えれば、日本という国家の風土、或いは民族性は、単一的な権威による独裁、圧倒的な中央集権といったものを拒否する根深い特性を宿しているのではないか(やや話が逸れるが、例えば作家の遠藤周作が「沈黙」において、苛烈な一神教としての「基督教」を受容せず、巧みに骨抜きして変質させ、根腐れを惹起する日本の風土に就いて語っていることは示唆的である)。
 律令制の眼目である中央集権的な施政は、著者が「王朝国家」と呼称する歴史的段階に至って著しい後退を示し、実質的な地方分権の時代が始まる。否、元々地方分権こそ日本の古代的伝統であったのが、律令制の導入という一種の政治的革命によって抑圧され、それが再び反動形成的に蘇生したのだと看做すべきかも知れない。律令制の形骸化は「令外官」の相次ぐ設置や、官司請負制の一般化、天皇直轄の「蔵人所」の発展など、様々な事象を通じて不可逆的な推進を示した。こうした傾向は、客観的な法律において明示された官司の統属関係の恣意的な歪曲や解体を意味する。国家全体を統括する超越的な論理による支配を排除して、天皇家も含めて、血縁関係に基づいた氏族の局所的論理が復権を果たした過程であると言い換えても差し支えないだろう。
 氏族的な論理が強まれば強まるほど、本来ならば律令に定められた中央集権的な上意下達の組織であるべき官司の体系は、その厳格な統属関係を蹂躙され、一つ一つの業務が「家産」即ち「氏族の利権」として定義されるようになっていく。言い換えれば、本来公共的な業務であるべき官職が、特定の氏族によって私有化され、独占的に世襲されるようになるのである。これは所謂「縦割り行政」の極端な形態であり、官司の任免が絶対的な統治者の裁量ではなく、歴史的な経緯や伝統によって定められるような事態を現出させる。しかも、こうした変化は厳密な明文化を施されず、律令の条文自体は絶対的な規範として維持され、専ら明法家などによる「解釈の変更」を通じて正当化されている(安倍政権による「憲法」の解釈変更を想起させる)。政治の実情に応じて律令の条文を改正するという正当な手続きは踏まれず、恣意的な曲解が時の権力者の都合によって繰り返されたのである。
 こうした政治的傾向は、官吏における国家に対する奉仕という意識の稀薄であることを意味する。有力な公卿たちは、銘々の属する氏族の権益を最大化する為に謀略を尽くし、高い官位官職を占有して政務を私物化する。天皇家でさえも、例えば「持明院統」と「大覚寺統」との「両統迭立」という著名な史実に見られる如く、血統に基づいた派閥的な意識を持して内紛に明け暮れたのである。官職の私物化は、国政における「全体最適」を志向する意識と鋭く背馳する。本来「律令制」とは、国家の全体を首尾一貫した論理や方針に基づいて掌握し、厳格に統制する為の政治的制度であった筈だが、太政官による合議が天皇の特権にさえも絶えず掣肘を加えていた事実を鑑みても、日本の歴史において、その趣旨が安定的に貫徹されたと考えることは困難である。単一的な論理で総てを包摂するという一神教的な論理を拒絶することが、日本という風土の歴史的特質なのである。天皇太政官を枢軸に据えた包括的で中央集権的な律令制は、血縁や姻戚に基づく有力な氏族による「分権」によって形骸化し、綜合的な「国益」を勘案して包括的な大計を描き、実行するという政治的体制は済崩しに棄却されたのである。

日本の中世国家 (岩波文庫)

日本の中世国家 (岩波文庫)