サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

My Reading Record of “HARRY POTTER and the Prisoner of Azkaban”

 英語学習の一環として J.K.Rowling,HARRY POTTER and the Prisoner of Azkaban,2014,London を読了したので感想文を認める。

 シリーズ三作目に当たる本書では、ハリー・ポッターの亡父の親友であったシリウス・ブラックに纏わる一連の騒動が、物語の中核を成している。その根底には、ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピン、ピーター・ペティグリュー、そしてセブルス・スネイプたちの過去の因縁が蟠り、遠景には絶えず、史上最も邪悪な魔法使いヴォルデモートの犯罪と陰謀が隠見している。物語の陰翳は徐々に深まり、暴力と悪意の荒廃した投影が少しずつ濃度を増しつつあるように感じられる。ヴォルデモートを巡る複雑な歴史的経緯が、物語における重要度を高めていくのに伴って、物語の構成はより稠密で入り組んだものとなり、殺意や憎悪、復讐心など、穢れた情念の継起と屈折が齎す様々な事件が、一層前景化してきた印象を受ける。
 悪とは何か、という問いに簡潔な答えを与えることは難しい。誰もが多かれ少なかれ善悪に関する倫理的基準を携えて日々の出来事に対処しているが、その基準の妥当性を厳密に定める超越的根拠は存在しない。善悪の相対化、つまり何を悪と看做すか、という問題に就いて共通の集団的合意が成り立ち難い世界では、簡明な勧善懲悪の図式は空疎な御題目に堕してしまい易い。善悪の戦いを困難な泥濘に帰結させる要因は、善悪そのものの基準の危うい流動性の裡に存する。善悪の基準は複数存在し、部分的な賛同と反発を織り交ぜながら、相互に絡み合って様々な矛盾を惹起する。例えばハリーは、シリウス・ブラックの無実を確信しながらも、ペティグリューの逃走によって彼を弁護する為の根拠を見失い、公共的に認められた事実は、秘められた真実との間に夥しい乖離を抱えたまま流通する。常に真実が勝利するという簡明な考え方に、血腥い現実の側から意地の悪い掣肘が加えられたのである。ダンブルドアでさえ、シリウスの無辜を立証することの不可能性に就いて言及している。タイムターナーの力を駆使して秘密裡にシリウスの逃亡を幇助することに成功したとしても、それは彼に擬せられた冤罪の不当性を本質的に立証する手段とはなり得ない。
 魔法という超越的な手段が存在する世界においても、善悪に関する困難な諸問題を一斉に解決し得る方法は発見されていない。例えばバックビークを殺処分に追い込もうとするマルフォイ父子の陰惨な悪意や、それに由来する権力の不当な濫用そのものは、魔法という超越的な力によっても解決されない。そもそも作者は、魔法の超越的性質を認めておらず、その限界や制約に就いて、明確な表現を与えている。ハリーが直面する諸々の課題は、普通の人間が所属する社会において見出される諸々の課題と本質的に同一である。確かに魔法使いとしての才能は、ハリーを不幸な居候の境遇から救済する重要な条件として働いたが、それによって彼の出自に纏わる種々の懊悩が免除された訳ではない。如何なる宿命に対しても、固有の艱難は必ず附随する。それは人間の世界における普遍的な慣わしであり、人間的実存の基礎的な前提である。どんなにリーマス・ルーピンが優れた教師としての才覚と人格に恵まれていたしても、狼男という固有の身体的条件は、彼に対する社会的差別を不可避的に伴ってしまう。正しい人間には正しい待遇が用意される運命にあるという素朴な信憑の虚しさを、この挿話は端的に物語っている。けれども、それを無垢な子供への教訓と捉えるのは適切な解釈ではない。子供たち自身、日々の生活を通じて現実の不条理な性質には、うんざりするほど繰り返し直面させられている筈なのだ。寧ろ彼らこそ、不条理の発見に就いては鋭敏な嗅覚を備えていると言えるかも知れない。経験の浅い無智な人間にとっては、あらゆるものが不可解な未知の条理に従っているように見えるからである。とはいえ私は、経験の豊かな人間が特別に優れていると言いたい訳ではない。彼らは要するに、不条理と呼ばれる種類の現象に関して、精神的に麻痺しているに過ぎない。それほどまでに、複雑な矛盾は世上に氾濫し横行しており、それ自体の実在や認識を拒否することに意義はない。
 ダンブルドアやルーピンは、優れた教師としての資質を潤沢に備えているように描かれている。彼らに共通する特質は、原則として常に温厚であること、そして苦境に直面した場合でも成る可く諧謔の精神を忘れずにいることである。ルーピンが主宰したボガート退治の授業は、内面的な次元で眺めるならば、要するにセルフ・コントロールの訓練であるように思われる。自分が最も恐怖を覚える対象を滑稽な事物として捉え直すこと、それによって恐怖に打ち克つこと、こうした教訓は明らかに心理的な自制の技術の要諦を成している。如何なる環境に置かれても自分の日常的な個性を保持すること、冷静な判断力を維持することの重要性に議論の余地はないが、実際にそれを体得する困難は誰でも熟知している。シリウス・ブラックもまた、十年以上に亘るアズカバン収監の間、ずっと本来の自分を見失わず、その魂を誰にも明け渡さずに生き延びた。結局、あらゆる教育の本義は、困難を乗り越える為の綜合的技法の伝授に尽きるのではないかと、個人的には思う。

Harry Potter and the Prisoner of Azkaban (Harry Potter 3)

Harry Potter and the Prisoner of Azkaban (Harry Potter 3)

  • 作者:Rowling, J.K.
  • 発売日: 2014/09/01
  • メディア: ペーパーバック