2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧
*文学作品が、その執筆当時の社会的な環境や、作者の個人的な経験や思想信条を多かれ少なかれ反映することは避け難い。どんなに自分の独創性を信じてみたところで、我々が総てを任意に選択して誕生した訳ではないし、生まれる時も場所も択べないのだから(J…
*先日の話である。私は仕事で不在であったので、妻から聞いた話だ。四歳の娘が、妻の母と一緒に風呂に入っていた。何処から忍び込んだのか、浴室の床を、一匹のダンゴムシが這っていた。妻の母が、それをシャワーで排水溝に洗い流した。それでもしぶとく生…
安部公房の長篇小説『砂の女』(新潮文庫)を読了したので、感想文を認める。 著者の代表作である「砂の女」の通読は概ね二十年振りではないかと思う。一度目は中学生の頃、父親の書棚に置かれていた函入りの初版本で読んだ。細部の記憶は曖昧だが、その息詰…
*文学作品は、個人の主観的幻想の形式である。無論、こうした性質は文学に限らず、芸術全般に共通して言えることだろう。或いは、芸術に限らず、もっと多くの社会的分野に見出される普遍的な構造であり原理であると言えるかも知れない。 個人の主観的幻想が…
*保育園に通っている四歳の娘の運動会が本日予定されていたので、休みを取っていたのだが、降雨の為に当日の朝になって順延が決まった。妻も娘も仕度の為に早朝から起き出していたが、無意味な早起きとなってしまった。覚醒した娘は眠気と戦う妻に彼是と遊…
安部公房の短篇小説『無関係な死・時の崖』(新潮文庫)に就いて書く。 芸術的作品は、それが近代的個人の内面に根差していようとも、或いは国家を包摂する巨大な宗教的権威の反映であろうと、人間の個人或いは集団の描いた「幻想=妄想=fantasy」の表出さ…
*最近は日本史に関する初学者向けの書物を渉猟していたが、徐々に飽きてきた。石原比伊呂の『北朝の天皇』(中公新書)や亀田俊和の『観応の擾乱』(中公新書)などを読み、それなりに向学心は満たされるのだが、夥しく飛び交う人名や地名と、その錯綜した…
引き続き、坂井孝一の『承久の乱』(中公新書)に就いて感想文を認める。 天皇家にとっては、中央集権的な統治の徹底は、自らの血統の繁栄を意味する。人臣が過剰な権勢を揮って国政に容喙することは、天皇家の権益に対する侵犯を意味するだろう。そもそも律…
引き続き坂井孝一の『承久の乱』(中公新書)に就いて、感想文を認める。 各地に蟠踞する豪族を折伏し、屈服させる為に、文明の先進国である中国唐朝から「律令」を輸入して、中央集権的な統一国家の樹立という壮大な青写真を描いたのが古代日本の姿であると…