サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(Hybrid Language as Historical Heritage)

*引き続き、英語学習に明け暮れている。今読み進めているハリー・ポッターの第四巻 HARRY POTTER and the Goblet of Fire は、手許のペーパーバックで617頁という途方もない破壊力で、現時点で漸く約400頁まで辿り着いたところである。しかも、これまでの巻に比べて頁当たりの印刷された字数が明らかに多い。純然たる異国の言葉だけで綴られた、こんなに分厚い書物を、純然たる個人的趣味として繙読している自分の奇矯さが時々怪訝に感じられることもあるが、ハリー・ポッターの数奇な運命、魅惑的な細部、緻密な構成に助けられて、遅々たる歩みとはいえ、語学的冒険の旅路は順調である。
 言語という制度は、改めて考えてみると摩訶不思議な体系で、その歴史的起源は未だ完全には解明されていないが、あらゆる人種、あらゆる民族が何らかの言語を用いて同胞との意思疎通を図り、自分の考えを伝達したり、相手の考えを享受したりする営為を日常的に遂行している。更に文字を駆使して、言語的コミュニケーションの成立する範囲を限定された時空から解放し、地理的な障壁や時間的な疎隔を越えて、他者のメッセージを受け取ることを可能にしている。これらの偉大な発明が、人類の発展に寄与した影響の大きさは計り知れない。尚且つ言語は、他者のみならず、自己自身との内省的対話の成立にも重要な手段を提供した。自分の考えを言語化するという地道な作業は、他者との回路を開拓するのみならず、自己認識の精度の向上にも顕著な貢献を果たしているのである。言い換えれば、言語は秘められた個人的な観念や心情を、或る公共的な規則の体系の裡に配置することで、個人的なものを社会的な領域に登録する機能を担っているのだ。
 従って語学は、秘められたもの、形のないものに、明確な客観的輪郭を与える能力の涵養に直接的に役立つ。多くの人間は母国語の監獄の中に幽閉されているが、異国の言葉を学習することによって、その宿命的な限界は超克される。言語の種類によって、事物に対する解釈の手順や方法は異なる。日本語によって解釈された世界と、英語によって解釈された世界との間には、無数の相対的差異が存在する。解釈の豊饒な多様性は、個人の精神的な規模を拡張し、発達させる。その意味で、語学の勉強は紛れもない知性的冒険、頗る刺戟的な挑戦の連続である。母国語に通暁することと、異国の言葉を詳しく学ぶこととは、相互に背馳しない。寧ろそれらは相乗的な発達の軌跡を描くのである。
*言語は確かに手段であり道具である。しかし、それらは無機質で透明な製品のような性質を備えている訳ではない。あらゆる言語は、それぞれに固有の歴史を持ち、多くの偶然に左右されながら、独自の発達と衰弱を繰り返してきた。従って言語は、予め完璧に計画された、一つの矛盾も不備も無駄も含まない澄明な体系では有り得ない。如何なる例外も含まない文法や、あらゆる事象を完全に包摂する語彙の体系が実在することはない。そもそも我々の暮らす四囲の現実が歴史的転変に接し続ける限り、完璧な言語が事前に存在するというプラトニックな発想を堅持することは、妥当な判断であるとは言えない。現実の転変に応じて、言語は様々な構造的変容を反復し、現時点の状態に達している。この状態は決して最終的な結論ではなく、今後も現実の変容に応じて、それを用いる人々の思想、信条、感覚の変容に応じて、無限の更新を積み重ねていくだろう。従って、言語を学ぶことは必然的に、その言語の歴史を学ぶことであり、その言語に固有の文化的背景を知ることに繋がっていく。例えば日本語には漢字という中国由来の文字表記体系が有り、無数の漢語が熟語として日本語の高度な表現力の重要な屋台骨を成している。同様に、英語にはギリシャ語やラテン語、フランス語に由来する夥しい数の語彙が含有され、英語の表現の幅や多様性を支えている。そして言語表現には絶えざる栄枯盛衰と自然淘汰があり、先人の遺した数え切れないほどの判例が、言語運用に関する規範の制定に関与している。言い換えれば、言語には先験的な絶対的規則が備わっているのではなく、人々の固有の言語的実践の総体が、文法や語彙の正当性を支える唯一の根拠なのである。記号と意味との対応関係は、恒常的な固定性を有していない。これは重要な問題で、例えば我々が「思考する」とき、我々は何らかの記号に対応する意味の再編に取り組んでいるのだと言える。言語的記号体系よりも遥かに複雑で流動的な四囲の現実に対して、新たな語彙や文法、新たな表現を案出すること、そして使い古された言葉の定義を改変し、新たな対応関係を創出し、構築すること、これらは人間的思考の本質を形作る作業である。例えば古代ギリシア濫觴を持つ「哲学」(philosophy)の思考は、プラトンの対話篇などに明瞭な形で示されている通り、我々が日常的に用いる「単語」の定義を再審に附すことによって始動する。単語の定義を厳格化することによって、或る事物の本質を究明しようとする知的な努力が、哲学の本領である。或いは、そこまで高尚な事例を挙げずとも、我々の日常生活の随所において、様々な議論が共通の「単語」を巡って繰り広げられている。今日の夕食の献立を何にするかという些末な問題に限っても、単語の定義の明確化や再編は避けて通れないプロセスである。
*人間の精神的成長に関して、言語的学習が占める比重は極めて巨大である。言葉の群れから現実を再生するという抽象的作業は、未知の事柄に関する学習の遂行において、決定的な重要性を備えている。我々はあらゆる出来事を自分自身の実体験として味わうことは出来ない。他人の経験を拝借し、他人の智慧に学ぶという「共有」のプロセスを欠いてしまえば、途端に我々の学習と成長の過程は深刻な停滞の渦中へ埋没するだろう。言語的表現は、具体的現実の置き換えられた形態である。その置き換えられた形態を経由して、現実を擬似的に再生するという高度な知性的営為が、人類の爆発的発展の中核を成す要諦であることは鮮明だ。圧縮された表現を解凍して、豊饒な現実へ手を伸ばす為には、圧縮と解凍の技術に能う限り通暁せねばならない。

Harry Potter and the Goblet of Fire (Harry Potter 4)

Harry Potter and the Goblet of Fire (Harry Potter 4)

  • 作者:Rowling, J.K.
  • 発売日: 2014/09/01
  • メディア: ペーパーバック