サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「勝浦・小湊・大多喜」 其の三

 旅行二日目の朝も早起きをした。ビュッフェ形式の朝食を摂り、部屋に戻って手早く仕度を整え、ホテルの玄関で記念写真を撮ってから、マイクロバスで安房小湊駅まで送ってもらう。途次、土産物屋と和菓子屋に立ち寄って買い物をした。地元の銘菓である「いろは堂」の「あんもり」を購入する。
 外房線で大原駅まで引き返し、いすみ鉄道に乗車して一路、大多喜城を目指す。いすみ鉄道は、大原から上総中野までを結ぶ第三セクター方式の所謂「ローカル線」である。菜の花を想わせる黄色い車両の内装は、事前の予想に反して小綺麗だった。少なくとも銚子電鉄の車両に比べれば、余り老朽化の印象は目立たない。幸いにも晴天に恵まれ、長閑な田園の風景の中をのんびりと揺られていく。窓際に陣取った娘は通り過ぎる踏切を数え、車窓を掠める樹林の懐ろにトトロが百匹くらい棲んでいるんじゃないかと妄想を逞しくして嬉しそうである。疎らな民家と広大な田畑の狭間を突き進み、漸く辿り着いた大多喜駅で記念写真を撮る。駅前の観光協会でトイレを借り、大多喜城までの道順を尋ね、コインロッカーに荷物を預けて出発した。踏切を渡り、緩やかな坂道を登って、県立高校の宏大な敷地を横切り、未舗装の階段を一歩一歩踏み締める。高台に聳え立つ大多喜城は、県立中央博物館の分館を兼ねており、構内一面に敷き詰められた夥しい玉砂利の上を、娘は早速踏み荒らして回った。
 抱っこをせがむ娘を持ち上げ、来た道を引き返し、昼食に相応しい店を探して歩く。その途中、地元の銘菓である「最中十万石」を購入した。ずっしりと重みを感じるほど、たっぷりと餡の詰まった立派な最中である。その頃には、娘は私の腕の中で眠りに落ちていた。頗る重たい。陽射しが豊かで全身が汗ばむ。
 目当ての蕎麦屋が品切れしていたので、向かいの「有家」という豚カツ屋へ入った。地元では名の知れた繁盛店らしく、芸能人の色紙も幾つか飾ってある。古典的な定食スタイルの豚カツは想像を上回る美味しさであった。恐らく地元の住人や勤人と思しき客が引っ切り無しに出入りする。
 満腹した躰を引き摺って駅へ戻り、再びいすみ鉄道に揺られて終点の上総中野駅まで往く。彼方此方で野焼きの煙が立ち、陽射しは徐々に夕暮れの兆しを滲ませ始めていた。本来ならば上総中野で、同じくローカル線の範疇に属する小湊鉄道へ乗り換えるのだが、生憎、上総中野から養老渓谷までの間の線路が損壊して不通となっており、代行輸送のバスで蛇行する山間の途を運んでもらった。日が翳ると、風が俄かに冷え切る。束の間の散策を卒えて電車に乗り込み、深い森の間隙を潜り抜けて出発した。
 小湊鉄道の線路は概ね養老川と並走するように敷かれている。走るうちに西日は刻々と沈み、物哀しい夜陰が田地を覆って身を横たえた。若い車掌が真剣な横顔でドアの開閉や車内放送に勤しんでいる。帰路に就く中高生の姿が目立った。終着駅の五井で、千葉行の内房線に乗り換える。朝から晩まで非電化の鉄路をディーゼルカーに揺られていた所為で、JRの駅舎と車両が近未来的なフォルムを備えているように感じられた。見慣れた筈の千葉駅も、南総地方から帰ってきた旅人の眼には、殷賑を極める大都会の心臓のように映った。千葉ペリエのレストランフロアで夕食を済ませ、京成電車で帰宅した。明日は午前四時に起きて仕事へ行かねばならない。可及的速やかに就寝の仕度を整え、娘と並んで瞬く間に睡魔の虜となった。