サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(三島由紀夫・希死念慮・浪漫主義)

*文学作品が、その執筆当時の社会的な環境や、作者の個人的な経験や思想信条を多かれ少なかれ反映することは避け難い。どんなに自分の独創性を信じてみたところで、我々が総てを任意に選択して誕生した訳ではないし、生まれる時も場所も択べないのだから(JUJUが「この夜を止めてよ」の中で、出会いの時も別れの時も択べないと歌ったように)、何らかの歴史的な条件や構造に制約されるのは当然の帰結であり、それを否定してみても仕方ない。
 私は二〇一七年の秋頃から数年間、三島由紀夫の小説を集中的に読み、最近は安部公房の作品を集中的に読んでいる。何れも日本の戦後文学を代表する偉大な作家であり、尚且つ同世代である(三島由紀夫は一九二五年、安部公房は一九二四年に生まれている)。彼らの作品を繙きながら感じるのは、この世代の人々にとっての「敗戦」という経験の決定的な重要性である。日本の近代文学を形成してきた作家たちの大半は、この「敗戦」という歴史的な分水嶺を経験した人々である。その立場や年齢に応じて「敗戦」という経験が齎した実存的な意味は異なるけれども、恐らく多くの人々が「敗戦」によって思い知ったのは価値観の劇的な転換であり、自己のアイデンティティの断絶であったのだと思われる。「鬼畜米英」から「戦後民主主義」への転換という歴史的な事態が、自国の版図を異民族に侵犯されるという経験を殆ど味わったことのない民族の精神に重要な影響を及ぼしたことは想像に難くない。
 例えば三島由紀夫は代表作である「金閣寺」において、次のような述懐を語り手の溝口に命じている。

 私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。
 それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、日常のなかに融け込んでいる仏教的な時間の復活に他ならなかった。(『金閣寺新潮文庫 p.86)

 悪しき軍国主義から、自由と平等を旨とする平和憲法の時代への転換という通俗的理解を、少なくとも三島由紀夫は明瞭に斥けている。その恩恵を彼自身、多忙な作家としての栄光に充ちた生活の中で享受したにも拘らず、彼は戦後的な価値観を断固として拒絶するのである。その根底に息衝いているのは、彼の内なる豊饒なロマンティシズムである。

 その夏の金閣は、つぎつぎと悲報が届いて来る戦争の暗い状態を餌にして、一そういきいきと輝やいているように見えた。六月にはすでに米軍がサイパンに上陸し、連合軍はノルマンジーの野を馳駆していた。拝観者の数もいちじるしく減り、金閣はこの孤独、この静寂をたのしんでいるかのようだった。
 戦乱と不安、多くの屍と夥しい血が、金閣の美を富ますのは自然であった。もともと金閣は不安が建てた建築、一人の将軍を中心にした多くの暗い心の持主が企てた建築だったのだ。美術史家が様式の折衷をしかそこに見ない三層のばらばらな設計は、不安を結晶させる様式を探して、自然にそう成ったものにちがいない。一つの安定した様式で建てられていたとしたら、金閣はその不安を包摂することができずに、とっくに崩壊してしまっていたにちがいない。(『金閣寺新潮文庫 p.46)

 三島由紀夫の崇拝する「美」は「戦乱と不安、多くの屍と夥しい血」によって購われる陰惨な性質を帯びている。つまり、死と破滅こそ、彼にとっての「美」の観念を形作る主要な養分なのである。「金閣寺」の語り手である寺僧の溝口は、金閣が本土空襲によって焼け落ちるかも知れないという考えに異様な興奮を覚える。「金閣と共に滅びる自己」のイメージが、彼に官能的な陶酔を齎したのである。「滅亡だけが美しい」という審美的な信条が、そこには貫かれている。だが、何故「滅亡」が「美」として享受されるのか。「滅亡」が醜悪な事象として忌避されず、寧ろ「美」を一層高揚させる重要な原料として珍重されるのは何故なのか。
 死に憧れる感情の根底には、生きることに対する根源的な嫌悪が潜んでいる。生きることが苦痛であり、重荷であるとき、死は絶対的な救済を示唆する恩寵として受け止められる。死と滅亡が恩寵であるならば、それが美しく輝いて見えるのは自明の理である。そして戦争の時代は、そのような恩寵の確約によって生存の苦痛が軽減されるような世界であった。遠からず破滅を確約された人間が、生存に対する法外な責任を免除され、無制限の自由を謳歌するということは有り得る事態である。破滅が必定であるとき、生きることは絶え間ない充実に占められる。生きているというだけで、人間の存在は稀少な価値を有するからである。死の危険が絶えず念頭に置かれている人間の眼に、世界は限りなく美しく映じるだろう。一つ一つの出来事が、厳格な一回性によって彩られ、反復の不可能な「奇蹟」として顕現するからだ。未来の不可能性が、現在の瞬間の価値を無限に高め、暴騰させる。言い換えれば、死と滅亡には「反復の不可能性」という重要な実存的意味が附帯しているのである。もう二度と会えない相手ならば、その相手と過ごす最後の時間は限りなく美しく愛しく感じられるだろう。金輪際、反復し得ない時間には無上の価値が備わる。
 「心象の金閣」に比べれば遥かに色褪せて見える「現実の金閣」が、空襲による焼亡の危険と結び付いた途端に「悲劇的な美しさ」を帯びるのも、こうした「反復の不可能性」の論理的帰結であるように思われる。反復し得ないものだけが無上の価値と美しさを身に纏う権利を有している。ところが「敗戦」は、人々の生活から死と破滅の危険を奪い去った。恒久的な平和が、生活の貴重な一回性を破壊し、無限の反復としての「日常性」を復活させた。「仏教的な時間」という言葉の含意を「輪廻」と解釈するならば、それは無限の「転生」を意味し、厳密な「一回性」を否定する循環的な世界の降臨を示唆している。現在の瞬間に備わった無上の価値は失われ、あらゆる出来事が反復と交換の対象に据えられ、如何なる特殊な行為にも「奇蹟」の相貌が宿ることは有り得ない。
 「日常性」という反復と交換の原理は、三島由紀夫の抱懐する価値観を鮮明に否定し、排斥する。「死」から切り離された「生」の堪え難い無意味、驚嘆すべき倦怠を如何にして克服するかという問題が、三島由紀夫の戦後的な課題の枢要を成すことになる。その処方箋の範型を一挙に点検してみようと試みたのが「鏡子の家」の執筆である。政治的テロリズム、肉体的ナルシシズム、芸術至上主義、或いは戦後的価値観への徹底的迎合。戦後の三島が苦しんだ「空虚」の源泉は「生死の乖離」によって生きることの充実した歓喜が失われた結果であったから、その選択の方針は概ね「奇蹟を望むか、諦めるか」という二元論的な構図に帰着したと考えられる。恐らく、結婚して新居を建てた頃の三島は「奇蹟の断念」を覚悟しつつあったのではないか。しかし、実際には彼は「奇蹟への欲望」を棄却することに失敗した。「日常性」に屈服する途を択ぶことには堪えられなかったのである。人生を無限の反復から救済し、その無為な倦怠を抹殺し、一回的な奇蹟に変造すること、これが晩年の三島の宿願と化した。人生を奇蹟に変える為には「死」という額縁が欠かせない。
 三島が遺作となった「豊饒の海」において「輪廻転生」の物語を描き、その終局に及んで「輪廻転生」の一切を否定してみせたのは何故なのか。松枝清顕も、飯沼勲も、ジン・ジャンも、若くして悲劇的な末期を強いられ、その生存は「死」の額縁に封じられ、一個の奇蹟的な作品と化した。しかし「天人五衰」に登場する安永透は、夭折に失敗して「奇蹟」から見限られる。

 この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。悲劇もなければ、天才もいません。あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生れつき別格で、特別に美しかったり、特別に悪だったり、そういうことがあれば、自然が見のがしにしておきません。そんな存在は根絶やしにして、人間にとっての手きびしい教訓にし、誰一人人間は『選ばれて』なんかこの世に生れて来はしない、ということを人間の頭に叩き込んでくれる筈ですわ。(『天人五衰新潮文庫 p.292)

 久松慶子によって語られた苛烈な弾劾の演説は、明瞭に「奇蹟」の実在を否定している。若しも「奇蹟」が有り得るとすれば、それは「運命」に選ばれた一部の人間だけの特権である。恐らく晩年の三島は、自分が「安永透」であることを知悉していたのではないか。彼は「奇蹟」に憧れながら、己が「奇蹟」に値しない存在であることを悟っていた。それでも、彼は絶望的な賭博に自らの生命を委ねたのである。

 松枝清顕は、思いもかけなかった恋の感情につかまれ、飯沼勲は使命に、ジン・ジャンは肉につかまれていました。あなたは一体何につかまれていたの? 自分は人とはちがうという、何の根拠もない認識だけにでしょう?(『天人五衰新潮文庫 p.300)

 たとえ「贋物」だとしても、彼は自らの人生を「奇蹟」に仕立てる夢想を断念し得なかったのである。それは自らの人生を、反復も交換も容易な「既製品」として終わらせることに、彼がどうしても同意出来なかったということだ。自己同一性の危うい空洞を埋める為に、彼は手作りの奇怪な物語を用意し、それを実演してみせた。確かに彼の人生は、反復も交換も許容しない特異な「奇蹟=軌跡」として完結した。それを「贋物」と論難するのは容易だが、そもそも「贋物」という事実から出発して精緻な虚構を現実に作り上げた男の驚嘆すべき生き様に、単なる論難だけでは掠り傷すら負わせることは出来ないだろう。

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)