サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(The Transition of the Verbal Hegemony)

*引き続き、日々の生活に決定的な変貌はなく、コロナ感染者の減少に伴って徐々に仕事が忙しくなりつつある以外には特筆すべき問題もない。泡沫のような有り触れた出来事が幾つも列なって流れ去っていくばかりである。通勤時間や就寝前の時間を使って黙々とHARRY POTTER and the Chamber of Secretsを読んでいる。HarryがTom Riddleの日記の中に封じ込められた五十年前の記憶を体験したところである。緻密に練り上げられたplotである。因みに本書を読んで、初めて私はplotという英単語に「陰謀」という語義が含まれていることを学んだ。

*先日、世界経済フォーラム(World Economic Forum)の年次総会であるダボス会議の準備会合(The Davos Agenda)がオンラインで開催され、中国の習近平国家主席が栄えある基調講演の大役を担ったという報道があった。中国の持続的躍進と米国の国際的威信の凋落という相反する傾向は、新型コロナウイルスの蔓延という歴史的惨事によって一層加速されているように見える。英米の二世紀に亘る世界的な覇権が、英語話者の極端な増殖を齎したという見解は頻繁に聞かれる。政治的・経済的なhegemonyの確立が、文化的優越の最も有効な基盤であることは歴史的教訓である。つまり、中国の躍進と英米の孤立化という政治的・社会的現象は、或る言語の置かれている歴史的状況を直截に書き換える可能性を孕んでいるのである。現在、事実上のLingua francaとして君臨している英語の覇権は、大英帝国植民地主義、合衆国の経済と軍事における圧倒的威信を通じて涵養され、インターネットの普及によって爆発的に推進されてきた。聊か日附は古いが、文部科学省の公表しているデータによれば、母語話者数という基準で比べる限り、英語は中国に抜かれている(現在ではスペイン語にも抜かれているらしい)。

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 しかし、遠からず爆発的な少子高齢化と人口減少の局面に陥ると推測されている(生産年齢人口は既に2013年を境として減少に転じている)中国の状況を鑑みると、言語的覇権の行方を占う根拠とすべきは、明らかに母語話者数ではなく、総話者数、つまり公用語第二言語・外国語として英語を話す人々の総計である。その観点から眺める限り、英語の世界的優位性は未だ揺らいでいない。インターネットにおける使用言語の比率でも、英語の圧倒的覇権は一目瞭然である。コミュニケーションに占めるオンラインの比重が増え続けている現代の情勢を踏まえれば、英語の優位は寧ろ高まっていると言えるだろう。

*言語に関する隠然たる政治的諸問題に、日本人は極めて疎いのではないかと思われる。縮小に次ぐ縮小を続けているとはいえ、この狭隘な版図に一億を超える人口を抱えている日本では、海外では殆ど使用されない言語であるにも拘らず、日本語だけで成立する社会的・文化的状況を長年に亘って堅持してきた。また、日本語は異国の言葉を摂取することに関して極めて柔軟であり、古代における漢字の渡来から明治以降の近代化に至るまで、異国の文字や言葉、概念を日本語の枠組みの内部に移植する作業を営々と繰り返してきた。こうした伝統が日本語の豊饒な成長に著しく貢献してきたことは明瞭であり、漢語も含めた種々の外来語の注入がなければ、日本語は世界の辺境に消え残った極めて貧相な言語体系として着実に滅亡の一途を辿ったに違いない。また、こうした豊饒で滋味深い蓄積ゆえに、日本語を丸ごと英語や中国語に置き換える国難的事態を忌避し続けることに成功したのである。とはいえ、こうした芸当が無限に持続可能であると考えるのは過度にoptimisticな態度であろうと思われる。日本の人口動態は、世界でも随一の速度で少子高齢化と生産年齢人口の急減という末期的現象を示しており、日本語の国際共通語的性格が極めて稀薄であることを考え合わせると、日本人の減少は日本語話者の減少と密接に相関するであろうと予測される。そもそも日本は、移民に対する排他的性格で知られており、従って母語話者以外の日本語話者の総数が急速に増加する見通しも今のところ成り立たない。もっと言えば、欧米や中国とは異なる語順の文型を持ち、複数の種類の文字を同じ次元で使い分け、同じ文字に異なる読み方を幾つも宛がい、英単語さえ片仮名表記に置き換えて発音も日本風にアレンジしてしまう我が国の言語的文化は、異国の人々にとって必ずしも習得の容易な代物ではない。こうした状況が適切な修正を加えられない限り、日本語の衰退と滅亡は避け難い宿命であるように思われる。