サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(My situation will partly change into a harsh state with new spring coming soon)

*先日、娘が五歳の誕生日を迎え、家でささやかな祝宴を催した。古い写真と比べて眺めると、随分と顔つきが凛々しくなった。弁舌は頗る達者で、自己主張に関して物怖じを知らない。昔は定期的に風邪を引いたりアレルギー性の咳に苦しんだりしていたが、最近は発熱も全くない。身体が発達して免疫の機能が向上してきたのだろうか。
 時々、私が子供の頃に親から叱られた挿話を聞かせると、娘は興味津々に歓ぶ。幼少の砌、夕食のテーブルに出された苦手な卵豆腐を嫌がる私に、母親が堪忍袋の緒を引き千切って激昂し、全部平らげるまで席を立つなと言い出し、泣きながら匙で黄色く顫える豆腐を抄い続けたエピソードを話すと、満面の笑みを浮かべて立て続けに質問を投げかけて来る。何で食べなかったの、嫌いだったから、じゃあしょうがないよねえと無闇に寛容である。娘は葱が嫌いである。嫌いなものを食べるように強いられる苦しみを紐帯として、五歳の娘の心と、当時五歳だった私の心は重なり合い、共鳴を起こしている。要するに私は三十五歳になった今も、偏食に関して五歳の娘と同等の次元を彷徨しているのである。いや寧ろ、彼女の方が好き嫌いは少ないのだから、三十歳の年齢差を覆して、私は彼女に対して劣っている。劣等感は、特に覚えない。それゆえに病状は改善の見込みなく一層深刻である。

*間もなく春が来る。毎年のことながら、人事異動の噂が頻繁に飛び交い、色々な憶測や感想が囁かれる季節である。私の直属の部下も異動が決まり、後任として宛がわれるのは同い年の御荷物社員で、春を待たずして既に気が重い。彼が店長を務めていた店は、業績不振ゆえに年度末で閉店となる。居場所を失い、適当な転属先も見当たらず、どういう経緯を辿ったのか知らないが、私が彼の面倒を見る役割を課せられたのである。彼は口先ばかりで行動が伴わない怠惰な男で、最近離婚してから見る見る太り、健康診断は軒並み悲惨な結果を示している。
 彼が管理していた店舗は、私の妻のパート先でもあり、閉店が決まって妻は所謂「コロナ離職」の事例を身を以て経験した。彼の仕事振りに慢性的な不満を抱えていた妻は、貴方の下に配属して厳しく鍛え直してやった方がいいと常日頃、冗談交じりに口にしていたが、その不吉な提案が俄かに現実化したのである。上司から売場で配置転換の内示を受けたとき、私はその内容に衝撃を受け、思わず「嘘だろ」と叫んでしまった。上司も私の反応を予測していたらしく、小声で本当に申し訳ないと繰り返していた。
 とはいえ、決まったことに泣き言を並べても無益であり、組織全体の利益を勘案して定まった事柄に就いて、一個人の感情に基づいて叛逆を試みるのは公正な態度であるとは言えない。組織に属する総ての人員が、自らの希望に即した配置や役割や職務を宛がわれるならば、それは確かに理想的な環境であると言えるだろうが、現実が、そんな風に人間の欲望に適合すべく上手に組み立てられている訳がない。誰も好んで引き受けないが、誰かが引き受けねばならない仕事というものは常時存在し、生起する。元々は日本一の売上高を誇っていたにも関わらず、新型コロナウイルスの最も尖鋭な影響を蒙り、旅行と出張の激減の煽りを食らって記録的な売上低迷に陥った東京駅構内の店舗へ、昨春の緊急事態宣言明けに着任し、史上最低の日商を叩き出した私に今更、心から怖れるべき試練など有り得よう筈がない。不幸な役回りを引き受けるのも業務の一環である。
 過去にも私は、深酒に起因する遅刻欠勤を繰り返して懲戒寸前まで追い詰められた若手社員や、業績不振の責任を問われて店長から降格となった社員を、直属の部下として受け容れた経験がある。今回の人事も、それに類するパターンなのだろう。損な役回りには馴れている、と言いたいところだが、そう簡単には馴染めないのが、損な役回りの損な特徴である。こうなったら開き直って、ぽんこつ社員と共に売上高日本一の称号を奪還するというドラマティックな展開の実現に向けて粉骨砕身するより他に途はない。そうやって逆境に価値を与えるしかない。全く、春が来るのが待ち遠しくて堪らないよ、ほんとに。