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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「丸の内」

サラダ坊主風土記

 今日は弟の結婚式に出席してきた。丸の内の、皇居の近くにある瀟洒なホテルで盛大に挙行された華燭の点は、天候にも恵まれ、新郎新婦の晴れやかな門出に相応しい一日であったように思う。

 我が家には一歳に満たぬ幼い娘が一人あり、妻は親族ゆえに留袖の着付けに時間を割かねばならぬ立場であったから、母が気を利かせて、前泊出来るように会場のホテルへ部屋を抑えてくれていた。私は休みを取って、プレミアムフライデーの丸の内を家族三人で歩き、夕暮れの前には投宿して荷物を解いた。

 誰の匙加減で奮発してくれたのか、私たちの部屋は広々として見晴らしの良い空間で、バルコニーからは東京タワーを含む都心の煌びやかな夜景を眺めることも出来た。翌日の朝食も素晴らしく美味で、結婚披露宴の御馳走を数時間後に控えているにも拘らず、無闇に貪婪な食欲を発揮してしまい、胃袋が張り裂けそうに悲鳴を上げた。

 式の合間に喫煙所へ忍んでタバコを吸っていたら、後から別の客が入ってきた。顔を見ると、先ほど式場で祝辞を述べていた新郎側の主賓である。名前を思い出して、此方から挨拶すると、向こうも私が新郎の兄であることを認識していたらしく、和やかに返事をしてくれた。弟の仕事振りを訊ねると、彼は「真面目ですね。真面目過ぎるくらいです」と言って笑った。

 披露宴会場の受付に飾られていた寄せ書きにも、弟の生真面目な性格を指摘するような科白が目立っていた。「半分死んだ魚の眼」という言葉もあって、随分と手荒い揶揄だなと苦笑しながら、腑に落ちる部分もあった。確かに弟の眼には、以前から余り光が感じられない。別に弟が精神を病んでいるという訳ではない。仕事も順調らしいし、新婦との仲も睦まじい様子だし、何も不自由なことはない、恵まれた境遇である。新郎らしく晴れやかな笑顔を見せる場面も度々あったから、別に何か殊更に心配しなければならない訳ではない。ただ、そう言えば、あいつは何時から、あんな風に光の稀薄な眼つきをしていただろうと、思ったのだ。

 私と弟は歳が二つ違うだけで、幼い頃は何時も一緒に遊んでいた。二歳年長であるに過ぎないのに、底意地が悪く、狡猾な性格でもあった私は、弟に対して兄としての強権を存分に行使した。若しも弟が北朝鮮の指導者であったならば、私はとっくに殺されていたに違いない。

 思春期を迎えてから、私たちは無闇に仲が悪くなった。とはいえ、弟が殊更に何かを仕掛けてくる訳でも、挑発してくる訳でもなく、専ら私が遣り場のない苛立ちを、弟に叩きつけていただけだった。弟も成長するに連れて、昔のように言いなりにはならないから、それが余計に癪に触ったのだろうか。北朝鮮の指導者に相応しいのは、私の方であった。

 防ぎ切れなかったキューバ危機の如く、一度、激発した私は殴り合いの喧嘩を仕掛けて、弟の顔に膝蹴りを見舞い、失神させたことがある。母親が叫びながら揉み合う私たちの躰にしがみつき、仲裁に入った。私は父親から理詰めの説教を受けた。益々、私たちは疎遠になった。

 二十歳になる前に、私は最初の結婚をした。子供を授かってしまったので、慌てて籍を入れることになった。周囲から祝福されることのない婚姻であった。私は二十歳の誕生日を迎える頃に実家を離れて、妊娠した妻と、その連れ子である当時九歳の娘と一緒に暮らすようになった。弟は未だ学生で、実家に暮らしていた。偶に実家へ子供たちを連れて遊びに行っても、弟は自室に引っ込んで滅多に顔を出さなかった。その頃にはもう、小さい頃とは随分異質な顔立ちになっていた。なかなか厳しい眼つきであった。

 一度、実家で大きな法事があり、親族一同が集まって八柱霊園に程近い料理屋で、会食が開かれたことがあった。食後、酔っ払って顔を真っ赤に染めた私が、店の表でベンチに腰掛けてタバコを吸っていると、弟が姿を見せて、珍しく言葉を交わした。「お前は頑張ってると思う」と弟は言った。そろそろ就職活動の時期だったのではないだろうか。「別に大して頑張ってねえよ」という意味合いの言葉を、私は返したような気がする。

 二十五歳の夏に私は離婚した。何故、離婚を許すのだと、弟が怒っていた、という話を後に母から聞かされた。離婚して、私が息子たちと別居するようになった後も、弟は私の知らないところで、息子にお年玉をあげていた。弟なりに、兄貴の我儘で片親になった小さい子供を、不憫に思ってくれたのだろうか。詳しく聞いたことはないし、詳しく聞けることでもない。

 私が再婚した頃には、弟も随分と角が取れてきた様子で、年始の挨拶で実家を訪ねたときだったと思うが、私の現在の妻に和やかに話し掛けてくれた。馴染み易いように気遣ったのだろうか。弟は、家の中では余り陽気な男ではなかったが、仕事も営業であるし、昔から外では快活に振舞っているらしいという話を、母親から聞かされたこともあった。

 余り浮いた話も聞かない弟で、母親によれば、週末の余暇を奪われるのが嫌で恋人と別れたことがあるという。生来、淋しがり屋で、独りで生きることが苦手な兄貴とは異なり、弟は休みの日に独りで河川敷を走って汗を流すことに充実感を覚えるような、奇妙に自立したところがあった。それは自立であると同時に、閉塞であったのかも知れない。いつ結婚するのだろうと、漠然と考えていたが、周囲の反対を押し切って二十歳で結婚した揚句、数年後に堪えかねて家庭を破綻させた兄貴の姿を見て、慎重な方針を固めたのかも知れない。

 私は昔から随分と狡猾なこともしたし、我儘を押し通して親に迷惑を掛けながらも平然と胡坐を掻いているような生き方を選んできた。母の日にも花束一つ贈ったことがない兄貴とは対蹠的に、弟は必ず毎年、両親を食事へ招待しているそうだ。昔から、そういう男だったかなと、不思議に思いつつ、同じ家に生まれながら、兄弟でも随分と異なる生き方を選んだものだと思う。或いは、兄貴である私が余りに親不孝なエゴイストの方針を革めようとしないものだから、埋め合わせるように、両親を愛そうと努めてくれたのだろうか。

 だが、兎に角、二人が幸福な門出を迎えられたことは喜ばしい限りである。もう少し、我儘に生きていく力を、つまり自分の想いに忠実であるような生き方を、素晴らしい新婦の愛情を通じて学んでくれたらいいのではないかと、不肖の兄は御節介ながら、考えたりもした。

「死者の眼差し」に潜む「明晰」

文学

 大岡昇平の「野火」は不穏な小説である。その不穏さは、題材の異様さ、つまり敗色濃厚な南方戦線への従軍経験という、誰の身にも平等に降り掛かるとは言い難い経験の異様さに基づいていると言えるが、無論それだけではない。語り手のメンタリティの異様さが、この作品に持ち込まれた題材の異様さを、独特な方向へ捻じ曲げているように感じられるのだ。

 この小説を一読して直ぐに感じ取れる作者の「口調」と「語法」の特質は、異様に磨き上げられた「明晰さへの意志」であり、執着である。描かれる状況は極めて特殊で危機的であるにも拘らず、それを物語る作者の文体には、混乱や動揺は含まれていない。彼は飽く迄も理論的に明晰であろうと努力し、その努力は絶えず一定の水準を維持し続けている。

 だが、その明晰さは、読者に対する平明さのようなものとは、根底的に異質な何かである。彼はあらゆることを、少なくとも自分が遭遇したことに就いては総ての事柄を、一切の欺瞞から救済し、明晰に見極めようと試みている。何と言えばいいのか、彼は恐らく自分が経験したことの「意味」に就いて、それを問い続けることを永遠に止められないのである。何故、止められないのか。その経験が余りにも異様で、残忍で、酷薄であったからだろうか?

 この小説は、典雅な措辞によって綴られるフィリピンの風景の描写と、語り手の観念的な思弁との、有機的な化合物として形成されている。彼は風景を眺め、その風景の内側から様々な観念の列なりを数珠のように引き摺り出す。この奇怪な営為と執着は、一体何を意味しているのか。

 「野火」という作品が語られるとき、人はそれをカニバリズムの問題と容易く結び付ける。だが、この作品を「カニバリズムを巡る小説」という具合に総括してしまうのは、少なくとも私の個人的感想に照らし合わせるならば、決して適切な解釈であるとは言い難い。確かにカニバリズムの問題が、作品の異様なクライマックスを形作っていると看做すことは可能である。だが、人肉を喰らうことが道義的に許されるか否か、といった次元の問題に、この奇怪な作品の総体を還元することは不当である。この作品にはもっと不可解な「意味」や「観念」の塊が随所に鏤められており、それはカニバリズムの倫理的な問題などという単純な観念には必ずしも結び付かないのである。

 彼の異様な明晰さを、いわば「死者の眼差し」として捉えることは、語り手である「私」が、作品の冒頭から既に「死ぬこと」を半ば宿命として強いられた存在として描かれていることを踏まえるならば、それほど不当な解釈ではないように思う。死を定められた存在として生きること、遠い未来に訪れる「観念」としての「死」ではなく、肉体的にも精神的にも差し迫った領域に存在する、生々しい「映像」としての「死」が、「私」という存在の中核に深刻な影響を及ぼしていることは明らかである。

 目指す朝焼の空には、あれほど様々の角度から、レイテの敗兵の末期の眼に眺められた、中央山脈の死火山の群が、駱駝の瘤のような輪郭を描いていた。

 名状し難いものが私を駆っていた。行く手に死と惨禍のほか何もないのは、既に明らかであったが、熱帯の野の人知れぬ一隅で死に絶えるまでも、最後の息を引き取るその瞬間まで、私自身の孤独と絶望を見究めようという、暗い好奇心かも知れなかった。

 この「末期の眼」が「暗い好奇心」と奇怪な癒合を惹起することによって、この一篇の小説は成立したのだと言い得るかも知れない。彼は既に死ぬことを定められており、死者の眼に己の精神を擬することによって、いわば「認識の怪物」へと変貌を遂げている。

 糧食はとうに尽きていたが、私が飢えていたかどうかはわからなかった。いつも先に死がいた。肉体の中で、後頭部だけが、上ずったように目醒めていた。

 死ぬまでの時間を、思うままに過すことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただその時を延期していた。

 余りにも生々しい「映像」として差し迫った「死」が、人間の精神に特異な変容を強いるのは必然的な現象であろう。約束された絶対的な「死」は、人間から未来への希望を剥奪するが、そのとき同時に奪い去られるのは「行動」への欲望である。死者は、如何なる行為によっても、現実と繋がることは出来ないし、外界に働きかける権能を根本的に奪われている。死者に為し得るのは、事物の様々な側面を認識し、解釈することだけである。言い換えれば、絶対的な「死」は、事物から一切の「意味」を剥奪し、抹消してしまう。理念も希望も未来も、約束された「死」の前では建設的な意義を持ち得ない。「死」が観念ではなく「映像」として迫るのは、既に彼があらゆる「意味」から見放されているからである。

 死は既に観念ではなく、映像となって近づいていた。私はこの川岸に、手榴弾により腹を破って死んだ自分を想像した。私はやがて腐り、様々の元素に分解するであろう、三分の二は水から成るという我々の肉体は、大抵は流れ出し、この水と一緒に流れて行くであろう。

 にも拘らず、彼は自らの意志で積極的に「処決」を選び取ろうとはしない。それが何故なのかという問題に就いては、彼自身が独特の表現で回答を示している。

 して見れば今私があの空に焦れるのは、及び難いと私が知っているからであろう。私は自分が生きているため、生命に執着していると思っているが、実は私は既に死んでいるから、それに憧れるのではあるまいか。

 この逆説的な結論は私を慰めた。私は微笑み、自分は既にこの世の人ではない、従って自ら殺すには当らない、と確信して眠りに落ちた。

 ここにも「末期の眼」の思想と感情は鮮やかに、明白に息衝いている。死者にとって世界は、純粋な「映像」として受け取られるべきものであり、そのとき、死者の眼に映じる世界は一切の観念から解き放たれ、あらゆる「意味」を漂白されている。だが、その「末期の眼」を語る「私」の意識は、既に「死」の絶対性から遠ざけられた場所にある。「三七 狂人日記」に至って読者は、この作品が精神病院に暮らす六年後の「私」の手で綴られた「回想」であることを知らされる。

 私はこれがみんな無意味なたわ言にすぎないのを知っている。不本意ながらこの世へ帰って来て以来、私の生活はすべて任意のものとなった。戦争へ行くまで、私の生活は個人的必要によって、少なくとも私にとっては必然であった。それが一度戦場で権力の恣意に曝されて以来、すべてが偶然となった。生還も偶然であった。その結果たる現在の私の生活もみな偶然である。今私の目の前にある木製の椅子を、私は全然見ることが出来なかったかも知れないのである。

 しかし人間は偶然を容認することは出来ないらしい。偶然の系列、つまり永遠に堪えるほど我々の精神は強くない。出生の偶然と死の偶然の間にはさまれた我々の生活の間に、我々は意志と自称するものによって生起した少数の事件を数え、その結果我々の裡に生じた一貫したものを、性格とかわが生涯とか呼んで自ら慰めている。ほかに考えようがないからだ。

 この「偶然」が「意味の欠如」を指していることは明白である。「末期の眼」によって純粋な「映像」として把握された世界の実相は、単なる「偶然の系列」に過ぎず、そこに一貫した「意味」を見出そうとする解釈の企ては、真実に対する離反でしかない。だが、彼は何故、そのような「偶然の系列」に執着を示すのだろうか? それは彼が「死者」の側に立って物事を眺めることに、倫理的な責務を感じているからではないだろうか。

 しかし声は私の耳にすら届かない。声はなくとも、死者は生きている。個人の死というものはない。死は普遍的な事件である。死んだ後も、我々はいつも目覚めていねばならぬ。日々に決断しなければならぬ。これを全人類に知らさねばならぬ、しかしもう遅い。

 彼が「偶然の系列」に固執するのは、それが「権力の恣意」によって齎された不幸な運命であるからだ。そして「権力の恣意」を告発する為には、「普遍的な事件」として「死」を捉え直さなければならない。大岡昇平が「野火」を通じて抉り出したのは、そのような「消息」であろう。彼は死者の列に立って世界を「偶然の系列」として眺めることによって、死者の叫び声に唱和しているのである。

人間本来無一物

文学

 車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」は、今まで読んだ中では屈指の精神的衝撃を、私の心に齎した異様な小説であった。作者の数奇な人生遍歴が彼方此方に投影されているらしいが、彼が「私小説」という文学的理念に強烈な執着を示すことで知られた作家だからと言って、事実と虚構の境目を厳密に確定しようなどと試みるのは無益な企みであるだろう。

 この小説の全篇を貫く「苦界」の感触は、物語の世界に異様な迫力を附与する根源的な活力となっているが、一見すると「地獄巡り」のように感じられる「私」の彷徨が、単なるゴシップめいた興味を掻き立てるだけならば、「赤目四十八瀧心中未遂」は畢生の傑作にまでは昇華し得なかっただろう。車谷には「贋世捨人」という作品もあったように記憶するが(生憎、私は未読である)、これは彼の文業を支配する中心的な観念に与えられるべき名称としては最適のものである。彼は「無一物」の境涯に異様な憧憬を懐きながらも、決して本当の意味で「無一物」の窮境まで堕落することが出来なかった。それは坂口安吾が「堕落論」に書き付けた一文、即ち「だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる」を想起させる状態である。そこに両者の思想的な親近性を読み取るのは強ち牽強付会とは言えない。何故なら、坂口安吾も若き日には、悟りを開くことに憧れて「世捨て」に対する強靭な衝動に駆り立てられていた人物であるからだ。

 だが、本来ならば「無一物」の境遇というのは、俗人が望んで辿り着ける境遇ではないし、殆どの人間は「無一物」の境遇を殊更に希望して、その窮境へ漂着する訳ではない。「無一物」に憧れるということは、本当に「無一物」の生涯を強いられている苦界の住人たちにとっては嘲笑すべき、或いは唾棄すべき虚妄の情熱に過ぎないのである。両者の根源的な断絶は、語り手である生島と、極道の兄貴の為に風俗嬢として売られる覚悟を決めたアヤちゃんとの訣別の場面によって、読者の眼前へ明瞭に浮かび上がることになる。

 結局、お前は「贋世捨人」ではないか、という痛烈な告発を、アヤちゃんは異様な覚悟を含んだ眼差しと、咄嗟の決断を通じて生島に叩きつける。そして突き放された生島は、苦界を去って尋常の「俗世間」へ帰還していく。それは確かに痛烈な告発の結果に他ならないが、その告発を愛情の一種として解釈するのも、それほど傲慢な選択ではないと信じたい。「世捨てへの欲望」という奇矯な趣味に精神を蝕まれて、現実を見失いかけた男に、お前は俗世の人間なのだから、俗世に戻りなさいと諭すことは、深甚な憐憫の輝きに他ならない。だが、その憐憫が齎す喪失感の恐るべき底知れなさに読後、私は戦慄を禁じ得なかった。彼の眼前で、地獄の扉は堅く閉ざされてしまった。残ったのは、静謐な暗闇だけである。何もかも所詮は夢に過ぎなかった、という残忍な結末は、私の好みに合っている。

「神なき世界」と、条理の否定(死んだのは「ママン」ではなく「神」だったのだろうか?)

文学

 アルベール・カミュの「異邦人」(新潮文庫)は、世界的にも日本国内においても非常に有名な小説だが、実際にどれくらいの数の人々が、あの決して長大でもない薄い一冊の小説を読み通して、その内容を熟読玩味しているのか、心許ないような気がする。あの有名な書き出し、つまり窪田啓作の翻訳によって日本語に置き換えられた冒頭の一節「きょう、ママンが死んだ」だけが、恐らくは切り取り易い断片として重宝され、不条理文学の傑作などという惹句と共に、世間に膾炙している訳だが、そこから先に一歩踏み込もうと試みる人々にとっては、カミュの明晰な文章とは裏腹にぼんやりと輪郭の定まらない「異邦人」の物語の道行は、意外に難解で、馴染み辛いものなのではないだろうか。

 だが、この有名な作品の内部に慎重に張り巡らされた物語の無造作な外貌は、決して作者が冷淡な性格だったからでも、物語の仕組みや構成に就いて無関心であったからでもなく、もともと作品の意図として明確に目指された様式だったのではないか? 語り手のムルソーは、一見すると無気力で冷淡で自堕落で、つまり社会的な規範や秩序に対する唾棄すべき無関心によって貫かれ、支配された人物のように感じられる。それは、確かにアルベール・カミュの文学的野心の産物であり、意図的に生み出され、強調された一つの世界観の表明なのだ。

 この小説に織り込まれたカミュの文学的な問題構成は、恐らく西欧社会に根深く染み込んでいるキリスト教的な価値体系への対立、或いは「抗争」という要素を、その核心に含んでいる。言い換えれば、カミュが捉えようとしたのは「キリスト教」が信奉する「一神教的な天蓋の支配」を否定するような価値観であり、「神なき世界」において、どのように倫理を樹立すれば良いのかという思想的な難問であったのだ。そして「神」を否定することは、そのまま「意味」を否定することに繋がるというのが、キリスト教に占有された西洋社会の原理的な特質なのである。

 彼の文学には頻繁に「不条理」というラベリングが施されるが、重要なのは、そうしたラベリングを覚え込むことではなく、その成立の経緯を綿密に探究することである。彼は何故「神なき世界」に就いて考えようとしたのか? そもそも、彼はこの小説に何故「異邦人」という名称を冠したのか? 少なくとも、この「異邦人」という名称が、キリスト教社会に対する無神論的倫理の対置を企図して考案されたものであることは、概ね確かな事実であろう。彼の根底には、キリスト教社会に固有の道徳や倫理、思想信条に対する不満や抵抗が存在する。そのような意識が形成された背景に、例えば植民地アルジェリアの輝かしく貧しい夏の太陽が関わっているのだと、一つの憶測を組み立てることは容易いが、私は評伝作者ではないので、それに就いては深入りも明言も避けたい。

 ムルソーが対峙するのは、キリスト教によって意味づけられた社会であり、世界である。彼を無気力で冷淡な罪人として裁くのも、キリスト教という価値観の体系である。物事を「天国と地獄」という超越的な「量刑」に基づいて解釈し、配置しようとする思想の形式、そこに彼は深刻で根源的な「欺瞞」を嗅ぎ取った。言い換えれば、彼は身も蓋もない真実を率直に見定める為に、不要な「一神教の天蓋」を払い除ける困難な作業に着手せねばならなかったのだ。そして、無神論的な構図の中で猶も「正しく生きる為の規矩」を地道に造り上げていくことに、彼は人生の大義を求めた。ムルソーが母親の死に無関心な素振りを示すのは、彼が無神論的な構図の中で「キリスト教社会」による「定義」を拒もうとしているからだ。「ママン」は偶然、死を迎えたのではない。「ママン」が死ぬことは、ムルソーの固有の人生においては、必要不可欠の前提であり、根本的な出発点だったのである。

書斎と機械人形

告知

 縁があって「本が好き!」という書評サイトに、過去にこのブログでアップした読書感想文の類を幾つか転載し始めている。

www.honzuki.jp

 古びた書棚から、暫く手つかずのまま放置していた本を引っ張り出して埃を払うように、こうして過去の記事を漁って転載の作業を進めていると、我ながら、たった一年半ほどの間に随分と色々な文章を認めて、恥も外聞も構わずにネットの大海原へ公表し続けてきたのだなと、大仰な感慨に浸りたくなってしまう。

 だが、所詮は塵芥の類だと自虐的な気分にも絡まれるのが実情であり、彼是と書き散らしたような積りでいても、長年の書き手に比べれば微々たる分量であり、書評を綴ったと言っても、私の読んだ本の総量なんて高が知れているのだ。

 生きることは読書とは違う。生きることはもっと割り切れず、計り知れず、騒々しいものである。それなのに、彼是と背伸びして、手を伸ばして、見知らぬ書物の魅惑的な外貌に吸い寄せられることを辞さないのは、私の心が、もっと広大な世界を欲していることの紛れもない証左なのだろうか?

 これから、世の中はどんどん移り変わっていき、様々な業種や職種において、効率的な「機械化=情報化」の圧力は高まり続けるに違いない。今まで当たり前のように存在した職業の大半が人間の手から奪われ、人間よりも遥かにタフでスマートな一群の機械的組織によって独占されるようになることは最早、必定の運命なのである。そういう、或る意味では苛酷な時代に、人間としての生活を送り、営んでいく為には、単なる労働者の境遇に甘んじているだけでは余りに能天気であろう。機械化=情報化の爆発的な進展は、単なる哲学者の「酔狂」の範疇を超えて、もっと即物的な形で、私たちに「人間であること」の意味を問い詰めてくるに違いない。機械の代わりに人間へ賃仕事を宛がうのは、かつての奴隷制度と同じく、人権思想に抵触する許し難い「犯罪」として裁かれるようになる。そのような未来の靴音は、未だ微かではあるが、着実に響き始めている。私たち「人類」に残された領域を深々と耕し、豊饒な稔りを得る為には、単純な「労働」からの逸脱が求められるのである。

 本を読み、読み取った事柄に就いて入念に思索を巡らせること、それこそが新時代の人類の基礎的な作法になる。その意味で、私はこれからも、読むことと書くことの間で、下手糞な踊りを演じ続けたいと思っている。

戦後の焼け野原を疾駆する「バケモノ」の思想 坂口安吾「堕落論」について

文学

 今日は坂口安吾の「堕落論」に就いて書くことにする。

 このブログでは、過去にも幾度か「堕落論」に言及したことがある。中学生時代に初めて手に取り、茹だるような夏の退屈な午後に繙いた「堕落論」の衝撃は、今も私の胸底から、その轟くような残響を掻き消さずに留めている、と言ったら、大袈裟に過ぎるだろうか。或いは如何にも文学的な誇張の臭みが強過ぎるだろうか。しかし、実際に私は坂口安吾の「堕落論」から、容易には汲み尽くし難い精神的興奮を与えられたのであった。それはまさに、私という個人の主観的な世界に限って言えば、天啓にも似た僥倖であり、至福であったのだ。

 「堕落論」という風に銘打ちながらも、坂口安吾の奔放な筆鋒は様々な話柄に照準を次々と切り替えながら、果敢に滑り続けていくので、決して体系的で明快な理論のようなものを期待すべきではない。そもそも、彼は安手の学者のように踏ん反り返り、象牙の塔から下界を眺めて、悠然と葉巻でも吹かしながら、衆生の信奉すべき「真理」を語ろうなどと賢しらに考えている訳ではないのだ。彼は寧ろ「陋巷に在り」(©酒見賢一)とでも称すべき世俗の、巷間の学者であり、極めて破天荒で生々しい思想家なのであり、彼の言説は総て彼の血腥い生き方と切り離し難い。

 極めて明晰な頭脳と、極めて野卑で破滅的な性向との、奇妙な結合が、坂口安吾という文学者の最大の持ち味であり、魅力の源泉である。そして彼は、尤もらしい道徳的な教訓の類を歯牙にも掛けない、肉体的な反骨精神を生涯、手放さなかった。

 だからなのだろうか、彼の文章に鏤められた「理路」は決して一本道ではなく、整然とした秩序を与えられている訳でもなく、彼方此方で複雑に枝分かれを繰り返し、果たして何が結論なのか、それを明瞭に推し量ることさえ容易ではない。けれども、そこには誠実な思索と省察の輝きが浸透しており、機敏に活動する精神の生々しい息遣いが随所に行き渡っている。

 彼は単に「堕落」を推奨した訳ではない。「政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」と劇しい口調で断定しながらも、人間が「政治的な救済」に縋ろうとする已み難い欲望の持ち主であることにも、きちんと目配りしている。そもそも、彼は「こうあるべきだ」という人工的なイデオロギーによって事物を裁断することに、根源的な嫌悪と敵愾心を燃え上がらせているのであり、従って彼が「堕落論」を通じて何らかの具体的な方針や処世訓のようなものを世間に訴えようとした訳ではないことに、私たち読者は充分な注意を払わねばならない。彼は「政治による救い」を「愚にもつかない物」として斥けたが、それを「政治的救済は無意味である」という一つの完成された命題に置き換えて拝み倒すのは本末転倒の振舞いである。彼の鋭利な眼差しは、政治によって救われることのない人間の度し難い性向にも、にも拘らず政治に希望を託そうとする人間の哀切な衝動にも、等しく注がれていたのだと、私は信じる。

 坂口安吾にとって「堕落すること」は「人間であること」と同義であったのだと思う。堕落、つまり既成の社会的秩序から逸脱し、落魄してしまうこと、それこそが人間の「自然な姿」なのだと信じていたのだ。だが、一方では、そうした堕落が決して完全に徹底されることはないだろうという見通しも、彼の内部には宿っていた。坂口安吾という偉大な「思想家」の真骨頂は、常に相反する両極の狭間を揺れ動き続ける思索の「肺活量の大きさ」に存するのである。

 

「自由主義」という見果てぬ夢

社会

 ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」(光文社古典新訳文庫)を少しずつ読んでいる。マルクスの「共産主義者宣言」(平凡社ライブラリー)と一緒にAmazonへ注文したのに、他の本を読むことに時日を費やして、居間へ店晒しにしていたのを漸く繙き始めた次第である。

 流石に古典新訳文庫と言うべきか、訳文は非常に平明で驚くほど読み易い。古典的な文献に付き纏う学術的な権威の臭気が感じられず、身近な人間から直に講義を受けているような寛いだ雰囲気が行間に滲んでいる。

 自由という言葉、或いは観念に関する精確な理解に達することは、恐らく誰にとっても困難な作業であるに違いない。しかし、世界的に吹き荒れつつある反動的な保守化の潮流が、殆ど無視し難い脅威として私たちの暮らす社会に押し寄せ、殺到しつつある現況を鑑みるならば、単なる抽象的な観念として箪笥の抽斗へ仕舞い込む訳にもいくまい。私たちは自由という言葉を当たり前のように使い、すっかり手垢に塗れた理念のように軽々しく濫用することに慣れ切っているが、その定義を正面から問われて澱みなく答えられるほど、日頃から充分に思索を積み重ねていると言えるだろうか?

 私たちはドナルド・トランプの差別的で保守的な言辞に半ば呆れ、半ば慄然としているが、だからと言って、彼のような政治的手法を批判する為の明快な理路を保持している訳ではない。私たちは「自由」という観念が何故発生し、幾つもの重要な歴史的闘争の厳しい審判に堪えて、今日まで曲がりなりにも維持されて来たのか、その一連の経緯に対する深刻な無理解の中に暮らしている。

 そういった観点に立てば、ミルの「自由論」という古典的な著作に自分の頭脳を虐使して取り組むのも、決して衒学的な趣味の一環に留まるということはないだろう。寧ろ、私たちは改めて自由主義という理念の本質的な機能や役割に関して、認識を新たにし、活発な議論を戦わせるべき時代に直面しているのだ。

 だが、それはミルの「自由論」に綴られている様々な見解や学説を、聖骸布のように有難がって祀り上げるべきだという意味では断じてない。最も大切なのは、ミルという一人の学者が自らの頭脳を駆使して「自由」という難問に付き纏う種々の迷妄を払い除けようとする、その誠実で知性的な努力に、自分自身の脳味噌を虐使して伴走することなのである。何故なら、ミルは社会的に固定化された真理というものへの敬虔な崇拝を、自由という理念の宿敵として慎重に斥けているからだ。

 彼は何らかの明示された真理を受け容れることに、或いはそれを絶対的な規矩として信奉することに関して、非常に慎重で注意深い姿勢を示している。一見すると正しく聞こえるような意見も、時代や地域が異なれば悪しき誤謬として論難されることは少しも不当な現象ではない。こうした問題は、誰もが理窟の上では心得ているかも知れないが、実際に生活のあらゆる場面に対して、こうした原則が完璧に適用されることは殆ど皆無に等しいと言っても過言ではない。誰もが意見には多様性があり、個人の固有性は実に幅広い性質を備えており、それを一律の基準で拘束することは困難であるし不当でもあると、尤もらしい理窟としては理解しながら、そうした倫理を実生活において完全に実行しようとは考えないのだ。それは、理窟では充分に理解しているが、実践においては不都合が生じる、といった政治的な判断の結果ではなくて、単純に「意見の多様性」を根源的な次元において信頼していない為に導き出される結果であると私は思う。

 私たちは、自分の個性を重んじたり、自由を求めたりすることに対して貪欲に振舞いながらも、知らず知らず、自分の生まれ育った環境の常識や、自分が所属する組織の規範を受け容れることに就いては、随分と無防備な生き物である。しかも、私たちは多数決の原理に慣れ切っていて、大多数の人間が正しいと認める意見に対しては、極めて容易に屈従するという性質を備えている。そして少数の頑迷な異端者たちが、大多数の認める壮麗な正義に向かって牙を剥いたり吼え立てたりするのを目の当たりにすると、正義の美名の下に残虐な鉄鎚の一撃を下すことさえ、甘美な愉悦と共に嬉々として成し遂げてしまうのだ。

 民主主義という政治的な制度が行き渡れば行き渡るほど、私たちの社会が「合法的な独裁」の高圧的な専制に浸蝕される危険が増大していくのは、歴史の皮肉な絡繰である。ファシズムというのは、民主主義、国民主権の美しい理想が現実の血肉を与えられるほどに発症の虞が高まる重篤な病であって、それは中世の封建的な支配体制の瓦解と引き換えに私たちに強いられた深刻な持病なのである。デモクラシーとファシズムは、同じ社会的=政治的思想の土壌から花開いた双子の兄弟であり、その意味でデモクラシーがマジョリティの権力を承認する制度として維持される限り、両者の因果関係を完全に断ち切ることは不可能である。

 ミルは、多数派によって支持される強力な意見であっても、それが総ての反駁と徹底的に向き合い、切磋琢磨し、あらゆる試練に堪え抜こうと努めない限り、真理の名には値しないという考え方を表明している。いわば弁証法的な考え方である訳だが、デモクラシーと不可分の関係にあるマジョリティの優位は、こうした弁証法的な手続きに対して常に敬意を払うとは限らない。それは国家の統治、集団の統治という重責には必ず附随する難問であり、真の意味で「平等」と「公正」の理念を貫徹することは誰にとっても不可能に等しい難事である。自由主義の理想は今も、見果てぬ夢のままなのだ。